提 案
サイバースペースの市民のための7つのルールと3つの前提
(初出 電脳犯罪対策虎之巻 1997年12月)
サイバースペースの市民のための7つのルール
1 第一のルール
サイバースペースの危険を知る
現実社会のなかには、危険な町もあれば、安全な町もあります。人は経験上そのことを知っています。
ところがサイバースペースには、ネットワークの向こうに広大な一つの町が広がっているだけで、危険な町と安全な町の区別がありません。
しかも、サイバースペースと現実社会の規制は本来同じだと言っても、いまのところサイバースペース上での問題が非常に新しい問題であるために警察の対応も後手後手で、危険を防止する規制策が、事実上非常に緩やかな状況にあります。セキュリティの確保とか匿名制の排除などシステムとして犯罪を防止する手段もいまだ発展途上の段階です。
ですからサイバースペースの市民は、このようなサイバースペースの危険を十分理解して行動する必要があります。
2 第二のルール
自分の身は自分で守る
いまのサイバースペースは、米国の西部開拓時代と全く同じ状況です。ですから自分の身は自分で守るという態度が求められます。
必要以上にプライバシーを開示することも、その危険性を十分承知した上で行うべきです。
海外旅行に行くのと同じように、チャレンジしなければ得られるものも少ないというのは、現実社会でもサイバースペースでも同じことです。サイバースペースのリスクを知った上で自分の身は自分で守るという覚悟で行動して下さい。
ネットワークの利便性をあおるばかりで、そのリスクを消費者にはっきりさせてこなかった業界や業界と結びついた官界の体質も問題とされなければなりませんが、サイバースペースで生活する市民のほうでも、一人で海外旅行に出かけるのと同じくらいの覚悟と自覚は必要です。
3 第三のルール
表現することの責任を自覚する
表現には責任が伴います。私は大学院で憲法を専攻したのですが、指導教授に初めて面接を受けた時に、こう言われました。
「今後君が論文を書けばそれは半永久的に大学に保存されることになる。今は表現の自由が尊重された社会だが、いつしか政権がかわって、君の書いたものが後で審査され投獄されるということもありえる。だから書く以上投獄されてもかまわないという気持ちと信念をもって論文を書きなさい」
指導教授は、戦前、学問の自由が弾圧された事件として有名な京大事件の経験者でした。だから私にこんなアドバイスをしてくれたのだと思います。
サイバースペースに表現を発信し、全世界に向けて何かを表現しようとする以上、自分の表現が、リスクを伴うものなんだという覚悟と信念をもって、表現していく心構えを持つことが大切です。
4 第四のルール
自分がされたら嫌なことを、他人にもしない
自分のやりたいことをやる―これが人権の基本です。人権の守られた民主主義社会の中では、人は誰からも干渉されることはなく、やりたいようにやっても誰からも批難を受けることはないのです。しかしその人権にも「公共の福祉に反しない限り」という条件がついています。
表現の自由と言っても、いたずらに人の名誉やプライバシーを侵害したりする自由はありません。
「人の自由を侵害する表現をしない」と言っても分かりにくいでしょうが、わかりやすくいえば、自分がされたら嫌なことはつつしむということです。
サイバースペースの市民は、同じ共同社会の住民です。サイバースペース上では、「人を思いやる心」がこれまで以上に重要になって来ています。
5 第五のルール
世界基準で考える
サイバースペースには国境というものがありません。ですから日本の常識が世界の常識にならないということを、注意する必要があります。
サイバースペースの市民となるということは、自宅にいながら自由に海外旅行をしているのと同じことです。諸外国のルールには従わなくてはなりません。当然海外旅行をするのと同じように、外国の人の考え方やその社会、法制度も知る必要があるでしょう。
日本において問題ない表現であっても、海外において問題とされる表現(たとえばナチス肯定表現、差別表現など)をした場合、日本でこそ逮捕はされないかもしれませんが、その国の要注意人物リストに登録され、その国に海外旅行に行った時に拘束されたり、入国拒否をされたりするかもしれません。
表現する以上、そういったリスクがあることの覚悟はしなくてはならないと思います。
6 第六のルール
他人のことを表現するときには気をつける
表現することにリスクが伴う以上、他人のことを表現する場合には、当然その他人への配慮を要します。表現した人についてはそのリスクを甘受すべきだということもいえるでしょうが、他人の場合、同意がなければ自己責任原則を要求することは無理です。
一方プライバシーは、一度流出したら復旧のできない権利ですから、他人のプライバシーを発信する場合には、原則として本人の同意を取る必要があると思います。
また、子どもは表現することのリスクが現実のものとして理解できません。子どものプライバシーを発信したら最後、その子どものプライバシーは永久にインターネット上に流通していくかもしれません。チャイルドポルノはもってのほかですが、子どもの表現を発信する以上、子どもが将来ホームページを見たときに、恥ずかしいと思わないような配慮を親や大人の方でしてあげる必要があると思います。
7 第七のルール
戦う姿勢を忘れない
本当に正しいと思うのであれば、逮捕されることも恐れてはいけないと思います。
たとえば著作権の問題については、もっと市民は業界による著作の囲い込みの動きに対し声をあげなければなりません。これまで市民は著作権を身近で感じることはできませんでした。インターネットの発展によってようやく市民は著作権を身近で感じることができるようになりました。この間に業界内の談合で囲い込まれた著作権はたくさんあります。
わいせつ罪についても、市民社会の発展につれその範囲は狭まりつつあります。以前は伊藤整氏の訳したD・H・ロレンスの「チャタレー夫人の恋人」でさえ全文を読めなかった時代があるのです。先人の逮捕をいとわない努力が、わいせつ罪の適用範囲をせばめてきたのです。人権の拡充は戦いの歴史なのです。
ですから、私は、サイバースペースのリスクを知らずに、いつの間にか犯罪者や被害者になってしまったという後悔だけは、してほしくありません。
逆に逮捕されても自分は正しいと思うのであればどんどん表現していってほしいと思います。戦ってほしいと思います。
だからこそ、インターネットは国境を越え、国家権力や社会権力に対し風穴をあける可能性があると言われているのですから。