5月16日《5年目の反撃キャンペーン!?
    オウムウォッチャーを野放しにしたのは誰だ!!〜有田芳生氏のウソを暴く》

●「オウム完全復活!!」

 97年の破防法棄却以後、ことあるごとにその動向を取り沙汰されてきたわがオウム真理教。この2年間というもの、「活動再開?」「活動活発化!」「勢力拡大!!」と、その活動ぶりを経済企画庁よろしく景気よく語られてきた中で、聞くところによると、このゴールデンウィーク期間中、オウム真理教はとうとう「 完 全 復 活 」を達成したらしい。

 他人事のような言い方で大変恐縮だが、信者数や活動規模を水増し発表することが当たり前の宗教界にあって、常に外部から一方的な“過大評価”を受けることができるのは、オウム真理教の偉大な徳のなせる業だろうか。

 それにしても、やりすぎである。特にここ2カ月ほどの地域問題に端を発するオウム報道は、完全に暴走状態に突っ込んでいる。マスコミが煽り、各地の住民が騒ぎ、国民が沸き立つ。そして「国民の関心」を背景にマスコミが輪をかけて煽る……まさに4年前の悪循環の再現である。この騒ぎをだれも止めることはできないのか。

 少し前に「環境ホルモン」パニックが日本中を襲った。そのとき、国内で最初にこの問題に警告を発したある研究者は、専門的な見地から、過熱したセンセーショナルな報道を抑制し、冷静な議論に引き戻そうと必死に牽制を繰り返していた。これがスペシャリストの本来あるべき姿である。

 では、今のオウムパニックではどうか。もちろんそこには、曲がりなりにもオウム問題を数年来追いかけてきた“オウムウォッチャー”と称される冷静なスペシャリストたちがいる――はずであった。しかし、今回彼らは全く逆の役回りを演じてしまった。騒ぎを鎮静化させるどころか、火のないところに煙を焚き付け、その火の中に油や花火やダイナマイトをぶち込んで、今回のオウム騒動をヒステリックな国民的娯楽へと祭典化してしまったのである。

●“上祐秘密通達”

 「週刊文春」5月13日号で大々的に始まったオウム警告キャンペーン、“このままでは再び「サリン事件」が起きる”。その記念すべき第1弾の巻頭を飾ったのが、一連のオウム騒動の狂言回し、オウムウォッチャー有田芳生氏である。

 “オウムを野放しにしたのは誰だ!!”と題された、有田氏の署名記事冒頭で触れられているエピソードは、実はわたしと有田氏の間で、4月以来書面を通じて交わされてきた議論を前提としている。

 ことの発端はこうだ。

 日本テレビの日曜朝のワイドショー『Theサンデー+30』(4月4日放送)の中で、有田氏は次のように発言した

「上祐受刑囚が全国の信者たちにまた通達を出しているんですけども、今手に入れている物件、つまり北御牧村であるとか清里の物件について、『何としてでも死守せよ』と。教団最高幹部の意図として動いてるという理解をした方がいいと思うんですけどね」

 これにはわたしも驚いた。そんな通達、初めて聞いた

 もし、地域問題の責任者の一人であるわたしの知らないところで、そんなものが出回っているとすれば、いかにかつての直属の上司、マイトレーヤ正大師のご指示とは言え、一言忠言申し上げなければならない。北御牧や清里の住民が聞いたらひっくり返ってびっくりするだろう。現に有田氏は、両地域の住民集会に招かれて講演までしているというから、住民の側からすれば、信者の“侵入”を警戒して夜通しの張り込みだって辞さないに違いない。しかし――果たしてそんな通達が本当に存在するのだろうか?

●有田芳生氏への質問状

 わたしは「オウム真理教地域問題緊急対策室」の室長・広末晃敏との連名で、有田氏に質問状を送った。真相が知りたかったからである。

 有田氏に尋ねたのは次の点、「この通達が、いつ、どこで、どのようなかたちで上祐元緊急対策本部長のもとから発せられ、その後、いつ、どこで、どのようなかたちで全国の信者たちに対して伝達されたのか」――つまり有田情報のより詳細な中身である。。

 これに対して、※有田氏が4月19日付で寄越してきた回答は次のようなものであった。

 質問についてお答えいたします。
  1. 私の発言については、現役信者など複数の証言によるものです。
  2. 「サンデー」における発言について、清里の住民集会では語っておりません。
 私はこれまでもオウム真理教について取材を続けてきましたし、今後とも続けるつもりです。必要な場合には取材に応じていただくことを申し添えるものです。

 一読してわかるとおり、「質問についてお答えいたします」という有田氏の言葉に反して、これは全く“お答え”になっていない

 まず、「1」は取材源についての説明である。しかし――だれもそんなこと聞いていないぞ。ジャーナリズムにおいては“取材源の秘匿”が原則だ。だから質問状では「だれから聞いたのか」という点にはわたしはあえて立ち入らなかった(有田情報の出所など、おおよそ察しがついているということもありますが。取材と言うよりも“下請け”と言うべきでしょう)。

 にもかかわらず、有田氏は「現役信者など複数の証言」と、聞かれてもいない取材源をしたり顔で明らかにしてきたのである。

 「2」も非本質的かつ質問外のことである。何しろ、高視聴率を誇る「Theサンデー+30」での発言である。北御牧や清里の村民・町民がだれもこの番組を見聞きしていないということなどあり得ない以上、有田氏が住民集会で語ったかどうかは重要ではない。むしろ、テレビでの発言の方が何百倍も影響力を持つ。

 ということで、有田氏は、“上祐通達”の詳細を尋ねたこちらの肝心な質問には一切答えていないのである。これでは納得できません。わたしは有田氏の回答を踏まえて、最初の質問にいくつかの項目を追加し、改めて※2通目の質問状を送った。

(1) 貴殿はこの情報をどこから得ましたか。教団関係者、公安警察・公安調査庁関係者も含めて、貴殿が「複数の証言」と言うその情報源のすべてを明示してください。

(2) (1)の情報源が現役信者である場合は、出家・在家の別、教団内での立場・役割について明らかにしてください。

(3) (1)の情報源が現役信者である場合は、その信者がどのようにしてその情報を得たのか明らかにしてください。上祐元緊急対策本部長から直接的に指令を受けたのか、教団内での「通達」を見たのか、他の信者や公安関係者から間接的に聞いたのか、等々。

(4) 貴殿はこの情報をいつごろ得ましたか。(1)で提示した情報源別に時期を示してください。

(5) 貴殿はこの情報について何らかの裏付け作業を行ないましたか、それとも行なっていませんか。

(6) 行なったとすればどのような裏付け作業を行ないましたか。行なっていないとすれば、それはなぜですか。

(7) (5)(6)に関連して、情報の裏付けを取る際にはまず当事者に対して確認することが取材上の大原則であるにもかかわらず、今回貴殿が教団への確認を怠ったのはなぜですか。

(8) 貴殿は回答書の中で、「私はこれまでもオウム真理教について取材を続けてきましたし、今後とも続けるつもりです。必要な場合には取材に応じていただくことを申し添えるものです」と記しています。今回のような重大な問題こそ、まさに教団に直接取材すべきケースだったのではなかったかと思われますが、これについて貴殿の見解は。

(9) 貴殿の言う通達とは、いつ、どこで、どのようなかたちで上祐元緊急対策本部長のもとから発せられ、その後、いつ、どこで、どのようなかたちで全国の信者たちに伝達されたのですか。

●有田芳生氏の逃げ口上

 先述のとおり、もともとわたしは「取材源の秘匿」というジャーナリストの聖域を侵すつもりはなかった。しかし、どういうつもりか、こちらが尋ねもしていないのに有田氏の方から一方的に情報を開示してきたので、今回2通目の質問状では情報の出所ももう少し正確に白状してもらおうと考えた。もちろん、あくまでおまけの質問に過ぎない。

 そして、回答期限から遅れること5日、※有田氏が送ってきた書面は文字どおりの回答拒否通告だった。

「情報源の特定につながるような質問には、当然のことながら、前回回答以上のことをお知らせするわけにはまいりません。あなた方は私に対して『誠意』などという言葉を使って『回答』を求めてきました。ところが、あなた方がその一方で行っていることは、私に対するホームページを使っての口ぎたない誹謗・中傷です。『誠意』だけではなく最低限の品格さえ喪失しているあなた方が他人に『誠意』を求めることは本末転倒もはなはだしいと考えます。
 以上、回答いたします。なお、この件についてこれ以上の対応はいたしません。」

 性懲りもない捨てゼリフが、いかにも有田氏らしい。

 くどいようだが、最初に「情報源の特定につながる」回答を示してきたのは有田氏の方だった。ところが今度は“取材源の秘匿”を盾に逃げ口上を打ち、それを全面回答拒絶の口実として完全に居直ってしまったのである。何としたたかなことだろう。まさに論点すり替えの詐術である。どっちが本末転倒だか。有田氏の“アクロバット的”な打ち切り宣言を手にして、わたしは途方に暮れてしまった。

 まさにその直後のことである。「週刊文春」5月13日号の有田氏の寄稿について知らされたのは。その中で有田氏は、何と、※わたしへの書面の中で避け続けていた質問について言及していたのだった。

『私は複数の現役信者から、“上祐通達”に関して証言を得ています。現在、広島刑務所で服役中の上祐受刑者とコンタクトをとるため、養子縁組を行った信者が伝令となって、教団組織に伝えられたものと聞いています。』
(「週刊文春」5月13日号)

 出てきた出てきた、ようやく出てきた。「養子縁組を行った信者が伝令となった」――これが聞きたかったのである。「オウムからの質問に答えても一文にもならないから、同じ書くなら商業誌で」と有田氏が考えたかどうかは知らないが、ともかく本人の口を開かせることができたことで、わたしの質問状も無駄ではなかった。これでようやく議論と検証ができるというものである。

 それでは早速反論に移ろう。有田氏には気の毒だが、これは決定的にして最終的な反論である。さあ、もう逃がさないからね。

●暴かれた有田芳生氏のウソ

 有田氏は“上祐通達”の指令伝達経路として「養子縁組を行った信者」を特定し、断定している。しかし、この養子信者は、昨年8月のマイトレーヤ正大師の実刑確定以降、「教育上の理由」により正大師との接見を禁止されている。文書のやりとりも含めて、一切のコンタクトをとることができないのである。養子信者とマイトレーヤ正大師は、昨年12月、この接見禁止処分を違法として国に対する損害賠償請求訴訟まで提起しているが、現在に至っても接見禁止状態は続いている。

 この一事をもって、有田氏の議論の前提――「養子信者が伝令を務めた」――は完全に崩壊する。念のために説明しておくと、マイトレーヤ正大師と養子信者との接見が認められていた昨年8月以前は、有田氏が引き合いに出している「北御牧村や清里の物件」をめぐるトラブルなど全く発生していなかったばかりか、いずれも信者の所有物件にすらなっていなかった。有田氏が、“上祐通達”が発信された「時期」について全く言及していないのはこういう事情による。話の辻褄の合う時期など存在し得ないのである。

 しかし、有田氏も実に稚拙なミスを仕出かしたものだ。養子信者の接見が禁止されているという事実は、98年12月29日付の毎日新聞社会面でも報じられている。オウムウォッチャーというが、一体、毎日何をウォッチしているのか。あるいは有田氏が単に思考を停止して、彼の本当のネタ元=公安調査庁の話を鵜呑みにした結果に過ぎないのかもしれない。そんなに公安情報が好きならば、オウムウォッチャーの名前を返上して、これからは“公調ウォッチャー”とでも名乗ればいい。

●踊る茶の間の電波芸?

 反論の要点は以上である。

 ところで有田氏は、文春の記事の中で、「オウム側は“取材源を明らかにせよ”と配達証明を送り付けてきた」などと述べ、わたしたちの問いかけを「揚げ足取りの質問状」と決め付けて悪態をついている。

 しかし、重ねて言うが、尋ねてもいない取材源を最初に明らかにしてきたのは有田氏の方である。わたしの質問の要点は一貫して「“上祐通達”の情報の詳細を示せ」ということであった。有田氏のトリックには引っかかるまい。

 また、有田氏はわたしの質問状を「揚げ足取り」と評しているが、果たしてそうであろうか。

 有田氏がスクープ的に持ち出してきた“上祐通達”なるものが本当に存在するのかしないのか、それを問うているわけである。「文書の形をとっているわけではないので、一言一句、上祐受刑者が言った通りなのかはわかりません」と自ら言っているとおり、有田氏自身もその通達を直接見たわけではないらしい。その通達の存在に根本的な疑問を有しているわたしたちの質問が、一体どうして揚げ足取りになるのだろうか。わたしがもし北御牧村や清里の住人だったら、絶対に確かめたいことである。

 地元住民との冷静な対話を求めている教団にとっても同じことが言える。一連の地域問題全般に渡って、地元との相互の信頼と信用が懸かったとても重大な問題なのである。わたしがこの問題にこだわり続けるゆえんである。

 また有田氏は、「オウムは、私が清里の反対派住民の集会で、テレビと同じ趣旨の発言をしたと思い込んでいる」が、「“上祐通達”を知る前だったので、当然その話はしていない」と書いている。しかし、これも変な話である。

 わざわざ住民集会に招かれて講演するほど反対派に理解があり、運動にコミットしているのであれば、講演のあとであれ、“最高幹部の秘密指令”という爆弾情報を得た時点ですぐさま住民に知らせるぐらいのことは考えなかったのか。わたしが有田氏の立場なら絶対知らせる。そうでなければ無責任である。もちろん、有田氏が“オオカミ電波中年”としてコメント芸の一つとしてこの情報を全国の茶の間に披露したというのなら話は全く別である。

●“オウム警告キャンペーン”の終着点

 「週刊文春」5月13日号の巻頭を飾って、華々しく始まった「オウム警告キャンペーン このままでは再び『サリン事件』が起きる」の第1弾、有田芳生特別寄稿の1ページ目の冒頭が、この体たらくである。残りの記事も、次号以降連発されるであろう諸々の企画も、これでは底が知れているというものだ。

 有田氏は少し前まで、オウム問題を解決するために、欧米にならって日本も「カルト法」を制定すべし、と連呼していた。ところが今回の記事では、「カルト法は、すべての宗教団体のコンセンサスを得るのは、現実問題として難しい」とあっさりそのアイディアを撤回、代わりに持ち出してきたのが、「超党派によるオウム真理教対策特別立法の制定」である。「教団の資金源に法の網をかけ、教団に金が吸い上げられる仕組みを断つ」「これなら信者の思想・信条に立ち入るわけではない」――果たして有田氏は、本気でこういうことを考えているのであろうか。オウム事件から4年、かつて職業革命家を目指したという有田氏も、権力者的発想がなかなか板に付いてきたようだ。

 さあ、やれるものならやってみなさい。そのときこそ、日本の民主主義がまさに断末魔を上げて絶命する時である。そしてそのとき、麻原尊師の「亡国日本の悲しみ」がいよいよ現実のものとなる。われら信者は予言の成就に喝采を送ることだろう。尊師の逮捕から、ちょうど今日で4年が過ぎた。あっ晴れである。

※「Theサンデー+30」4月4日放送での有田発言をめぐっては、以下の文書を参照。

http://aum-internet.org/kintai/takane/kaito.html/takane/990407a.html
http://aum-internet.org/kintai/takane/kaito.html
http://aum-internet.org/kintai/takane/kaito.html
http://aum-internet.org/kintai/takane/kaito2.html

※「週刊文春」5月13日号の有田氏の記事に関しては、現在返事待ち。
http://aum-internet.org/kintai/takane/yokyu.html


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