読売新聞より


松本智津夫被告第85・86回公判法廷詳報 「地下鉄事件」林泰男被告が証言
1998.07.04 東京朝刊 37頁 (全4459字)



 ◆「サリン、一生納得できぬ」

 オウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫被告(43)の第八十五、八十六回公判は、それぞれ二日と三日、東京地裁刑事七部(阿部文洋裁判長)で開かれ、教団「科学技術省次官」林泰男(40)、同・藤永孝三(37)両被告らに対する国選弁護団の反対尋問が行われた。林被告への尋問は十一回を重ねてようやく終了、同被告は地下鉄サリン事件が捜査妨害の目的で計画、実行されたことに、「一生納得できないと思う」と述べた。藤永被告は、松本サリン事件以前にも、松本被告の指示で三、四回、噴霧車を製作したと証言した。三日の傍聴希望者は九十四人にとどまり、一九九六年四月の初公判以来、初めて百人を切った。

 1 恐怖心

 ◆破戒への制裁逃れるため

 二日は午前中、松本サリン事件で使われたサリン噴霧装置を鑑定した科学警察研究所の女性研究員に対する国選弁護団の反対尋問が行われ、林泰男被告は午後一時十五分に出廷した。

 弁護人は、林被告が地下鉄にサリンをまいた理由について、変わった角度から尋ねた。

 「オウムの人は、信徒でない人を何と呼んでいましたか」

 「凡夫(ぼんぷ)と呼んでいました」

 「この言葉を、『真理に目覚めていない価値の低い人』という意味で使っていたんじゃないの?」

 「私はそういうつもりじゃなかった」

 「『文芸春秋』のインタビュー記事で、元信徒が『凡夫は地獄に落ちるんだ』と言っている。こういうふうに外の世界を見ていたんじゃないの?」

 「外の世界は『汚れた世界』という見方は根付いていたと思います」

 弁護人は、信者全体が社会を敵視していたと、認めさせようとしていた。

 「(地下鉄事件の実行犯の)林郁夫さん(元被告)が、手記で『私たちがサリンをまくことで、強制捜査の矛先を変えれば、ポアされる人たちも功徳を積むことになる』と言っている。あなたたちは、『真理に目覚めない世界の人を、私たち尊い世界に目覚めた人が、より正しい世界に導いていく』という観念を抱いていたんじゃないか」

 「それはあります。仏教を広め、すべての人を仏道にと」。林被告は答えた。

 弁護人には、実行犯がそれぞれに一般人を殺害する動機を持っていたことを印象付けて、事件と松本被告を切り離す狙いがあった。弁護人はさらに聞いた。

 「あなたが、(指示を断った場合の)制裁の恐怖のためにこの事件に関与したと説明しているので、聞きます。実は歴史的に見ても、自己の身体への恐怖のために無差別殺人をやった例なんてないんです」

 「はい」と林被告。

 「宗教上の理由の無差別殺人は多々あります。結局、あなたは、閉鎖的な集団から追放される恐怖を身体的な恐怖と言っているだけで、『凡夫の世界を真理で覆う』という使命感に基づいて、本件に至ったのではないですか」

 「そういう思いはなかったですね」。林被告はきっぱりと否定した。

 弁護人は、「全く?」と念を押したが、林被告は「はい」と言い切った。

 弁護人が交代した。

 「あなたは、『地下鉄事件当時、戒律を破って恋人と交際していたので、前に殺された信者のように、懲罰を受けることを恐れていた』と証言したね」

 「はい」

 「井上さん(嘉浩被告)が、禁欲の戒律を破っていたのは周知の事実で、麻原さんもそれを説法で言っていたんじゃないですか」

 「はい、それに近いことを言っていました」

 弁護人は「井上さんは殺されましたか」と、突き放すように尋ね、林被告の言う「制裁の恐怖感」には現実味がないと指摘した。

 さらに弁護人は、一年半にわたって逃亡生活をしていた林被告が、教団でもらった松本被告の毛髪を逮捕の一か月前まで持っていたことや、仲間の逃走を支援していたことを挙げて、林被告の犯行動機も宗教的確信にあったのではないかと迫った。続く弁護人も同じような尋問を続けたが、林被告はこう答えた。

 「恐怖心からやったと言っても分かってもらえないのは分かります。しかし、考えるとどうしても恐怖心にたどり着くんです」

 2 ホーム

 ◆「多くの人が死んだ 私の罪、非常に重い」

 次に弁護人は、林被告がサリンをまく直前の行動の確認に移った。林被告は営団地下鉄日比谷線の上野駅で乗車したが、犯行をためらって一駅先の仲御徒町駅で下車し、駅周辺を歩き回ったと証言している。

 「午前八時十五分前に(仲御徒町)駅に戻ったのですね」

 「はい」

 「反対側のホームとの間を、行き来したという話でしたね」。犯行時間が近付き、林被告はじっとしていられなかったと言っていた。

 「書いてもらった仲御徒町駅の図面では、真ん中に線路があって、反対側に行くためには、階段を上り下りしなければいけないと」

 「はい」

 「あなたの調書では、上野駅でホームを行き来したと言っているが、(仲御徒町という)今の記憶の方が正確なんですね」

 「私の記憶ではそうなっています」

 「私も行ってみたが、仲御徒町駅はホームが島のようになっていて、真ん中に線路はないんですよ!」

 弁護人はこの事実を林被告の証言を崩す切り札としてぶつけたようだ。

 林被告は少し驚いたように、「あー、そうですか」と答えた。弁護人は「あなたの記憶には客観的な間違いがある」と攻め立てた。

 「(当時は)興奮していたので、そのころの記憶はどれもはっきりしない」と林被告。

 「本当は仲御徒町駅で下りていないんじゃないか」

 「いえ、はっきりと覚えています」

 「あなたは自分の記憶が客観的事実と違うことは否定しませんね」

 「全部の事実が自分の記憶通りと言うつもりはありません」。林被告は、言い繕いはしなかった。

 長かった林被告への尋問も終わりが近付き、主任弁護人がまとめに入った。

 「(九六年五月の)破壊活動防止法の弁明で、麻原さんは、(逃亡中の)あなたに直接、出頭を呼びかけることはしなかった。なぜなら、呼びかければ必ずあなたは出てきて、死刑になってしまうと思ったからだ。それほどあなたを信頼していた。しかし、あなたは麻原さんに嫌悪感、不信感を持っていたと言う。あなたは自分の気持ちを隠すのにたけているとしか思えない」

 「当時、自分の心を隠していたのは事実です」

 林被告は答えた。

 「今はそういうことはないんですか」

 「そういうことがみじんもないように心掛けて証言しています」

 さらに弁護人は、林被告らが松本被告に地下鉄事件の報告に行った時のことを聞いた。

 「三月二十日の夕方、第六サティアン一階で、麻原さんに会ったんですね」

 「はい」

 「その際、これで強制捜査が延びるといった話は?」

 「なかったと思います」

 「強制捜査が延びるかどうかが重要だったのにその話が出なかったのか」

 主任弁護人は速射砲のように質問を繰り出す。

 「サリンを使えばオウムが疑われると思っていたのではないですか」

 「私はそう思っていました」と林被告は答えた。

 「(強制捜査の)『招き猫』と言った人もいた。教祖の麻原さんはそのようなことに気付かないばかな人だったのか」

 主任弁護人は、「強制捜査を遅らせるため」とする検察側の構図に疑問を投げかけていた。

 「犯行の目的と結果を、あなたは納得できるんですか」。この問いに林被告は「一生納得できないと思う。多くの人を死に至らしめたのだから」と答えた。

 「ばかばかしいと思いませんか」

 「私の罪は非常に重たいものです。そういう言葉は使えないです」

 延べ四十一時間にのぼった林泰男被告の証人尋問は、終わった。閉廷は午後五時十二分。

 3 噴霧車

 ◆「松本サリン」藤永孝三被告証言  「事件前に3、4回作った」

 三日の公判は、朝から藤永被告の尋問だったが、弁護人は入信の経緯から細かな質問を重ね、本題のサリン噴霧車製造に触れたのは午後二時過ぎだった。

 「松本サリン事件以外に、噴霧車製造に何回かかわったのですか」

 「三、四回あったかも知れません」

 藤永被告の答えはほとんどがあいまいだった。

 「最初にかかわったのは」

 「分かりません」

 「ほかの被告の調書によると、最初は九〇年六月とある。だれからの指示なの?」

 「覚えていません」

 「次は九三年の五月。指示はだれから?」

 これには藤永被告が「上祐さん(史浩被告)です」と答えた。

 弁護人は「村井さん(秀夫幹部)ではないんですか」と確認したが、藤永被告は首を振った。

 松本サリン事件でも「村井暴走説」を描いているのか、弁護団はさらに、こんな質問をした。

 「あなたも部下に指示を出すことがあるでしょう。その場合、麻原さんから直接指示がなくても、『これは麻原さんの指示ですよ』と仕事を頼むことはあるの」

 「ないに等しいが、意思としては伝える……」

 「例えば、村井さんがあなたに指示を出す場合、『これは麻原さんの意思ですよ』ということは」

 「それはあります」

 その答えにうなずいた弁護人は、別の部署から藤永被告の配下に入った信者の名前を挙げて、「この異動はだれの指示で決まったのか」と尋ねた。

 藤永被告は「村井さんが麻原に確認を取ったはずです。人事異動なので」と答えた。

 「人事決定権はすべて麻原さんにあるという意味ですか」と弁護人が聞くと、「はい。最終的には」と藤永被告。

 尋問は九四年六月の省庁制発足時のことに移った。藤永被告は「科学技術省次官」に就任している。

 「次官はだれが決めたの」

 「(大臣の)村井さんが上げて、松本のOKを得ている」

 弁護人は、新実智光被告の調書に「自分が自治省大臣に選ばれた後、二人を次官に選んだ」とあることを持ち出して、「次官は大臣が決めていたんじゃないの」と聞いた。これに対し藤永被告は、「それはそうです。大臣に選ばせておいて、最終的に決めるのは松本です。そうじゃないと教団の統制は取れない」と述べた。

 「教団には『村井時間』というのがあるんですね」

 弁護人は話題を変えた。

 「はい。(村井幹部の宗教名から)マンジュシュリータイムと呼ばれていました」

 藤永被告によると、村井幹部は、松本被告の指示がとても期限に間に合わないようなむちゃなものでも二つ返事で受け入れてしまう。それで、到底実現できない期限を信者間でそう呼ぶようになったという。

 「噴霧車の加湿器を一週間で作れというのもマンジュシュリータイムですか」。弁護人の問いに、「はい」と藤永被告は答えた。

 弁護人の尋問で浮かび上がったのは、松本被告の絶大な権限と村井幹部の「イエスマン」ぶりだった。

 この二日間、松本被告は居眠りが多く、裁判長から再三、「背筋をちゃんとしなさい」と注意された。閉廷は午後五時。

 図=髪を少し切った松本被告は、ポロシャツ姿で尋問を聞いていた(2日、スケッチ ウノ・カマキリ)