富山地方裁判所平成10年6月19日判決
(判例タイムズ980号278頁)
(UP2002年10月25日)

 宗教法人明覚寺の行ってきたいわゆる霊視商法に関し、僧侶が病気治癒を願う相談者に供養料を支払わせた行為につき、詐欺罪の成立が認められた事例







       主   文

 被告人を懲役二年に処する。
 未決勾留日数中一五〇日を右刑に算入する。
 この裁判確定の日から四年間刑の執行を猶予する。
 訴訟費用は被告人の負担とする。

       理   由

(犯罪事実)
 被告人は、宗教法人△△寺(登記簿上の主たる事務所所在地は和歌山県海南市黒江〈番地略〉。実際の事務所所在地は和歌山県伊都郡高野町大字高野山〈番地略〉。代表役員はE、平成五年三月八日Gに変更。)が平成六年六月ころ富山市八人町〈番地略〉に系列寺院として開設した富山別院「××院」に、平成七年九月から僧侶として勤務していたものであるが、「秘法鬼業鑑定」「修行を重ねた僧侶が悩みの根源を鑑定」「霊能が決め手」「施法による奇跡のご霊験」「当院僧侶は、伝統密教を継承している覚王院秘流の霊能資格を相承しています。当院僧侶の施法(神秘お加持)には、必ずご霊験があります。」などと△△寺が記載し作成頒布した霊能による病気治癒等を標榜する悩み事相談の勧誘文書を見て悩み事を解消しようと××院を訪れる相談者から、供養料などの名目で金員をだまし取ろうと企て、××院の住職のaことAらと共謀のうえ、

 一 平成七年九月一七日午後三時ころ、××院において、長女の病気を悩み、その治癒を願って相談に訪れた甲野春子(五一歳)に対し、被告人が、甲野やその家族に成仏していない霊が影響を及ぼしているか否か及びその霊の種類などについて識別したり、その霊を成仏させて右悩み事を解消する能力がないのに、あるように装い、「水子が供養されていない。供養してあげたら病気も良くなる。「水子供養には五〇万円かかる。」「放っておいても治らない。供養すれば病気が治る。」などと述べ、甲野やその家族に水子の霊が影響を及ぼしており、供養料を支払って供養しなければ病気が治らず、供養すれば治る旨虚構の事実を告げて甲野を欺き、その旨誤信した甲野から、同月二〇日、同所において、供養料の名目で現金五〇万円をだまし取った

 二 同月二一日、右××院において、前記の事情により誤信に陥っていた甲野春子に対し、被告人が、前同様に装い、書かれた文字がにじみ出ている紙塔婆を見ながら、「先祖に供養されていない人がいるからこのように出る。先祖の供養をしてあげれば先祖が守ってくれる。供養してあげないと病気も治らない。」「娘さんは乙川家と甲野家の両方の血を受け継いでいるので、両方の供養をするのに五〇万円ずつで一〇〇万円かかる。」「供養すれば娘さんの病気も治る。」などと述べ、甲野やその家族に先祖の霊が影響を及ぼしており、供養料を支払って供養しなければ病気が治らず、供養すれば治る旨虚構の事実を告げて甲野を欺き、供養料を支払うよう要求し、さらに、Aが、前同様に装い、前記の紙塔婆を見ながら、「ご先祖さんが示している。水子は供養されたからきれいになった。先祖も供養すればきれいになる。供養したら病気も良くなるし守ってくれる。」などと前同様の虚構の事実を告げて甲野を欺き、その旨誤信した甲野から、同月二二日、同所において、供養料の名目で現金五〇万円をだまし取ったものである。


(証拠)〈省略〉

(適用法令)〈省略〉

(補足説明)

 被告人は、自己が霊能僧侶であって、加持祈祷をする能力があり、相談者の霊障について仏の啓示を受ける能力もある、甲野に対して水子や先祖の供養をする必要性について説明したが、虚構の事実は告げていない、Aらと共謀していない旨主張し、弁護人も、これと同旨の理由により被告人は無罪であり、本件起訴は公訴権濫用に当たると主張する。以下検討する。


一 甲野春子に対する本件各行為について
1 証人甲野春子、同甲野夏美の各証言及び関係証拠によれば、(一)春子と長女の夏美は、夏美が高校三年生のころから夜尿症になり、病院に行ったが原因が分からず治らないことに悩んでいたところ、新聞の折り込みチラシを見て××院に相談に行くことを決心したこと、右折り込みチラシのうち、「見えない世界の謎を解明する真言密教運命転換道場」「修行を重ねた僧侶が悩みの根源を鑑定」「因縁をみる、業をみる、霊障をみる」「当派秘流の霊能を相承する当院僧侶」「現象化する神変加持力」「施法による奇跡のご霊験」「霊能が決め手」などの見出しを見て、春子らは、霊能力のある僧侶が病気を治してくれると思ったもので、更に同チラシには、「霊能を備えた僧侶の定力と呪力と念力が集約された『神変加持力』による根源エネルギーの注入(神秘お加持)が必要」「霊能僧侶の施法する『神秘お加持』で、ほとんど治癒されないものはありません。」「当院僧侶の施法(神秘お加持)には、必ずご霊験があります。」などの記載があり、大きい活字で「悪霊ばらい」「霊障はずし」「病魔調伏」などの記載もあること(なお、甲野方の購読紙には××院のチラシが数回折り込み配付されていたが、甲一三、一四、一九号証により認められる配付の時期及び種類、春子から本件の一週間ほど前に見せられたとする夏美証言及び記載内容についての右証人両名の具体的な証言を総合すると、本件の際春子らが見たチラシは前掲のような記載のある甲一四六号証の添付資料1と同じ種類と認められる。そして、被告人は、相談者から見せられるなどして、右チラシ又はこれとほぼ同様の他のチラシの記載内容を知っていたことが認められる。) (二)春子は、電話で相談を申し込み、九月一七日に夏美と一緒に××院を訪れ、娘が成人になっても夜尿症が治らないと悩みを相談したところ、被告人が、夏美の姓名とその画数を書いた紙を示しながら、「水子が供養されてませんね。」「供養されていない水子が早く成仏したくて障っています、気付いてもらいたくて病気を引き起こしています。」「早く供養してあげなさい、そうしたら病気も良くなりますよ。」「水子の供養は五〇万円です。供養すればすぐ位牌を建てて四九日お参りして、永代供養として高野山へ持っていきます。」「一年一万円と思えば五〇万円でも安い。」などと説明し、春子や夏美が高額なので躊躇し、家へ帰って相談したいと言うと、「ほうぼう回ってきて治らなかったからこのお寺へ来たんでしょう。早く供養して早く治したいでしょう。」「治したいから来たんでしょう。」「放っておいても治らないでしょう。」と申し向け、「供養すれば治りますか。」と訊ねた春子に対し、「治りますよ。」と答えたこと、これにより、甲野母子は、五〇万円を払って供養すれば夏美の病気が治ると信じ、九月二〇日から三日間にわたって開かれた浄霊修法会に春子が出席して、その初日に被告人に五〇万円を渡したこと (三)浄霊修法会において、春子は、二〇日は被告人に言われて家系図を書き、A住職の講話を聴き、翌二一日は流水潅頂の儀式に参加し、甲野家及び春子の実家の先祖霊(変死犠牲霊)や水子霊(子供犠牲霊)などの文字を合計六枚の短冊状の紙塔婆に筆ペンで書き、これを水の入ったコップに入れて浸し、被告人が浄霊導師として読経し、その後の個人面談において、被告人が甲野に対し、先祖霊(変死犠牲霊)の紙塔婆に書かれた文字が赤くにじんでいるのを示しながら、「水子の方は供養をしたからきれいでしょう。先祖に供養をされていない人がいるから、この紙はにじんで汚いんですよ。先祖の供養をしてあげれば先祖が守ってくれます。病気も早く良くなりますよ。供養をしないと治らないでしょう。」「娘さんは甲野家と乙川家の両方の血を受け継いでいるから、両方の供養をしてあげなさい。五〇万円ずつです。」などと申し向け、一〇〇万円と提示されて考え込んだ春子に対し、「考えることないでしょう、供養すれば娘さんも幸せになれるんだから。」と勧め、やがてA住職が入室して来て、前記の紙塔婆を見て、「この赤くたくさん出ているのは供養されていないからと思います。汚いでしょう。」「ご先祖さんが示しているじゃない、ここにこうして現われているでしょう。水子は供養されたからきれいになったし、先祖も供養したらきれいになる。供養したら病気も良くなるし守ってくれます。」「供養を私たちに任せなさい。願いを叶えたいなら、精一杯の供養をしてあげなさい。」などと申し向け、A住職が退室した後に被告人が、「住職の言ったとおりですよ。ここで供養しなさい。私たちは強制しませんよ。」などと説得した結果、春子は、両名の言葉どおり供養すれば娘の病気が治ると信じて、次女名義の定期預金を解約した五〇万円を、翌二二日××院の女子職員に渡し、その直後に被告人と会い「五〇万円しか用意できませんでした。」と説明したこと(四)その後も、甲野母子は、××院での週参りの修行や高野山の△△寺本山での尽誠すがり行にも参加し、落慶法要仏の勧進として四〇〇万円を支払うなどしたが、加持を受けた日の夜にも夜尿症が出るなど一向に病気が治る様子がないため、供養や加持などについての被告人らの能力や説明に対し、次第に疑問を持つようになっていったことの事実が認められる。

2 これに対して、被告人は、公判において、「病気の原因がこれだとは言っていない。」「夜尿症を早く治すことも大切だが、水子を供養することがそれ以前の大切なことだと言った。」「水子の供養をしないで病気を良くしてくれというのは違うのではないかと言った。」「供養すればすぐ良くなるとは言っていない。」(二四回公判調書一四〇、一四二、一四六頁)、「先祖の供養をしなければ病気が治らないと言ってはいない。」(二五回公判調書二三一頁)と文言の一部を否認するが、他方、相談申込書を見て、あるいは面談をしているうち、相談者(春子)に水子がありその供養をしていないんだなというのが「ぴんときた」(二四回公判調書一四一、二五回公判調書一九四、一九九頁)、水子が供養されていないのも病気の原因の一つであるとは言った(二五回公判調書二二二、二二三頁)、春子から「供養をすれば治りますか。」と訊かれて「必ず良くなられると思います。」と答えた(二五回公判調書二二四頁)、先祖に供養されていない人がいるから紙塔婆ににじみが出ると説明した(二五回公判調書二六四頁)ことは認めている。このような被告人の公判供述からも、被告人が病気の治癒と明確に関係づけて水子供養の必要性を説き、供養をすれば治癒すると述べたことは疑いをいれない。

3 そして、春子と夏美が高額な供養料に躊躇したものの結局支払うことを決心したのは、前記のとおり、チラシに、僧侶が悩みの根源を鑑定し治癒、病魔調伏など「奇跡のご霊験」が得られるかのように記載されていた上、被告人から「霊が影響して病気になっている。」「放っておいても治らない。」「供養すれば治る」と断言されたからであり、また、九月一七日の面談では水子供養に五〇万円かかることだけを言われており、それだけでは治るとは限らずそれ以外にも原因があるとか他の供養も必要になり得ること、例えば変死犠牲霊も原因として問題となりその供養を要するかもしれないことについては何ら説明されていなかったことなどの事情について、春子と夏美の各証言は、具体的に詳しく述べており、内容も自然であって十分信用することができる。4したがって、被告人において、病気の原因を鑑定でき、供養料の支払い (及びこれと結びついた行事への参加)によって確実に病気の治癒という結果が得られると相手方を信用させるような文言を用いたことが優に認定できる。


二 被告人の霊能力について
 被告人は、「△△寺僧侶として加持祈祷の能力は当然に保有しており」「甲野の霊障について仏の啓示を受けそれを伝えることは十分できた」旨主張する(被告人の「意見陳述の要旨」及び公判供述)。弁護人も、真言宗の教義において霊能力とは「身口意三密の秘法が発揮せしめる霊験をもたらす力」すなわち「神変加持力」であり、被告人ら僧侶は行院での教育を受けて法を伝授され、霊能を相承している、と主張する。

1 △△寺僧侶の修行研修の実態
(一)被告人の公判供述など関係証拠によれば、被告人は、いくつかの宗教団体の信者の経験を経て、平成六年一一月××院に相談に行ったことを契機に、△△寺の僧侶になることを決心し、同月下旬の一週間△△寺の東京本部で、その後の二か月間横浜の行院で教育を受けたが、その内容として、僧侶としての心構え作法、読経や真言の唱え方、鬼業即知法や加持作法の次第(一時間程度)などの講義のほか、入信面談の仕方については講義や模擬練習(ロールプレイング)が行われていたこと、平成七年二月から八月まで××院や大阪市内の系列寺院に僧侶として勤務し、九月から再び××院に勤務して本件に至ったことが認められる。
(二)ところで、被告人と同時期に行院で研修を受けたBの証言及び甲一五四号証によれば、入信面談の講義や練習においては「必ず救えると言い切る、断言する」「金が足りなければ借金させてでも供養してもらう」などと教えられており、相談者に供養を決めさせるための話術訓練が中心であって、同証人は霊障を見極めたり成仏させるなど霊能を身につけるための特別な修行を受けたとは思わず、行院を出た後大阪の系列寺院や××院で入信教師を経験したが、そのような能力を得たとは思っていないことが認められる。
(三)やはり××院の僧侶であったCの証言によれば、研修において、入信面談の模擬練習で悩みの原因及び供養した場合と供養しない場合の結果について断言するよう指導され、Cは、その指導やトーク集などのマニュアルに従って、大体どこの家系にも水子はいるとして入信面談の八割くらいについて水子が原因であると決め、悩み事の真の原因など分からないまま「水子が成仏していない」「このままだと悪くなる」などと相談者に説明していたこと、後記Dと同様の霊能相承を認める書類を授与されたが、自分が霊能力を身につけたと思ったことはないことが認められる。
(四)また、Dの証言及び甲一五二号証によれば、同人は、平成六年七月に××院に悩み事の相談に行き、翌月から××院のパート職員となり、一〇月ころから信者にお経や真言を教える教化の仕事も任されるようになったが、読経の仕方は習ったものの加持祈祷は習わないまま、平成七年三月一日にE門主から僧侶として権律師に任命され、直後から入信面談を担当することになり、更に同月三〇日には全体会議の席で、「覚王院Eの霊能相承を認め済世利民の為の施法を許可する。」と書かれた「相承の事」を授与され、E門主から「お加持作法ができますか。」と訊ねられたDが「できません。」と答えると、「帰ってからA住職から習うように。」と言われ、研修に行ったこともなく霊能力などない自分が授与されたことに戸惑い、他の僧侶の霊能力についても疑問に思ったこと、入信面談の仕方については、A住職から「言い切ること」「こうしたら良くなる、このままでは悪くなる」と述べるように、また、当日内金をもらい、遅くとも浄霊修法会が始まるまでに入金させればキャンセル防止になるなどと指導されていたことが認められる。
(五)本件当時の住職であり被告人と共に甲野春子に対して供養料支払いを勧めたAの証言によれば、同人は、系列寺院で研修及び修行中、因縁透視で悩みの原因が分かるから霊が見えるとか成仏していないなどと断言するように指導を受けたが、自分にはそのような能力はないと思った(一三回公判調書一一二頁)、加持作法ができないDが相承の事を授与されるとは思っていなかった(一四回公判調書八六頁)、チラシに書かれているような霊能のうち霊障について啓示を受ける能力はないと思っている(一四回公判調書一一一、一一八頁)ことが認められる。
(六) △△寺のロールプレイングなどの研修では、「恐怖と利益」(水子など霊障が成仏しておらず、供養しない限り悩み事は解決されず悪化していが、供養すれば解決する旨)を強調して入信面談を進めるよう指導されており、相談者の不安を煽り供養を早く決断させる目的があったことはCらの証言など前掲証拠によって明らかである。これについて、△△寺僧侶のF証人は、右にいう「恐怖」とは相談者が寺に来るとき抱えている困り事を指すに過ぎない旨説明し、被告人も、はっきり聞いたことがないように供述しているが、いずれも信用できない。むしろ、△△寺門主のE証人は、「恐怖と利益」につき、「教えに入れば天国に行き、入らなければ地獄に落ちる」と教化するのは宗教の基本であるとして肯定し、入信面談でもそういう話をするよう指導していると証言しているのであって(二三回公判調書二三一頁)、△△寺僧侶が前記のような話術訓練を受け実行していたとするB・Cらの前記証言を裏付けるものといえる。
(七)以上を総合すると、被告人と同様に行院で教育を受けたり系列寺院で修行をした△△寺所属の右各僧侶は、相談者の悩み事の原因について、霊障が原因であると見極めたりその旨の啓示を受ける能力などなく、そのための特別な修行を受けたこともないのに、他の僧侶による指導やマニュアルなどを参考にして、入信面談などの際、水子霊や先祖霊が影響しており、霊を供養すれば良くなるが供養しないともっと悪くなる旨申し向けていたこと、「霊能相承」は加持祈祷の作法ができない者にまで与えられていることが明らかである。

2 相談者に対する僧侶の行動の実態と供養料発生の仕組み
(一)その概要
 △△寺においては、供養料(財施)発生に至る仕組みが定められており、新聞折り込みのチラシや信者が配布する護符を見て電話で申し込んでくる相談者に対し、事務職員らが悩み事の内容や家族関係などを聴取し、予約した日に相談者が寺を訪れると、入信教師が鬼業即知法によって相談者に関わる因縁、霊障を説明して供養料(荒神祭祠料六五万円)を支払うように説得し、次の浄霊修法会では導師が流水潅頂の儀式を行って更なる霊障の指摘と供養料(先祖犠牲霊供養一家につき五〇万円)の支払いを説得し、その後に週参りや高野山の△△寺本山での尽誠すがり行にも参加させ、供養料の支払いや仏像勧進などを勧めることとされていた。△△寺本部が系列寺院の動向を把握するため作成していた「入信・教化動向(ワン・ツー・スリー)」と題する文書(甲三四号証)では、入信面談での供養を「ワン発生」、浄霊修法会での供養を「ツー発生」、尽誠行などでの供養を「スリー発生」と称していた。そして、寺院、入信教師、浄霊導師毎に供養額によって順位付けや考課が行われ、「入信教師対象行結果表」(甲一五二号証資料二六)を例にとると、「相談者一人当平均供養額五〇万」を目標額とした考課指標計算式が定められており、入信率五〇パーセント未満の入信教師は「不適格」とされ(甲一五三号証資料一三)、供養発生額が少ないと降格・減給される仕組みになっていた(A証言一三回公判調書一九六頁)。このような僧侶の目標数値や順位成績表は各寺院に送付され、被告人も知っていた(二五回公判調書一六二頁)。
(二)鬼業即知法
 入信面談では、入信教師が相談者の姓名の字画の組み合わせによって因縁霊障を特定し説明する。「鬼業即知法」(甲一五四号証資料二)と題する冊子には、姓名判断と異なり運命を形成する過去の業と因縁を知る「因縁透視の秘法」であって、「九割の的中率を誇る」と記載されている。しかし、実際には、算出された数字を「象意過去業早見表」(甲一五四号証資料四)に当てはめ、その中から選んで「先祖にさかのぼって水子・病死や事故死の子がいる」などと相談者に説明する材料としており、しかも「親より先に亡くなった子はすべて水子だ。」「どの家でもさかのぼれば必ず一人は水子がいる。」とA住職がD)に説明していた(D証言七回公判調書一一〇頁)。この点は被告人も、水子とは死産や中絶だけでなく、親より先に死んだ子供をいうと認めている(被告人検察官調書乙一一)。また、僧侶間で鑑定結果が異なることもあり、D、B及びC各証人のいずれも、姓名の数字の組み合わせ方や表の見方を覚えれば誰でも使うことができるから、鬼業鑑定に特別の霊的能力が必要になることはないと思う旨明言している。
(三)流水灌頂
 浄霊修法会では、相談者に筆ペンで「子供犠牲霊」「変死犠牲霊」などの文字を短冊型の紙塔婆に書かせて水に浸し、その文字のにじみ具合から浄霊導師が因縁霊障を判定して説明する。××院におけるのと同様の条件で実験した甲一一六号証及び長岡暢哉証言によれば、市販の七メーカーの筆ペンと筆墨汁を使用して実験した結果、トンボ製筆ペンが早くにじみ出し、かつ、赤色のにじみを文字の周囲に発現させたが、これはトンボ製が染料インクを使って製造されているため、赤色などの色素が分離するためである。そして、××院で流水灌頂に使用される筆ペンは、トンボ製に決められており、このことは被告人も平成七年三月ころに知っていた(二五回公判調書一〇二頁)。これについては、被告人が別の筆ペンで書かせたため、「色が出てないじゃないの。」とA住職が怒ったとC及びDが証言している(一一回公判調書八九頁、七回公判調書三六頁)。更にDは、A住職が「このペンでないと色が出ない。」と本部から言われていた旨証言している(七回公判調書一六一頁)。Aも、本部が特定の筆ペンを指定する理由について、「(そのペンで書かないと)黒くなったりとか、そういうのが出ない」と答え、そのペンでないと色がにじまないという意味ではないかとの質問に対し、「色も全部じゃないですか。」と認める証言をしている(一四回公判調書五七頁)。被告人は、××院に来てからA住職に流水灌頂の意味と作法を教わった、墨のにじみが激しかったり赤色などが出ている場合には霊の状態が良くないことを意味する、先祖の思いを現わし給えと祈ると紙塔婆に霊の状況が現われるが、祈る思いが足りないと現われない(二五回公判調書一〇六頁以下)と述べる。しかし、トンボ製の筆ペンを使用し数分間水に浸すなどの条件を充たせば、祈りを伴わなくとも赤色のにじみが発現することが前記実験結果で明らかである。これについて被告人は、使用する筆ペンが指定されている理由は、にじみが出にくいものがあるからと理解していた旨(二五回公判調書一〇三頁)述べ、弁護人も、「比較的にじみが出やすい筆ペンの方が啓示が分かりやすいのでトンボ製の筆ペンを使ったまでである」と主張するが、悩み事の原因を鑑定するには、霊障の種類や程度だけでなく、その有無(不成仏霊があるかどうか)も問題となるはずであるのに、必ず黒色や赤色のにじみが出ると分かっている条件で実施するのは、単に読みとりやすいというにとどまらず、現出させ相談者に見せるべき結果を事前に決めているに等しいというべきである。使用する筆ペンが指定されていることに特別の意味はなかった、あるいはそのような意味は知らなかったとする前記被告人の供述は、色やにじみの出る筆ペンが選んで使われていたとする前記のC、D及びAの各証言に照らし不自然で信用できない。 そのうえ、流水灌頂の意義ないし目的についても関係者の証言は区々であって、E証人は、△△寺における流水灌頂は自分が工夫したが、直観だから余り人に伝授しようがない(二三回公判調書一二二頁)としたうえ、流水灌頂は基本的に供養法であり(同一二六頁)、赤色がにじむことに意味はない、象意の読み取りは導師の主観である(同二三八、二四一頁)と証言している。また、本山の幹部僧侶であるK証人は、流水灌頂の紙塔婆のにじみ具合で不成仏霊を鑑定する目的があるとは聞いていない(二〇回公判調書一八二頁)と証言する。しかし、×x院では、不成仏霊を見極め供養の必要を説いて供養料の支払いを決断させるための儀式として行われていたことが前掲各証拠によって明らかであって、右各証言と異なっているし、被告人もA住職から象意の読み取り方の目安を教わったとはいうものの、各僧侶を通じて一定の鑑定方法は存在しないことが認められる。

3 被告人の霊能力の有無
 (一)以上に基づいて判断すると、被告人が△△寺僧侶として研修を受け××院など系列寺院に勤務し、本件当時までに通算して約一〇か月間の経験を有していたことは認められるが、その間に読経、加持作法の次第や、鬼業即知法及び流水灌頂の使い方などは習ったものの、霊障の有無や種類を見極めたりこれを成仏させて因縁を断ち霊障をはずすなどの霊能力を身につけるための特別な研修を受けたり修行を積んだとは認めがたく、鬼業即知法や流水灌頂によっても各相談者の因縁霊障を特定できたとは考えられないのであって、とりわけ流水灌頂の儀式は、墨がにじみやすく赤色か出やすい筆ペンを用意しておいて使わせ、実際には霊障の存在や僧侶の祈祷能力に無関係であるのに、あたかも僧侶の読経や祈祷によって霊障が出現したかのように相談者に見せるべく設定していたものである。被告人は、これらの事情を十分認識しなから、△△寺による研修や指導に従って、相談者の悩み事の原因が特定の霊の影響であるとは分からないまま、これを分かったかのように申し向けていたものと認められる。 (二)これに対して、被告人は、鬼業即知の結果を見て相談者と面談したり、紙塔婆を見て祈っていると、相談者の先祖の様子が分かり、悩みの原因がぴんとくる、仏が言わせてくれるような啓示がある(二五回公判調書一三二頁)、と主張し、弁護人は、(1)真言宗の教義では霊能力とは神変加持力であり、チラシにも「霊能を備えた僧侶の定力と呪力と念力が集約された神変加持力による根源エネルギーの注入(神秘お加持)が必要」と記載されており、「霊がとりついているか否かを識別したり、とりついているとしてその正体を見定めたり、これを供養して成仏させ悩み事を解消させる能力」ではない、(2)被告人をはじめ△△寺の僧侶はみんな覚王院流の霊能を相承しており、真言を唱え教典を読経する能力を持ち、印契の修法及び心に仏を観じる秘法も修得しているから、霊能を発現できないことはあり得ない、(3)鬼業即知法は相談者の因縁を想起するための参考にする手法であり、また、流水灌頂は目に見える現象を通じて大日如来からの啓示を直観によって知るものであり、三密の秘法の伝授を受け得度受戒した被告人には可能である、これらを否定することは仏教・真言宗の教義に対する無知・無明の現れであり、宗教の否定につながる、と主張する。しかしながら、被告人と同等またはそれ以上の経験を有する△△寺×x院の僧侶らが仏の啓示を受けた経験がないと証言していること、霊能力が全くないことを明言しているD証人でさえも霊能を相承し秘法を伝授された僧侶として扱われ活動していたこと、研修や指導によって加持祈祷や流水灌頂などの仕方を学んだといっても短時間の簡単なものにとどまることは前記のとおりであり、被告人が得度し△△寺僧侶である一事をもって、秘法を伝授され特別の能力を身につけているといい得ないことは明らかである。そればかりか、被告人が啓示を受ける際に参考にするという鬼業即知及び流水灌頂についても、特別な能力を要せずに算出できる画数を早見表に当てはめ、ほとんどの場合に水子の霊が原因になっていると申し向け、あるいは祈祷に関係なく出現するにじみから象意を読み取り鑑定していたことになるのであって、それらの事情に照らすと、被告人が霊障について真に啓示を受けて判定していたというのは極めて疑わしい。しかも被告人は、加持祈祷をしている最中でなくても啓示を得られることが往々にしてあったと供述するが(二五回公判調書二六一頁)、これはE証言(二三回公判調書二三〇頁)に照らして信用しがたい。さらに、E証人は、別に啓示を受けなくても既に大きな啓示として教学上決まっている供養を勧めるのは悩みの解決になる、啓示がなくとも水子がないかと相手に訊ねれば良く、教義の上では水子の霊は必ず供養すべきだと決まっている、相手の痛みを自分と思うようになる慈悲心が僧侶には必要であり、それは霊能ともいえる(同公判調書二二四、二七七頁)などとも証言するが、仮に△△寺派の教義からはそのようにいえるとしても、本件で問題となっている勧誘チラシに記載されている「秘法鬼業鑑定」「修行を重ねた僧侶が悩みの根源を鑑定」「因縁をみる、業をみる、霊障をみる」「霊能僧侶の施法する神秘お加持」などの文言から理解されるところの「特別な修行によって初めて得られる能力」「その能力に基づく因縁霊障の鑑定」「その能力によってもたらされる霊験」とは異なるというべきであって、後者の意味での霊能が被告人にあったとは認められない。


三 詐欺罪の成否について
 以上検討したところを総合すると、被告人は、霊障(因縁、過去業)について啓示を受けるなどの方法で識別・鑑定する能力はなく、甲野夏美の病気の原因について実際には分からないのに、分かったように装い、水子が原因だと断言し、かつ、水子供養の効果についても分からないのに、供養すれば病気が治るが供養しなければ治らないと断定したものと認められる。そして、甲野春子をして、××院の配布したチラシ、被告人の右言動やこれと同様のA住職の言動、更に流水灌頂の紙塔婆などから、被告人らに霊障を鑑定し供養して奇跡の霊験(病気の治癒)をもたらす特殊な霊能力があると信用させ、供養料名目で現金を交付させている。甲野春子は、被告人ら××院僧侶にそのような能力がないと知っていれば、××院へ相談に訪れることもなく供養料も支払わなかった旨証言しており、被告人の本件行為は詐欺罪に該当する。これに対して、被告人は、甲野母子の悩みが解決するように一心に祈っており、だます意図は全くなかった、供養料支払い(財施)だけでなく気持の転換も必要だと甲野に説明したと主張するが、供養料を支払って供養しても病気が治るとは分からないのに「水子を供養すれば必ず治る」と断言している以上、欺いていると認めるに十分であって、被告人が相手のため祈ったり気持の転換の必要を説明したとしても、それらの事情は甲野春子が供養料支払いを決心した前記動機とは無関係であり、詐欺の犯意の認定に影響しない。

 さらに、弁護人は、(1)真言宗の教義によれば、財施によって一切の願いは成就すると説かれており、布施は相談者自身の功徳を積む行為であるから、いったん信じて供養した以上騙取でも損害でもあり得ない、布施・供養によって願いの成就があるというのが宗教的真理であり、布施・供養に効力がないと断ずるのは信仰の否定である、(2)行為者が宗教的確信に基づき相手方のためになると信じて効験を説いて供養を勧め、効験が科学的見地からは説明困難と解される場合であっても、教義に即した供養がされている場合には、宗教行為としては社会的相当性の範囲内にあり違法にならないと解すべきである、(3)本件では、被告人は、甲野の業を変える「徳積み」のため供養を勧めており、甲野が真言密教の教えである「カルマの法則」や「供養の意義」を信じ共鳴したことは、供養金を納めたうえ週参りや尽誠すがり行にも参加し仏像まで勧進していることから明らかである、(4)仮に被告人が「水子が早く成仏したくて障っている」などと説明したとしても、このような直截な表現は衆生を救済するため場合によっては必要であり、「供養しなければ救われない」との仏教・真言密教の本質的教義に即している、(5)甲野の申込みに応じた供養が日々なされているから、結果においても相当性を有する、と主張する。仏教の教学上、財施供養が重要な意義を与えられていることは尊重されるべきであり、また、加持祈祷など宗教行為は超自然的領域に属し、その効果(霊験)があることについて自然科学の証明を要しないことは性質上当然であるうえ、効果について多少の誇張を伴っても直ちに違法とはいえない。しかしなから、単に過去業ないし因縁の転換の必要性を説き「徳積み」により願いを成就するため、を勧めたり、相手方が供養の直接的効果までは期待していないような事案とは異なり、本件では、前認定のように被告人には病気の原因も効果も分からないのに、特殊な霊能力によって分かる旨装い、紙塔婆を見せるなどし、霊障が現に影響を及ぼしているため供養しなければ治癒しないと殊更に断言する方法によって、病気に悩み治癒を願っている相手方の甲野春子を不安と錯誤に陥れ、病気治癒の効験が必ずあると信じさせた結果、数日内に高額の供養料を交付させている。したがって、供養の意義に関する△△寺××院の教義内容にかかわらず、病気治癒などの効果に関して、著しく誇張し虚偽に等しい宣伝や説明を行っていることが明らかである以上、社会的相当性を逸脱し違法というべきである(もっとも、「恐怖と利益」を説くのは宗教の基本であるとE門主が証言しているのは前記のとおりであるか、究極の理念はともかくとして、悩みを抱える相談者に供養料の支払いを決断させる目的で効果を誇張し不安を煽る手法について、その違法性を否定する根拠にはなり得ない。)。また、甲野春子は病気治癒の効果を信用して供養料を支払ったもので、△△寺××院の教義に共鳴し信仰心から布施をしたとは認められないのであり、その後も週参りなどの行事に参加したのは供養成就に必要であると被告人らに勧められたからであり、これら行事は教団によって供養料発生の「ツー」「スリー」段階と位置づけられていたことを考えると、行事に参加したことが甲野の信仰の証左であるとは到底いうことができない。この点について甲野春子証人は、信仰のためでなく病気を治すだけの目的で××院に通った旨明言しているところである。なお、供養の申込みを受けて位牌や仏像が作られ読経などがされたことは窺われるが、提供した供養料などに相応するものかどうか疑問があるばかりか、「供養すれば必ず治癒する」との説明が著しい誇張・虚偽であると甲野春子が知っていれば支払わなかったことが明白であるから、その後の供養の実情によって詐欺罪の成否が左右されることはない。


四 公訴権濫用の主張について
 弁護人は、被告人らが仏教・真言密教の教義に基づいて行った宗教行為に対し、警察検察において、教理教学及び△△寺の宗教活動の実態を知らないまま、多くの教団の中から△△寺に対してのみ、その宗教活動を壊滅させ弾圧する目的で起訴したものであって、信教の自由を踏みにじり法の下の平等に反する違憲違法な起訴であるから、公訴権濫用として公訴棄却の判決がされるべきであると主張する。しかしながら、宗教活動の一環として行われる場合であっても絶対無制約のものではなく、公共の福祉に反する場合は信教の自由の濫用として制限を受けると解されるところ、△△寺××院における活動と被告人の本件行為の実態は既に認定判断したとおりであって、本件が強い違法性を帯び詐欺罪が成立することは明らかであり、捜査機関において宗教弾圧目的や差別的意図があったとも認められないから、本件起訴は憲法に違反せず、かつ適法である。(量刑の理由)
 本件は、宗教法人△△寺によって組織的継続的に行われた詐欺事犯の一環であり、被告人は、富山県内の系列寺院である××院の僧侶として、住職らと共謀し、供養料の名目で二回にわたり合計一〇〇万円をだまし取った事案である。被害者は家族の病気を深刻に悩む者で、新聞折り込みの勧誘チラシを見て相談に行き、被告人ら僧侶の言動を見聞きした結果、病気の治癒の利益が得られると誤信し、娘の結婚資金まで解約して供養料を支払ったものであり、病気を治してやりたい一心で××院に頼ったのに裏切られたとして、被害感情は非常に強い。僧侶の霊能力の宣伝や儀式などに虚偽や誇張を交え、訪れる相談者の悩みや不安に乗じて、成仏していない霊が影響していると断定的に指摘して更に不安を煽り、供養による利益と供養しないことによる不利益を強調して執拗に供養金の支払いを勧めるなど、犯行の態様は巧妙悪質で組織性計画性が強く、宗教法人組織による多額の詐欺事犯として、社会的影響は大きく、このような不当な方法を用いることが宗教の自由の名のもとに許されないことは当然である。被告人は、本件被害者との面談の大半を担当し、重要な役割を果たしている。しかも、自己の行為の正当性を強く主張して現在も僧侶を続けており、被害者に精神的経済的苦痛を与えたことを反省することなく、被害弁償もしていない。被告人の刑責は軽視できない。しかし、被告人は、△△寺から毎月給与を得ていたものの、特に多額とはいえず、本件犯行による直接の利得があったわけではないこと、もともと被告人自身も悩み事を抱え××院に相談に行ったことから僧侶になったもので、△△寺教団の供養料詐欺システムに研修等を通じて組み込まれた形で加担し本件に至ったと評し得ること、被告人には前科前歴がなく、内縁の夫と生活していることなどの事情を考慮し、執行猶予を付するのが相当である。(裁判官米山正明)