法の華三法行の教義
初出1997/05/30
UP1999/05/29


 無料で配布され、被害の端著の一つとなっている「病苦を超える最後の天行力」(1993年11月15日初版)を参考に、福永法源の教義を要約すると、次のように整理できる。

 小見出しは紀藤の方でつけたが、本文の内容は、「病苦を超える最後の天行力」から概要抜粋したものである


1 基本的発想

「すべての『苦』は、自分の生きざまが招いた『結果』であり、天はあなたに生きざまの間違いを『苦』によって伝えている」

(同書三七頁)

 私たちが個々の問題で苦を刻むかぎり、自分個人も滅び、人類全体も滅びる。

 人類の救済とは、一人ひとりの生きざまの修正にほかならない。言い換えれば、一人ひとりが、その苦を刻む生きざまを修正するよりほか、『一人』も『全体』も助かる方法はない。

同書四三頁)


2 天声について

 『天声』とは、〈法源〉という人間、すなわち私の肉声を借りて『天』が語る声である(同書一〇二頁)。

 福永法源という根源体は、そのまま大自然のリズムに沿った存在であり、その生きざまは本来法則そのものなわけだ。そうやって存在するときに、はじめて私は法則に適うわけでありこの法則に適うということがすなわち天の意思、天の観いなのだ。この法則、天の観い(おもい)こそが本来の『真理』である。

 この法則から大きくそれてしまったのが『人間』である。
(同書一〇四頁)

 今すぐに手を打たなければ、確実に私たちは滅びてしまう。

(同書一一〇頁)

 『このままでは人類は滅亡する』。これが天声である。

(同書一一七頁)

 天の法則には、人間の頭で作り出した道徳も倫理も通用しない。

(同書一二六頁)

 天声とは私たち人間に大宇宙の法則を教える声である。軌道をはずれないように警告する本質の声である。したがって天声は、法則をはずれた人々に情け容赦のない厳しさで生きざまの間違いを知らしめる。

(同書一二九頁)


3 いわゆる「ハルマゲドン」思想の存在

 「天は、二〇〇一年の初頭までに生きざまの悪い人類を抹消する」

(同書五九頁)

 「このまま行けば、一九九七年には科学でもいかなる人知で解決できない、もはや収拾のつかない事態に突入する。そして二〇〇一年一月六日、午前二時をもって人類はひとまず終焉となる」

(同書六七頁)

 私がこの『滅亡の天声』を聞いたのは、昭和天皇が亡くなられた前の日の一月六日、午前二時のことであった。そのとき以降、伝えられた『滅亡』のシナリオは、以下の通りである。

 ・一九九三年、日本の不況は深刻化し、その一方で世界の日本叩きはどんどんエスカレートする日本の経済危機はエスカレートの一途をたどる。この年以降、世界中が経済危機に陥り、経済パニックへとつき進む。

 ・一九九五年、日本もエイズパニックに陥る。さらに日本は世界から完全に孤立し経済的に封鎖状態となる。

 ・一九九六年、それまでも随所で頻発していた天災がさらに規模と頻度を増す。

 ・一九九七年、大規模な天変地異がきっかけとなって、日本も世界も大恐慌状態となる。この年から二〇〇〇年にかけて、苦を刻み生命力の落ちている者の順に、人類の三分の一が抹消される。

 ・西暦二〇〇〇年、ついに想像を絶する『なにか』がもたらされ、さらに人類のもう三分の一が抹消される。

 ・二〇〇一年一月六日午前二時。人類は滅亡する。

(同書六七頁〜六八頁)


4 救済の可能性について

 ただし天声はこうも伝えている。

 ―人類の総人口の二分の一と、もう一名がその『苦』を刻む生きざまを修正し得れば、人類は壊滅を免れる。

 人類の救済の方程式は、『二分の一プラス一』なのだ。

(同書七一頁)

 私たちに残された時間はあと七年しかない。もう迷っている時期ではない。

(同書九四頁)

 今、私たちは『選択』を迫られている。
(同書九五頁)

 つまり『二分の一プラス一』を成立させるということが、人類が滅亡を逃れ、栄光の時代を実現できる道を選択する、ということにつながる。

(同書九五頁)


5 「因縁」思想について

 人生を樹木にたとえると、先祖に『自殺』や『他殺』、『水子』や『変死』の人などが多くいると、その樹木は育たず、腐ってしまう。つまり、先祖の生きざま、死にざまが、根っ子としてあなたの人生という樹木の成長ぶりを支配するわけである。しかしなんとしても、あなたの樹木は、成長させなければならない。なぜかといえば、あなたの生きざまが、また子供、そして孫へと伝播されてゆくからである。

(同書七九頁)

 たまたま不幸続きの家に生まれてきてしまったとしても、観い(おもい)の刻みを喜びの方向に流れを変えてゆくことによって、自分のこの世での生きざまを変えてゆくことができるし、それはまた、少なくとも五代前からの先祖の生きざまを変えることにもなるのである。

(同書八〇頁)

 もしも、生き方が間違っていることに気がついたならば、まず、頭を取って、大自然のルールに一体化した生活、自然の法則にのっとった生活に、自分の人生の軌道を修正することだ。どこかで修正しないかぎり、その苦の刻みは、子孫の代までも伝播してしまう。

(同書八三頁)

 自殺はこれほど自然の法則に対する裏切り行為はない。死ぬときだけ自分の意志で勝手に人生を終わったら、それこそその生命体はもちろんその子孫五代先までたいへんなツケが回ってくる。

(同書二四四頁〜二四五頁)

 また最後の最後の息を引き取る瞬間に苦を刻んでしまうこと、もしそのような死に方をしたなら、その人は人間完成ができずに終わったということになるのだ。しかも、それが相当の苦悶の表情で死んだとするなら地獄行きは間違いないものになってしまう。そしてその影響は、その子孫にまで確実に行く。同じような死にざまをなぞってしまうのである。

(同書二四五頁)


6 足の裏の意味について

 足の裏はふだん、人の目に触れることはない。けれども、体のどこよりも、その人の生きざま、そして、先祖五代にいたるまでのそれぞれの生きざまと死にざますべてが刻みこまれている。また、先祖五代前の生きざま、死にざまを記録している足裏には、祖先ばかりでなく、その人のこれまでの過去、人生のすべても刻みこまれている。外面をどのように着飾っても、足の裏がきれいでなければ、本当に喜びに満ちた人生を生きているかどうか、すぐに見えてしまう。

(同書八一頁)

 生活はよくなったようでも、実は苦を刻んでいるということがしばしば見られる。そういう人は、足裏にどこか歪みがあることが多い。

(同書八三頁)


7 天行力について

 天行力とは、私たちすべてを、この世にかたちを受けたものすべてを生成したエネルギーである。そしてこの『力』は、私たちの生命を生きいきと満ち足りたものにさせるべく、絶えず私たちに降りそそいでいる。この大自然の恵みのエネルギーこそが、私たちを唯一救ってくれる万能のエネルギーなのだ。

(同書一五〇頁)

 天行力は、心臓がその人の意識に関係なく鼓動を打つように、こうした生命の営みそのものをささえる無意識の生命エネルギーであり、人間に起こるすべての現象の根底に流れる『無限の宇宙パワー』である。

(同書一七一頁)


8 天行力の貫通の障害について

 本来天行力というのは、障害さえなければ頭から足裏にすっと抜けていく。一〇の天行力が頭から入るとすれば、そのまま一〇の力が足裏へ抜け、そしてそれが『喜び』の観い(おもい)となって足裏から体へと流れる。逆に言えば、たとえば一〇の力が足裏に抜けた時に五になってしまった場合、その人は通り道にマイナス五の分の障害物があるということである。

 その『障害物』とは、マイナスの観い(おもい)、すなわち苦の刻みである。その苦の刻みが、あたかも人体に巣くうガン細胞のように障害物となって天行力の貫通をはばんでいるのである。

(同書一七二頁)

 私のところに来られる方で、天行力がすんなりと通るという人は、残念ながらかなり稀である。私が右手を頭の上にかざして一〇の天行力を通すと、まずほとんどの人は首の付け根のあたりで五ほどしか流れなくなってしまう。

 一〇の天行力が、すべて足裏まで流れる人というのは、まず出会った時の第一印象からして違う。表情が生きいきとして、体の動きも軽やかで、それになによりも周りの空気を豊かにしてしまうような雰囲気を持っている。

(同書一七四頁)


9 天行力手帳の意味

 『天行力手帳』には天行力が封じ込められており、この手帳を持つことで天行力を体内に吸収することができる。さらに、私が、毎朝六時と夜の一二時の一日二回、私を媒介にして天からの『天行力』を、直接手帳に向かって送っている。そのため、この手帳を持ち続けることで、生命活性エネルギーが体内に充満した状態になり、自然の法則に沿った生活ができるようにもなる。

(同書一七七頁)


10 人類救済事業

 『一九九五年までには、釈迦、キリスト、法源、この三つがすべて勢揃いして、本格的な人類救済の本番がはじまる』

(同書一九〇頁)

 人類救済事行は、西暦二〇〇一年一月六日午前二時までに完成されなければならない。

(同書一九一頁)

 釈迦の神通力というのは、人間の内なる知恵に働きかけて人間同士や自然との調和をはかる『横にひろがる力』であり、キリストのパワーは上から下へと流れていく『縦の力』である。しかし、『天行力』は、縦横にクロスし、三次元空間に無限にひろがっていくパワーなのだ。この無限にひろがる大宇宙のパワーこそ、キリストや釈迦の成し遂げられなかった人類救済を実現するために天から与えられた『救済のパワー』である。

(同書一九二頁)

 マイナスの観い(おもい)ばかりが地球を覆えば天行力は活性化できず、地球上には破滅の要素ばかりが蔓延するだろう。逆にプラスの観いを刻む人が多勢を占めれば天行力は空間に満ちあふれ、人類は破滅から救われ、ふたたび地球とともに生きることができる。

(同書一九二頁〜一九三頁)

 その結果が『天による人類の抹消』である。人類がこのまま自らを変えることなく自然の法則を無視してゆけば、七年の後、私たちは滅亡する。

(同書一九三頁)

 人類終焉の『天声』が降りたのはちょうど昭和天皇のご崩御の一日前の一月六日であった。『このままいくと、西暦二〇〇一年一月六日真夜中二時をもって、ひとまずこの地球・人類は終わりとなる』。

(同書一九四頁)

 また天声は、『一九九五年には潜在エイズ感染者が日本列島で一千万人を超える』という。

(同書一九四頁)


11 現在という時の重大性について

 生まれ変わりには、その生きざまと死にざまとが大いに関係してくる。自殺者や霊能者、なにかに固執してもがき苦しんで死んだ者は地獄界へ行って一万年〜二万年は人間界にもどることができない。場合によっては人間界から追放されることもある。

 地獄界をまぬがれて人間界の転生を許された場合でも、もう一度人間をやり直すには生きてきた十倍ほどの待機期間がおかれる。仮に七十歳で死んだとすれば、七百年があてがわれる。そうやって人間としてふたたび誕生したときには、前よりもさらに厳しい環境のもとに生まれさせられる。

 この人間としての修行は、二度とふたたび生まれ変わらなくともよい存在、一切の苦を刻まぬ状態となってはじめて完成する。

 さあ、私たちはこうして何百回、何千回と生まれ変わって、やっと現在の自分にたどりついた。この遠大な修行の総決算が『今』このときなのである。

(同書二〇二頁〜二〇三頁)

 しかもこれは与えられた最後の機会だということだ。この人類終焉のときに生を得たということは、もう二度とやり直しのチャンスは巡ってこないということである。人類が終焉となるということは、すなわち、つまずいたら最後もう私たちは生命体としての完成をみることはできないということなのだ。

(同書二〇四頁)


12 頭を取る

 『頭の取れた状態』というのは、生命に対する純粋な畏敬の観いと喜びに満たされた状態であり、生活のうわべに漂っているに過ぎない『無くとも一向にかまわない物事』に対する執着が消えた状態である。

(同書二一〇頁)

 もしも、生き方が間違っていることに気がついたならば、まず、頭を取って、大自然のルールに一体化した生活、自然の法則にのっとった生活に、自分の人生の軌道を修正することだ。どこかで修正しないかぎり、その苦の刻みは、子孫の代までも伝播してしまう。

(同書八三頁)

 頭をもぎ取るための第一歩として、試しに次の言葉を言ってみてほしい。(「法の華」の中では「七観行」と呼んでいる)


 一、健康あふれた楽しい毎日です。

 二、家族全員がゆたかで明るい毎日です。

 三、希望にみちあふれた繁栄一筋の毎日です。

 四、よろこびがいっぱいの毎日です。

 五、感謝にみちた幸せな毎日です。

 六、いつも楽しく三法行をやらせていただく毎日です。

 七、親切あふれた生かしあいゆるしあう毎日です。

(一七四頁〜一七五頁)


 天声は、「考えるな、悩むな、ただただくり返し行れ」と説いている。

 頭でがんじがらめになっている自分を、まずは解き放ってやることである。

(同書一七六頁)

 頭を取って空の状態となれたときそれまで見えなかった『天』の力を見ることができる。

(同書一九六頁)

 頭のついた人間が自分で自分の生きざまを変えられないのなら、まず法源のもとで『行』を行い、生きざまを修正する第一歩とせよということである。

(同書一九七頁)

 ぜひ一度、今の自分を『死んで』いただきたい。それが頭を取るということである。

(同書二一一頁)


13 超人間完成修業(四泊五日修業の意味)

 私は現在、この頭を取るということの実践、つまり、本来の人間となるための『超人間完成修行』という五日間の修行の指導を行っている。

(同書二一一頁)

 この修行は人類救済者の養成をも目的としており、個人の生きざまを救うと同時に人類全体の改革を目ざすものでもある。この修行は天声によって始められたものであり、実は、人類滅亡の日である二〇〇一年一月六日にちょうど一〇〇〇回が完了すると天声で示されたものなのだ。

(同書二一二頁)

 『人間になる』とは、悩みや苦しみが一切必要でなくなった姿のことである。そして完成されれば、それは一時的な現象ではなく、死を迎えるまで一生その状態でいられるのである。

 この修行で行う具体的な内容で特筆すべき項は、今まで歩んできた自分の生きざま、そして先祖五代前からの生きざまと死にざまを大掃除できることだ。

(同書二一六頁〜二一七頁)

 自分の人生は、先祖から引き継いだものであり、またそれが子孫へと引き継がれていくのだ。だから、問題が出たら自分の代で消しておかねばならない。

 あなたが今苦しんでいれば、それは自分だけでなく自分の血液が関係する先祖そして子孫へと永遠につづくその家を苦しめることになってしまう。

 最後の人類救済とは、今心臓を動かされている人間が救われることと、人間完成できずに終わってしまったあなたの先祖にあたる生命体を同時に救って、はじめて成し遂げられるというのである。そのためには、今生かされているあなたという生命体が喜びを刻みつづけ、それを実現するしかないのである。だからこうして家の代表として生を受けているのだ。

(同書二四二頁)

 ”あの世(死後)“の世界では、人間完成できなかったどころか、地獄へ行ってしまった生命体がひしめきあっている。

(同書二四三頁)

 このままでは地球という場だけが、宇宙の生命体の進化の法則から外れてしまうことになる。

(同書二四三頁)


以  上