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注意:被害者の名前部分は伏字にしてあります。
約42000字



平成九年(ワ)第六〇一号 損害賠償請求事件
最 終 準 備 書 面
(総論関係)
原    告  伊   東   〇   〇
外三一名
被    告  宗教法人法の華三法行
外四名

 平成一二年一〇月二日

右原告ら訴訟代理人           
弁 護 士   茨   木        茂
同        釜   井   英   法
同        秋   山        努
同        紀   藤   正   樹
東京地方裁判所民事第三三部合議係

第一 初めに―本件の本質

 一 本件は、被告福永法源こと福永輝義(以下被告福永とする)を首謀者とする、被告宗教法人法の華三法行(以下被告法の華)による組織的で、悪質な詐欺事件である。
既に本年四月二八日付けで、福岡地裁は、本件と共通の被告らに対し、「以上の事実、すなわち被告らの勧誘行為等の目的、手段及び結果等に照らせば、右勧誘行為は、宗教として社会的に相当なものとして許容される範囲を逸脱した違法なものであって、不法行為を構成することは明らかであると言わなければならない」と断じ、原告二七名につき、約二億二七〇〇万円の損害賠償を命ずる判決を言い渡している。

 福岡判決の事実認定を見る限り、詐欺脅迫文言等の被害内容が、本件事件とほとんど同一の内容であり、被告らが、全国的、組織的に、同一のマニュアルに従って、資金獲得活動を行ってきたことは、もはや疑いようのない事実である。

二 更に、五月九日には、被告福永ら一一名が詐欺容疑で逮捕され、その後七月一〇日までに、被告福永、被告星山こと李康天(以下被告李とする)は、三度の起訴を経ている(甲A一〇〇の各号証)。
この間の報道によると、複数の幹部が詐欺容疑を認める供述をしており(甲A一〇〇の一の九枚目)、既に公判に至っている一之瀬道子支部長は、起訴事実を認めている(甲A一〇〇の五)。

 しかも今回被告福永とともに、被告李、被告前川も起訴されており、被告井本が、送検されたものの逮捕されていないのは、病気入院中だからに過ぎない(甲A一〇〇の一の四枚目)。要するに、被告井本を除く、本件事件の被害惹起当時の被告法の華の責任役員全員が、詐欺の共犯者として逮捕、起訴されている事実は重い。

 もともと被告福永は、本法廷で、宗教法人を設立したのは、税務上の優遇を受けるためのものに過ぎないことを赤裸々に認めている(同人の平成一〇年一〇月一九日付け本人調書二五頁以下)が、被告法の華は、福永を頂点とする詐欺を目的とする組織であることが、明確に処断されたと評価できる。

 三 実際、本件訴訟を通じても、被告福永の詐欺師ぶり、欺瞞がいくつも明らかになっている。例えば、足裏診断は天声を伝えることであり、天声は被告福永しか伝えられないのに、実際には他の者も行っている事実。研修参加などによって、結婚して幸福になれると散々強調しておき、「愛を超える結婚があった」などという書籍(乙四七)を執筆しながら(なお甲A一五)、自らは、離婚等、その内容と矛盾する行動を繰り返し(甲A六九、七〇)、そのことを隠匿している。そして以上の事実が、自ら天声に矛盾することを何ら説明できない(甲A九九の二―大阪地裁における被告福永の本人調書二一頁以下、以下大阪地裁における被告福永の本人調書を、単に大阪福永調書と表記する、また甲A九九の一の福岡地裁における被告福永の本人調書も同様に、単に福岡福永調書と表記する)。
 自らの機関誌の内容の矛盾や誤りを指摘されても、知らぬ振りをする(大阪福永調書四六頁以下)。いずれも、被告福永は、作り話であることを十分に知っているからである。
マザーテレサから病院を作れと言われていると証言しているが(被告福永の平成一一年二月一日付け本人調書、五頁)、福永宛のマザーテレサからの拒絶の手紙をもらっていないと証言するなど、都合の悪いことは知らぬ振りをしている(大阪福永調書三五頁)。また、強制捜査直前の証拠類の廃棄を、裁判官からとがめられると、定期的な行事であるかのごとく述べるなど(同一二九頁)、明らかな嘘をついている。

 四 このような福永を頂点とする組織的詐欺行為に、何ら弁解の余地は無く、一刻も早く原告の勝訴判決を願いたいと考える。

第二 被告らの違法行為について

 一 緒論
 被告らの行為は、以下に詳論するとおり、その目的は、もっぱら原告らからの出捐による利益の獲得にあり、その手段も、害悪を告知して、ことさらに原告らの不安を煽り、困惑に陥れたり、長時間にわたる勧誘などにより、原告らを疲労させ、判断力を低下させた上で、原告らに出捐することを決意させるなど、到底自由な意思に基づくとはいえない態様で出捐させたものであり、右勧誘行為の結果、原告らが出捐した額も、各出捐者の年齢、家庭環境、資力、社会的地位等に照らして、不相当に高額なもので、目的、手段、結果のいずれの点においても、正当な宗教活動とは到底認められず、社会的相当性の範囲を逸脱する違法なものである。

二 手段
1 書籍の配付とアンケートによる勧誘
被告らの勧誘手段は、被告法の華の布教活動を担当する株式会社アースエイドが(甲A三八)、被告福永の多数の書籍を出版し、これを街頭で無料配付したり、書店で販売することから始まる。
右書籍の題名は、「病苦を超える最後の天行力」(甲A三)、「わたしは一〇〇パーセント癌を治した」、「地球四五億歳逆襲」、「金運大逆転」、「億万長者になる法」、「リッチな女になる法」、「一〇〇パーセント結婚できる出会いの法則」、「輝く女性はここが違う」、「結婚自由自在」、「五五億貯めずになにが人間か」などと、あえて人の興味を引きやすい扇情的な題名が付けられている(甲A一五)。
 書籍末尾の著者紹介では、被告福永を「大手電機会社勤務から独立、弱電メーカーを興す。三〇歳にして自社ビルを持つなど、青年実業家としてマスコミの話題になる。既存科学から脱却し、新文明の創造と人間新生を訴え全国で講演。ラジオ・新聞のカウンセリング番組で活躍。人生の指針をズバリ指摘し、好評を得ている。生態哲学博士」と紹介しており、被告福永が宗教法人の代表者であることが巧妙に伏せられ、生態哲学博士なる、読者の信頼性を高める虚偽の記述すらなされている。
右書籍には異性との出会い度等を診断できると称するアンケートと回答用の葉書が添付されており(甲A二〇)、書籍を手にして内容に興味を持った原告らは、アンケート葉書を出したり、直接問い合わせ先に連絡を取るなどすることになる。
アンケート葉書の宛先は、「東京都渋谷区松濤二−一四−一七 ゼロの力学本庁」となっている.
 このゼロの力学は被告法の華の布教部門であり(甲A四五(被告星山の本人調書)の一〇一項・一〇二項)、宛先の住所は被告法の華の東京本庁の所在地であるが、問い合わせがあった際に、被告法の華の名称はもとより、宗教であることの説明も一切行われない。更には、宗教でない旨の積極的な欺罔行為に及ぶこともある。

 また、書籍類を出版している被告アースエイドに問い合わせがあった場合は内線でゼロの力学に回しており、内線でどこに回すかを伝えないことはもちろん、宗教であることの説明も行わない(同一九〇乃至一九三項)。
このように被告らは、書籍に興味を持った人が宗教とは知らずに問い合わせてくるようなシステムを準備している。

2 病院前での勧誘
 さらに被告らは、以上の書籍による勧誘をより効率的に実施するために、病院前にて書籍を計画的に配布している(甲A一七、一八、一九)。
 被告らの内部文書によると(甲A一九)、「戦略ポイント」と題名がつけられ、ターゲット候補病院一覧には、消化器ガン、女性特有のガン、糖尿病、脳卒中、ストレス・アルコール依存症など重症患者がいると予想される病院がピックアップされている。その地域は、東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県・茨城県・名古屋市・大阪府に渡り、病院の数は一一七にも及んでいる。さらに、全国的にもこの活動を行ったことを被告星山は認めている(甲A四五の三四〇項)。 そして、別の「報告書」と題する書面によると(甲A一七)、「ただバラまくだけだとチラシ同様の扱いを受ける可能性があるため、反応(せっぱつまっている)が早い『病人』をターゲットにしてバラまくことに決定」などの表現が取られている。「せっぱつまっている」、「ターゲット」などの露骨な表現は、被告らが、原告ら被害者を単なる金員を出費する対象として扱っていたことを如実に表しているものといえる。

 なお、この報告書の作成者である「吉田昌弘」は、当時天仕であるとともに北信越地域本部長代行という地域を任された責任者である一方、あて先の「般若塾」とは四泊五日の修行を行う指導員の部署であり、「小川天仕殿」とは元天仕である(被告福永の平成一一年二月一日付け証言調書三七頁から三八頁)。すなわち、この報告書は、被告法の華の布教機関の責任者が、被告法の華の研修機関の責任者に送った内部文書である(同三九頁二行目)。
被告福永は、「病人の方々に早く目覚めてもらうという、こういう天声は受けている」(同五一頁)、「(配布する数として)一〇〇〇万というのは天声だった」(同五二頁)、「一〇〇〇万という達成目標は支部なり地域の人に伝えた」(同五三頁)と証言するとともに、印刷に起こした点は軽率であったが、病院前で配るという行動やその熱意には問題がないと証言し(同四六頁)、被告法の華の運営方針に沿った行為であることを認めている。

 このように、被告らは、病気に苦しんでいる人を「ターゲット」にして、研修などに参加させることをもくろみ、より効率性を狙って病院前での露骨な書籍配布を組織的に行っていたのである。

3 足裏診断の違法性
(一)緒論
 こうして本の内容に興味を持った者に対しては、本部・各支部・ホテルなど  の設営会場などに呼び、足の裏診断を実施する。その際、あらかじめ診断カルテに悩みなどを記載させた上で、極めてステレオタイプの診断にて「このままではガンになる」などと申し向けた上で研修に参加させる。
 以下で詳論するように、診断と称しながらも、その主眼は、各人が抱えている悩みを増長させて不安感を煽り、高額の金員を拠出させた上、研修に参加させ、さらにその後の天声に応じさせることに重きが置かれているのであり、社会的相当性を逸脱しているのは明らかというべきである。

(二)足裏診断が行われるようになった経緯
 被告福永は、平成元年ころから足の裏診断をはじめた。そして、平成四年六月ころになると、被告福永は、足の裏診断士を養成するために、足の裏診断士養成所の運営を天仕平賀に任せ、被告直属の足裏診断士による診断の普及を全国的に試みた(福岡福永調書七六二項)。

 さらに、地方においては、被害者から悩みを聞き取り、それをFAXで被告法の華の本部に流し、「福永法源先生よりお伺いした内容をお伝えします」などと、被告福永の言葉と称して、地方にFAXを送り返すことを行ってもいた。
そして、その内容も「一度病気を経験した方はもっとひどい状態で再発する。一番最悪なのはガンである。〇〇さんの場合少し自分を意識すると即元の状態に戻ってしまう。間違いない」と害悪を具体的に伝えていた(甲A四六、甲一〇一(平賀茂の福岡地裁における証言調書)三九八項以下)。

(三)足裏診断の方法
 被告らによる足裏診断は、以下に述べるような手順で行われる。
   
@ 足裏診断を受けに来た者は、診断前に、「診断カルテ」と題された書面を渡され、その中の質問事項に記入することを求められるが、その内容は、相談者の職業、家族構成、先祖に自殺者・精神異常者・癌になった者等がいるか、経済状況に余裕があるか、流産・中絶の経験の有無、悩み・相談事の内容等である。

A 被告福永らは、右カルテを見ながら、相談者の記載した相談内容に即して診断を行う。このように事前にカルテに記入させることによって、被告福永らが足裏診断を行うに際して、相談者に対して最も効果的なトーク内容、どの程度の金額を要求できるか等を、瞬時に把握できるよう、工夫されている。
また、「足裏診断」、「診断カルテ」という医学的な名称を用い、被告福永も「生態哲学博士」という肩書を名乗るなど、右足裏診断が、いかにも医学的ないし科学的根拠があるかのように装っている。

B その後、相談者は個室に通され、被告福永らの足裏診断を受けるが、その診断 内容は、ほぼ一律に「このままでは癌になる」などと断定的に申し向けて相談者を不安に陥れ、高額の研修料を支払って四泊五日の研修に参加することを強要するものである。
 そして、被告福永は、各原告らが主張するトーク内容について、天声として告げたことを認めている(平成一一年五月二四日付けの被告福永の本人調書)。
また、福永以外の者が告知した内容も、天声の趣旨にのっとったものであることを認めている(大阪福永調書九九頁)。

 C 右足裏診断の結果、相談者が何をすべきであるかは、被告福永が、診断カルテの「福永法源先生記入欄」に書きこむが、結局すべて研修参加を勧誘するのみであり、右欄に記載される文言もほぼ同一である。
 足裏診断で以上のような災厄や不幸の告知を受けた相談者は、困惑し、恐怖感に駈られる。被告福永らは、こうした相談者の困惑につけいって、災厄や不幸から逃れるためには、高額の研修料を支払って四泊五日の研修に参加するしかないと思い込ませるように誘導してゆく。

D 被告福永による足裏診断の場合は、足裏診断の後、相談者は別室に連れてゆかれ、足裏診断に同席していた被告法の華の天仕らから、二〜三人がかりで、研修に参加するよう、強引に説得される。

 一般に、宗教により病気が治癒するなどの科学的根拠は証明されておらず、たとえ教義を広めるためであっても、安易に、研修に参加すれば病気が治るなどといった断定的な勧誘、説得は避けるべきであるといわなければならない。
 ところが、被告らは、足裏診断の結果と称して、前述のような害悪を告知して相談者を不安と恐怖に陥れる一方で、具体的効果を断定的に約束する方法で研修への参加を勧誘している。
 しかも、その勧誘の仕方は執拗かつ強引で、相談者が疲れて判断力が失われるまで長時間にわたって勧誘を続け、短期間内に高額の研修費用を支払うよう求めるなど、慎重に検討する時間的余裕を与えず、即断を迫り、更には、親族や金融業者から費用を借りてでも、研修に参加すべきである旨勧めることすらある。 

E 右のとおり、足裏診断で相談者に告げられる診断結果は、全て、例外なく、このままでは癌の発生等の害悪は避けられない旨を告げて研修で頭を取る必要があるというものである。
 研修後の家の中心の購入を強いる時についてであるが、被告らと同様に、詐欺の容疑で逮捕起訴されている河村和寿証人は、大阪地裁の法廷で、被害者に告知する天声の内容は誰に対しても、同じであると明確に認めている(甲一〇二の二五九頁から六〇頁)。
 マニュアルに基づく以上(後述)、当然であるが、被告福永や河村らによる天声の告知(診断)は、全てその内容は例外なく、害悪の告知を内容としている。
 つまり被告らの行為は、明らかに集団的、組織的詐欺脅迫行為なのである。

(四)被告福永以外による足裏診断及び診断士の養成
 そもそも、被告らの教義によれば、「天声」は被告福永しか聞くことが出来ず(大阪福永調書六一頁)、足裏診断もその「天声」をそのまま伝えるものである(被告福永の平成一一年五月二四日付け本人調書三頁)以上、被告福永しか行うことができないはずのものである。
 ところが実際には、被告法の華は、被告福永以外の診断士を養成し、その養成された診断士の中には、現在でも地方で活躍している者もいる(甲A一〇一の二〇一項)。さらに、被告福永や平賀が足の裏診断をする際に立会った者に対して平賀が診断士として認め(甲A一〇一の二一三項)、地方にて足の裏診断を行うことを許容し(甲A一〇一の二〇四項)、多数の原告らの足の裏診断を行っていたのである。
 被告法の華の天仕であり、北九州の地域本部や中・四国支局、関西地域本部、般若塾を歴任した新瀧浩一の福岡地裁での証言(甲A一〇五)によると、平成七年八月までは足裏診断士の養成が被告法の華により行われており、各支部には足裏診断士が一名配置されたが、同年同月になって被告法の華から通達が出され、足裏診断を支部で行うことが禁止されたとのことである。
つまり、被告らが否定してきたのとは裏腹に、組織的な診断士の養成が平成七年八月まで実施されており、しかも、診断を止めたのも、被告が主張してきたような自然消滅的なものでなく、被告法の華の指示に基づくものであることが判明した。
 すなわち、被告らの教義上最も大切な「天声」とは、見よう見真似で学ぶことができるものであり、足の裏診断も見よう見真似で行われていたのである。そして、その際には、後述するマニュアルの記載などを参考に見ようみまねで害悪の告知が行われていたのであり、このこと自体、足の裏診断が、原告らに一律に害悪を告知し、大量の被害者らを研修に誘い込む手段であったことを端的に現しているというべきである。

 また、被告法の華の幹部で、今回詐欺の容疑で逮捕起訴されている平賀に至っては、被告福永が全く関知していない相談者に対し、被告福永の名前を騙って、病気が再発するとか癌であるなどの足の裏診断を行っているなどとも証言している(甲A一〇一の四二二項以下)。
 しかもその際、平賀自身も直接相談者に会わずに、ファックスで送られてきた悩み事の内容を見るだけなのである。これらの事実は、足の裏診断がいかにいい加減なものであるかを端的に示している。
 被告福永は、前述の通り、地方で地方の担当者から各原告に告げられた「天声」の内容は、いずれも天声の趣旨に沿うものである。と明確に答えている。 福岡地裁でも同様の証言をしている(福岡福永調書七二五項乃至七四八項)。
天声を聞けない福永以外の者がどうして天声を正しく伝えられるのだろうか。これまたいい加減な話である。
しかも原告ら被害者に伝えられた天声の内容とは、足裏診断士養成マニュアルに記載された詐欺・脅迫内容に沿う害悪の告知そのものである。

(五)足裏診断士養成マニュアル
 足裏診断を行うについて、被告らの中では、平賀によって「足裏診断マニュアル」が作成され、このマニュアルの内容に即した診断が行われていた。
 このマニュアルによれば、相手の心理状態について、このままでは絶対にいけないとにかく今すぐ何とかしないと、という気持ちにさせ、具体的には、足裏を見て第一声(「あなたこのままだとガンになるよ!」「汚い足裏ですね!」「相当血液を濁してきたね!」など)を吐いて相手をびっくりさせ、頭を取れば最高の観いが源いてきて五代前の血液が正常に戻り全てが変わると説き、詰めの「辻説法」では、半分観いがこちらに向いている相談者に対して、後は本当に変わるというきめつけが大事とされ、最後の決め手として生かすべき「知恵の表現集」として、「このままでは棺桶に入れない」、「今のままでは命を取られる」、「後二か月で倒産するよ」、「自殺するね」、「結局貧乏人・病人の最後で誰にも相手にされないで終わる」、「八方塞がりの人生だ」、  「足裏のほくろは癌になりますよ」等々の言葉が紹介されている。

 このマニュアルに書かれてある内容は、原告らの受けた欺罔脅迫文言と一致し、しかも前記福岡地裁判決が認定する同裁判の原告らが受けた欺罔脅迫文言とも一致している。
 要するに、右マニュアルは、被告法の華らが現実に行ってきた違法な金員出捐要求行為の方法・内容と完全に符合したものであり、被告らの行為が、こうしたマニュアルに従って、全国的、組織的、計画的に遂行された詐欺・強迫行為以外の何者でもない事を、端的に示している。
 そもそも、被告福永自体、右マニュアルの内容について、「このような言葉を伝えることは行っている」(福岡福永調書七二五項)と証言し、被告らが足の裏診断の際にマニュアル記載と同旨の害悪を相談者に告知していることを認めていること、平賀は、平成元年の一二月二九日に天仕に就任し、その後は福永の足の裏診断に多数回立ち会っていること(同七六〇項)、今まで三〇〇〇人もの足の裏を見ていること(平賀の平成一〇年三月一六日付け証言調書六一頁)、しかも、平賀は被告法の華の中では福永についで一番足の裏診断の経験が深かったこと(甲A一〇一の三五七項)、マニュアル作成時点で、足の裏診断を始めて四年を経過しており既に十分な経験を積んでいたこと、被告福永「直属の足裏診断士」と称せられ(甲A一〇一の三七五項)ていたこと、このように十分経験をつんで被告福永の信頼が厚いからこそ、平賀は福永から診断士の養成を任され、このマニュアルを作成していることからすれば、被告が幾ら縷々弁解しようとも、少なくとも、このマニュアルの内容は、当時被告法の華が実施していた足の裏診断の内容を忠実に再現しており、マニュアル記載による足裏診断士の養成が行われてきて、しかもマニュアル記載そのものの勧誘が行われていたこと自体は明らかなのである。

(六)マニュアルに関する被告の主張に対する反論
 なお被告は、「マニュアルは足の裏診断養成所のために作成されたものであるが、足の裏診断養成所は二か月で閉鎖されてしまった」と主張する。つまり、被告らは、「二か月間、三〇名だけをこのマニュアルで養成したのみである」と、マニュアルの使用期間・マニュアルによる養成者が限定的なものであったと主張する。
 しかしながら、その養成された三〇名のうち、地方で足の裏診断を行っていた者も現にいるのであり(甲A一〇一の二〇一項)、このマニュアルに従い養成された診断士が、現にこのマニュアルに従い勧誘している以上、被告の主張は反論になっていない。
 特に、被告法の華の天仕であった新瀧浩一によると(甲A一〇五の一九三項以下)、平成七年一月から二月にかけて、このマニュアルがファイルに綴じられて、被告法の華の松涛本部の待機室の本棚に置かれており、手に取りマニュアルを目にしたとのことである。
 研修生や地方から上京した天仕が、被告福永の診断に立ち会う待機室に常置され、誰でも手に取り目にすることができるようになっていたのである。福永も、この事実や、地方に配布された事実を否定しないし、福永以外の者が使用、流通させた可能性も否定しないし、回収させた事実も無い(大阪福永調書八七頁以下)。
したがって、右マニュアルの使用期間が二か月だけだったとの被告らの証言は、事実、実態に全く反し、まったく信用に値しないものである。

(七)平賀証人および証言の信用性
 また当初被告らは、マニュアルの作成時期は平成二年であり、天仕になって間もない平賀が作成したものであり、重要なものではないかのごとく弁解していた。平成一〇年三月九日付けの平賀の陳述書(乙一〇)では「(このマニュアルは)私が「天仕」になって間がない平成二年六月ころ、作成したものです。」(二頁)、「他の同年輩の天仕に比べて足裏診断の経験が深いというわけでもありませんでした。」(八頁)などと経験が少なかったことをあえて強調していた。
 しかしながら、右マニュアルの冒頭には「足裏の書籍 金運上昇運は足裏でつかめを繰り返しよむこと」との記載があり、その「金運上昇運は足裏でつかめ」は被告福永の著書であるが、発行日は平成四年一〇月二九日であるから、少なくとも右マニュアルの作成日は平成四年一〇月二九日以降であることが客観的に明らかである(甲A四三の一枚目)。
 当法廷における反対尋問(平成一〇年三月一六日実施)において、この点を指摘された平賀は答えに窮し、合理的な説明をなすことができなかった(同日の平賀の証言調書一〇一頁から一〇四頁)。
なお、平賀は、その他にも多数の点において、本件訴訟と、福岡での証言をそれぞれ変遷させている。
たとえば、平賀自身が見た足の裏の数について、当初当裁判所においては、三〇〇〇名と答え、次の福岡地裁では一六〇〇名ぐらいであると答えている。福岡地裁の反対尋問にて、「東京で三〇〇〇人と答えていたではないか」と指摘されると、「(東京での三〇〇〇という数は)私と足の裏を専門に見ていた川村さんとか、そのトータルです」との理由を述べたが(甲A一〇一の二八〇項)、当裁判所の反対尋問での尋ね方は「その後何人ぐらいの方にあなたは診断しましたか」とはっきり主体を限定したものであって(平成一〇年三月一六日付け調書六一頁)、平賀の供述の変遷は、その場限りの言い逃れ以外の何ものでもない。

 また、マニュアルの作成「月」についても、平賀証人は、その場限りの供述に終始した。すなわち、マニュアルの作成年度について、前述のように当初「平成二年六月」と答え、当裁判所における反対尋問で、書類の発行日との矛盾を指摘されると、福岡地裁に提出した陳述書では、「平成四年六月」と訂正したが(甲A一〇一の二九六項、反対尋問において、「六月」の記憶の根拠を尋ねられると、「ですから季節的な記憶です。その当時の季節的な感覚の。」(甲A一〇一の三二二項)、「やはり暖かかったと、暑いというか、そういう時期でやっておりましたので」(同三二三項)、「(六月というのはもう確実に間違いないということか)はい。」(同三二五項、三二六項)と極めて断定的に理由まで述べて答えた。
 しかしながら、前述のマニュアルで引用されている書籍の発行月は、平成四年の一〇月二九日であるから、マニュアルの発行月も客観的には一〇月二九日以降しかありえず、六月ではありえない。この点を指摘された平賀は、やはり合理的な弁明をなしえなかった。
 このように平賀は多々矛盾した証言に終始するほか、今もって被告福永の信用が厚い教団幹部であることからして(平成一一年五月二四日付け福永本人調書四六頁)、明らかに被告福永を庇い、「足裏診断士養成マニュアル」の作成に関し、自らがすべての罪をかぶるかのごとき弁解であり、その証人性、ひいては証言全体の信用性は極めて低いというべきである。
 すなわち右足裏診断士養成マニュアルは、被告福永、被告星山らの指示のもと、作成され、そして運用されていると言うべきである。

4 即断・即決を迫ること
 以上のように、被告らは極めて組織的に足の裏診断を実施した上、研修に誘い込むが、その際、相談者に考える暇を与えない。
 短時間に参加を決意させるのも、被告福永いわく、被告法の華の教義に沿い、天声に沿ったものであると認めており(福岡福永調書六三〇項から六三五項)、これらは害悪を告知して相談者の不安感をあおった状況の中で、早期に参加を決意させる手段以外の何ものでもない。

5 「宗教」の秘匿
(一)秘匿の欺まん性
 さらに、被告らは、足裏診断を勧誘する際、研修に参加させる際のいずれの段階においても、相談者に対して宗教であることを伝えないし、宗教かと問われても、「宗教ではございません」と、積極的に「宗教」であることを否定する(被告福永の平成一一年五月二四日付け本人調書七八頁など)。
 しかしながら、一方で宗教であることを強調して、今回の詐欺容疑の強制捜査でも「宗教迫害」などと強弁し、税金の側面では宗教法人の恩恵を得ながら、相談者には「宗教」とは伝えないのは、その場その場で宗教を使い分けているにすぎない(同八一頁。甲A三八)。

(二)秘匿の帰結
 まず、被告らが宗教であることを秘匿するため、原告らは宗教とは認識せず、金員の出費を行っている。したがって、原告らの金員出捐行為は、被告主張のような宗教上の喜捨ではあり得ない。
次に、金員の出捐が「修行」そのものであると伝えられていない原告らにとって、多額の金員の出捐が宗教上の修行になることなどもあり得ない。
 原告らは、悩みに応じて研修に参加さえすれば悩みが解消されると言われ、研修参加を迫られて、研修費として金員を出捐しているにすぎない。
 宗教と伝えず、研修費と称して金員を要求しておきながら、金員の出費は宗教上の喜捨である、もしくは修行そのものであるとの被告らの主張は、まさに詭弁以外の何ものでもない。
特に悪質なのは、「宗教」であれば断るような宗教に敏感な人に対しても宗教でないと答えていること、更に、相談者から積極的に宗教ですかと聞かれた人に対しても宗教でないと答えていることである。
 その理由について、被告らは、宗教と知れば研修に参加しない人を研修に参加させるためであると証言している。
これは、参加者が研修に参加するか否かを判断する際の重要な判断材料を、あえて秘していることを自認するものに他ならない。
結局、被告らは、極めて意図的にその宗教法人という実態を隠した上で、原告らの自由な意思決定を奪った上で、研修に参加させているのであり、社会的相当性を逸脱する勧誘方法と言わざるをえない。

(三)秘匿の評価
 一般に、宗教は、人の価値観等に大きな影響を与えるものであり、研修等に参加するかどうかの判断に当たっては、これが宗教に関わるものであるか否かは重大な関心事であり、また、修行や喜捨等の宗教的行為が、社会通念に照らして荒唐無稽であったり、科学的根拠が明確でなかったり、宗教的行為とこれに先立つ出捐が対価的関係になくても許容されるのは、被勧誘者が、社会通念や科学的根拠等を超越した真理、法則等である宗教上の教義を信じることができ、その者の宗教的自由の外部的表現として、自発的に宗教上の行為に取り組む場合に限られるというべきであり、このような宗教性を明示せずに勧誘するときには、被勧誘者において、研修や物品購入等が出捐額に見合うだけの効果をもたらすとの誤解が生じうることは、十分に予想されるところである。
従って、宗教的行為を勧誘するに際しては、被勧誘者がその宗教的意義を理解し、その信仰心に基づいて修行等への参加を決定できるだけの説明をすることを要し、殊更宗教性を秘匿し、被勧誘者が宗教ではないと誤解していることに乗じて勧誘するなどの場合には、右勧誘行為は、不当な方法による勧誘行為として違法となる。のみならず、これを秘匿することにより、被勧誘者の無知、誤解に乗じて、金員等を取得する意図があったとみとめられよう。
 よって、被告らの勧誘行為は、不法な手段によるものとして、違法であると解する他はない。

(四)同種事案について
 なお統一協会信者の行ってきた霊感商法に関し、宗教法人である統一協会に対して民法七〇九条の不法行為責任を認めた奈良地裁平成九年四月一六日判決(判例時報一六四八号一〇八頁)は、「前記認定によれば、被告の献金勧誘のシステムの特徴として、@万物復帰の教えの下、個々の対象者からその保有財産の大部分を供出させ、被告全体としても多額の資金を集めることを目的とするものであること、A対象者がある一定レベルに達成するまで、被告の万物復帰の教えはもちろんのこと、被告や文鮮明のことを秘匿あるいは明確に否定したまま、対象者の悩みに応じた因縁話等をして不安感を生じさせ、あるいは助長させる方法をとっていること、B各種マニュアル等により勧誘方法が全国的に共通していて、組織的に行われていることが挙げられる」とし、「このうち、Aの点は、被告への入会ないしは献金等を勧誘するに際し、入会ないしは献金等をしようとする者の判断に影響を及ぼすこととなる重要なものにつき、不実のことを告げ、また、被告への入会ないしは献金等をさせるため、対象者を威迫して困惑させるものであり、方法として不公正なものと評することができる」としたうえで、「信教の自由との関係」について、次のとおり判示している。

 「宗教団体が布教活動ないし献金勧誘をする行為は、宗教的信仰の外部的な表現である点で、信教の自由(宗教的行為の自由)の一部として憲法上保障されている。しかし、本件のように宗教団体において、自らが宗教団体であることや当該行為が宗教的行為であることを殊更秘して布教活動等を行う場合においては、宗教的行為の一部であることが何ら外部には表現されておらず、宗教的信仰との結びつきも認められない単なる外部的行為とみられるから、信教の自由の範囲外であり、一般取引社会において要求されるのと同程度の公正さが献金勧誘行為においても要求されるものである。」
  
こうして同判決は、結論として、

 「以上を全体として総合的に判断すれば、被告の献金勧誘のシステムは、不公正な方法を用い、教化の過程を経てその批判力を衰退させて献金させるものといわざるを得ず、違法と評価するのが相当である」と判示している。

 また前記法の華福岡地裁判決(福岡地裁平成一二年四月二八日判決)は、「一般に、宗教は、人の価値観等に大きな影響を与えるものであり、研修等に参加するか否かは重大な関心事であり、また、修業や喜捨等の宗教的行為が、社会通念に照らして荒唐無稽であったり、科学的根拠が明確でなかったり、宗教的行為とこれに先立つ出捐が対価的関係になくても許容されるのは、被勧誘者が、社会通念や科学的根拠等を超越した真理、法則等である宗教上の教義を信じることができ、その者の宗教的自由の外部的表現として、自発的に宗教上の行為に取り組む場合に限られるというべきであり、このような宗教性を明示せずに勧誘するときには、被勧誘者において、研修や物品購入等が出捐額に見合うだけの効果をもたらすとの誤解が生じ得ることは十分に予想されるところである。
 
 したがって、宗教的行為を勧誘するに際しては、被勧誘者がその宗教的意義を理解し、その信仰心に基づいて修業等への参加を決定できるだけの説明をすることを要し、殊更宗教性を秘匿し、被勧誘者が宗教ではないと誤解していることに乗じて勧誘するなどの場合には、右勧誘行為は、不当な方法による勧誘行為として違法となるのみならず、右勧誘行為は、不当な方法による勧誘行為として違法となるのみならず、これを秘匿することにより、被勧誘者の無知、誤解に乗じ、金員等を利得する意図があったことを推認することができるというべきである。」と判示しているが、当然の帰結であり、被告らの勧誘行為は、不法な手段によるものとして、違法であると解すべきことは明らかである。  

6 修行内容の秘匿
 さらに、被告らは、研修内容も相談者に全く伝えない(甲A四五(被告星山証言証書)の二〇六項、二二〇項)。
その理由については、被告福永は、「何をやるかということを最初に申し上げちゃいますと、どうしても躊躇して、そして修行が始まる前に身を引いてしまうという方も過去あったわけでございますので・・」(福岡福永調書六三項)、「先ほども申し上げたように、説明をしたことでもって、そういうこともやるんですかと、土下座もやるんですかと、二四時間行と、そういうこともやるんですかと、だったら結構ですよという方が実はいらっしゃったわけで」(同九九七項)と述べた。
 つまり、被告らが修行内容を伝えないのは、内容を最初に伝えると、躊躇して研修に参加しない人が出てきたことがあるから、それを避け、研修に参加させるためであると明言したのである。
 また、被告らは原告らに対して、天声と称して病気が治ると伝えているが、行の内容を伝えないこととあいまち、治療、東洋医学もしくは自己啓発セミナーと誤解して参加した原告がいることについても、天声に沿うものであると陳述した(同六七一項)。つまり、研修内容を誤解する人が存することも認容していると明言したのである。
 さらに、研修内容を秘匿されることにより、後述のような尋常でない過酷な研修に参加すべきか否か、事前に判断する材料を与えられないことになるのである(甲A四五(被告星山証言証書)の五八二項)。
このような被告らの勧誘方法は、@原告らの意思決定に影響を及ぼす事項である研修内容につき、あえて意図的に秘匿し、A研修内容につき誤解を生じさせることをも認容した上で、Bさらに、過酷な研修に参加するか否か、過酷な研修に耐えられるか否かという意思決定権をも奪うものである以上、社会的に容認できない違法な勧誘行為であることは明らかである。
 この点被告福永は、研修内容を秘す理由につき、研修の内容は言葉での説明にはそぐわないからと述べる(福岡福永調書六七項)。
 しかしながら、タイムスケジュールに沿って(甲A二二「超人間完成生きざま修行」と題する文書)、研修内容を客観的に伝えることは可能であり、その上で、研修の必要性・内容の妥当性などを正面から説いて参加を勧誘するべきなのであって、「言葉での説明にはそぐわない」というのは何ら合理的な理由になっていない。

7 研修の過酷さと無内容さ(甲A四〇、甲A四五)
 こうして、先祖の因縁・血筋、健康状態の悪化、事業・結婚など将来への不安などを強調され、不安感が嵩じた原告らは、宗教であること・修行の内容などについても秘匿され、錯誤を生じさせられた状態で、富士の本部の施設内での四泊五日の研修に参加することになる。そして、施設に到着すると、現金を含め、すべての荷物を取り上げられて自由に使用することが禁じられた上で、定められた厳しい研修を強制される。
 そのタイムスケジュールは、甲A二二に記載されているとおりであるが、研修者間の私語は禁止され(甲A二四から二九)、睡眠時間は、研修中八時間程度に過ぎず、平均三、四時間で、時には徹夜させられることもあり、寝るときも毛布一枚にくるまっての雑魚寝で、入浴や歯磨き、着替えも許されない劣悪な状況下で行われる。
 また、その研修内容は、「七観行」などを長時間絶叫させられたり、街頭で「最高ですか」と大声をあげたり土下座して通行人に写経を求めることをさせられ、目隠しをさせられて長時間暗闇の中で正座させられる等、屈辱的であり、参加者の正常な判断能力を麻痺させるようなものである。
 そして、研修の指導員は高圧的であり、参加者の挙動を監視し、時にはこづいたりビンタを加えたりの暴行にも及び、研修を中止しようとする者を押し止めて帰宅させない。
このような過酷な研修を行うことにより、被告らいわく原告らの「頭をとる」。
 この「頭を取る」というのは、原告らの判断能力を奪うものでしかない。すなわち、被告福永いわく、「行に参加してこんなことをして何になる。」、「なんてばかなことをさせられるんだ。」と思うなど行に疑問を持ったり、反発を持ったりすることは「頭が取れていない状態」であり(福岡福永調書八八九項から八九五項)、「頭が取れる」と批判や疑問を感ずる必要がなくなるとのことである(同八九六項)。
 要するに、被告らの表現する「頭を取る」というのは、正常な判断能力を奪うということを意味するのであって、そのような勧誘行為が、著しく社会的相当性を逸脱しているのは明らかである。
こうした研修の結果、参加者の中には、監禁された者、幻覚を見た者、研修後に発熱等を起こした者等が続出し、平成五年から平成八年にかけて被告法の華の施設で自殺を含む事故が相次ぎ、救急出動要請があったこと(甲A七三)、被告らが施設の二階の窓に格子をつけたこと等に照らしてみても、被告らによる研修の異常さ、過酷さは常軌を逸したものという他はなく、また、研修参加前には研修内容を秘匿し、研修開始後は参加者に研修からの離脱の自由も認めず、異常で過酷な研修を強い、正常な判断能力・自由な意思決定能力を奪った状態の下で被告法の華の教義を注入したものというべく、宗教上の修行の名のもとに許容される範囲を著しく逸脱するものと言わざるをえない。

8 天声の虚偽性
(一)研修後の天声
 かかる過酷かつ異常な研修を受け、正常な判断能力を奪われ、被告いわく「批判や疑問を感ずる必要がない」状態に追い込まれた原告らは、研修終了後に、更なる金銭の出費を迫られることになる。しかも被告らは、研修に参加させる人に対して、天声に従った大きな金の出費が将来必要になることについて全く説明をしないため(甲A四五の二一七項)、既に研修によって正常な判断能力を奪われた参加者は、天声と称される金員の出捐に追い込まれていくことになる。
右研修終了後の金員交付の要求は、研修終了直後にされる場合と、研修後時間を置いた別の機会にされる場合とがある。
 このうち、研修終了直後にされる場合は、研修の最後に参加者各人についての「天声」が出たと告げられ、その後に開かれる天声を聞く集まりに呼び出され、そこで被告福永による天声が伝えられるが、その内容は、例外なく、高額で定額化された掛け軸の購入などを命じられるもので、その要求される額は数百万円から時には三〇〇〇万円に及ぶことまである。
 また、研修後時間を経てなされる場合も、研修直後の天声を聞く会に参加しなかったことを「天声に沿っていない」などと言われ、天声に従わなかったために研修の効果が出ていないと思い込ませて、やはり、高額の出捐を求める。
 
 こうした研修後の金員要求においても、被告らの要求行為は強引かつ執拗であり、断定的である。
 以上のような、研修終了後の金員要求は、研修直後になされる場合は、研修によって正常な判断能力が失われた状態にあることに乗じ、研修後時間を経てなされる場合は、既に研修参加費用として多額の出捐をしてしまっており、このまま支払わなければ研修の効果がなくなると信じ込まされていることに乗じ、更に追加の出捐を行わせることを意図してなされたものである。

(二)天声の欺瞞性
 被告法の華は、被告福永のみが感じることが可能な「天声」を伝えると称して、足の裏診断、研修への勧誘、研修代の二四時間以内の出費、研修への参加、研修後の天声の告知、およびさらなる金員の要求を行っている。
 しかしながらこの「天声」なるものは、極めて矛盾し、欺瞞に満ちたものである。大阪地裁の証言では、婚姻などで、自らは天声に反する行動をしていることしていることを説明できない(大阪福永二四頁など)、天声は手紙の真意真否もわからない(同三六頁)、天声で聴いたとされる予言について、教団の機関誌の記載内容と矛盾している(同四八頁など)。足裏診断の終了についての信者の証言との足裏診断の修了について証言の食い違いを説明できない(同一一六頁以降参照、天声で始めたものを、天声で終わらせないのはおかしい)。極めつけは、天声が間違うことがあるのかとの問いに対し、「天声というのはその都度の内容ですから何も間違いとか正しいとかそういう領域ではないんです」などと証言し、要は場当たり的でいい加減なものでありることを福永自身が認めているのである(同四五頁)。
 この点は福岡地裁の法廷でも厳しく追及されているので、以下いくつか指摘しておく。
    
@ 最初に天声を聞いたときの状況について、ある本では「昭和五五年一月六日午前二時、眠っていた私の目の前が真っ赤に耀いて、いろんな人が現れた」と記載し(天声聖書)、別の本では「昭和五五年の一月六日午前二時のことだ。眠れぬまま床に伏し、ぼんやりと天井を見つめていた私の眼前に、突然眩しい光が立ちのぼった。」(甲A三)と表現し、またある本では「私は、うら寂しい四畳半一間の暗がりのなかで、ガス栓に手を伸ばした。−そのときだった。突然、頭上にまばゆいばかりの光明が立ち上がり」(二〇〇一年の黙示録)と表現する。
 つまり、眠っていたのか、眠れぬままぼんやりしていたのか、ガス栓に手を伸ばしていたのか、天声を聞いたとされる際のシチュエーションが全く異なっている(福岡福永調書一八七項から一九二項、二〇〇項)。

A 次に、天声を聞いた際に誰が現れたかという点について、ある本では「そして、キリストが、また釈迦が、−とにかく何人もの聖人、高僧が眼前につぎつぎと姿を現し」と表現し(二〇〇一年の黙示録六九頁)、ある本では「その光の中に円覚寺の朝比奈宗源師が現れ、続いて良寛氏が、さらに多くの高僧が姿を現し、最後にキリストが現れた」(天声聖書)と記載して、その現れた順番に齟齬がある(福岡福永調書二一〇項から二一二項)。
 さらに、より古い本(病にうち克つ驚異の天行力四九頁六行目)では、「いまにして思えばあれがキリストだったのかもしれない、またあの高僧が釈迦だったのだろう」と記載し、はっきり「釈迦・キリスト」が現れたという表現をしていないなど矛盾がある(福岡福永調書二一九項、二二一項)。

B また、被告福永が天声を聞く直前の状況について、ある本ではすべてを失い借金は五億円と述べ(甲A三の二七頁)、またある本では、資産をすべて失い何千万円の借金が残ったと述べ(二〇〇一年の黙示録六八頁)、またある本では不動産を全部譲渡し、何とか一銭の借金も残らないように整理したと述べ(乙九「問う」二一頁)、明確な齟齬がある(福岡福永調書二二二項から二三九項)ほか、倒産の理由についても、ある本では手形のぱくりの被害にあったと述べ、ある本では取り込み詐欺にあったと述べている(同四一・二四〇項、二四一項)。

C 初めての「天声」という被告福永にとって、いわば根幹的なものについて、これだけ矛盾が生ずる以上、この最初の天声自体が、もはや作り話と言わざるを得ない。
実際、詐欺容疑で逮捕、起訴された被告法の華支部長である一之瀬道子被告人の公判における冒頭陳述において、検察官は、この最初の天声が、被告福永と被告井本の全くの作り話であることを、明確に立証目標としている(甲A一〇四の二頁)。

D さらに、人類滅亡の天声を聞いた時期について、ある本では「それは昭和天皇の亡くなる一日前、つまり昭和六四年一月六日だった」と述べておきながら(甲A三、福岡福永調書一六六項)、別の本では「それは一九八六年(昭和六一年)一月六日のことであった。恐ろしい内容である。」(二〇〇一年の黙示録五四頁、福岡福永調書二四三項)と述べている。
 そして、滅亡の時期についても、「二〇〇〇年で人類は滅び、二〇〇〇一年の夜明けは見ることはできない」と書く一方で、「二〇〇〇一年一月六日が滅亡の天声である。」とも書いている(福岡福永調書二五六項、二五八項)。
 しかも、滅亡の天声を聞いた後である平成二年三月一四日には、化粧品・宝石を扱うイメンスという株式会社を設立したほか、G1グループという様々な企業を作り(同一七三項、一七八項、甲A五二から五六、八九)、平成六年には「新億万長者になる法」、平成八年には「この人と結ばれるためにあなたは生まれてきた」という書籍、つまり、これから富を築く本や老後をいかに楽しく過ごすかという本を出版するなど滅亡の天声とは矛盾する行動を取り続けている(福岡福永調書一八一項)。

E その他にも、「天声」は極めて身勝手な内容のものである。例えば、現在は、「天に納めたお金を返すことはお金を納めた人にとって大変失礼なことであり、天声で固く禁じられている」と言いながら(平成一一年五月二四日付け被告福永本人調書九七、九八頁)、以前の訴訟では、受領した金員の額を基準にして、返還に応じてきている。
 また、一泊五〇万円するホテルオークラのスイートルームに、ここ一〇年間(平成一一年二月一日付け被告福永本人調書一〇三頁、一〇五頁)、年間でいうと二か月半家族で宿泊し、三〇〇〇万円以上の出費をすることも「天声」であるし(福岡福永調書四八六項)、福永の妻が、原告らが払わされた金員でブランド品を買いあさることも「天声」とのことである(同四五五項、甲A七二の六)。

F 更に、被告福永は、ミスターマリックという超能力を売りにした手品師とともに、日本テレビに出演し、「超能力と天行力を比較する」というコーナーに出た上(福岡福永調書九二一項)、客席の任意の人の誕生日を「天声」で当てたとのことである(同九二五項、甲A三一六三頁写真)。このように、奇術師とともにテレビ娯楽番組に出演し、明らかなトリックを使って、誕生日を当て合うことも「天声」とのことである。

(三)以上に述べたとおり、「天声」は様々な矛盾点を有し、相互に全く齟齬するものであり、極めて自己に都合の良い内容を含むものである。
 加えて、被告法の華のスタッフは、研修参加者が「天声」による金額を支払えないなどと拒絶の姿勢を見せるや、今なら特別価格なので一部でもよいとし て金額を変更するなど(なお甲A九七)、被告法の華の教義上絶対視されているはずの「天声」を、自らの判断で変更し、減額して勧誘行為をしていることなどからして、「天声」といいながらも、その内実は、被告福永を中心として作り上げられた虚言であり、被告らが、原告らに出捐させることを目的として利用している手段に過ぎないことは、明らかである。

二 結果
1 高額の金銭の出費 
以上に述べてきた被告らの行為の結果、原告らは極めて高額の出費を行っている。
 本件の原告らは、九三万四〇〇〇円から二六一四万一一四八円に及ぶ金額を出捐している。この出捐額自体、非常に高額というべきであるが、更に、原告らの中には、知人や金融機関から借金をしたり、退職金や保険金等の老後の生活の支えとなるべき金員を巻き上げられたりした者もいるなど、いずれも自らの年齢、家庭環境、資力及び社会的地位に照らして、不相当に高額な出捐をさせられている。
 また、被告らも、「天声」で伝える内容が極めて高額であることを認識している。
 例えば、被告福永は、「いや、私は正直申し上げて、天に対して、何と天は野蛮だな、何でこれほど無茶苦茶なお金を取るんかいなと。最初のころは本当に天にぶつかりました。」(平成一〇年一〇月一九日付け被告福永本人調書六二頁)と証言するほか、「最初に天法行が天声から示されたときに、真っ白い紙を三〇枚準備してクリップしなさいと、…・定めは三五〇〇円以上ですと。…真っ白い紙を三〇枚というのはお店で買ってくれば僅かでございまして、それをクリップするだけでございますので、原価から言いますと当然これは三五〇〇円という定価にはならないわけでございまして…」(同六三頁)、「法説御法行が出たときには紙一〇〇〇枚で一〇〇万円以上と、また、そのときもぶつかりました。…なんで天はそれほど金を求めるのかということを度々天にぶつかりました。」(同六四頁)とも証言している。

2 被告らが受領した金員の多額さ
 被告らの主張によれば(乙一三の3・福永陳述書(三))、一八年間で受領した金員の総額は、六一〇億円ということである。
しかし、被告福永は、累計で三万人前後が研修を受けたと述べているのであり(平成一〇年一〇月一九日付け被告福永本人調書五三頁)、被告らの主張の金額を前提にすると、一人あたり二〇〇万円となり、研修費にも満たないという矛盾が生じる(福岡福永調書四〇六項)。
 そして、全国の原告らの被害の平均である一人あたり四〇〇万円を前提にすると、一二〇〇億円近い金員を受領している計算になる(平成一一年二月一日付け被告福永本人調書六二頁)。
 また、被告福永の陳述書を前提にしても、残り一三パーセント・約七九億円の使途につき説明がない。
東京・福岡での各法廷においてこれらの点を指摘され、調査すると弁明しながら(福岡福永調書四一〇項、四一一項)、被告らからは本日まで何らの回答もないばかりか、今回の強制捜査の過程で、被告らが集めた金額は、判明しただけで、九五〇億円にのぼることがわかっている(甲A一〇〇の一の一〇枚目)。いずれにしろ、被告らは、原告らを含めた全国の被害者から莫大な金員を受領している。
 しかもそうして集めたお金について、被告福永は、六〇億円を、私的に流用したとも報道されている(甲A一〇〇の一の八枚目)

3 資金出捐の結果としての病状・人間関係の悪化
 被告らは前述のように、病気の人間に「病気が治る。このままで危ない。」などと伝えた上で、研修内容を秘した上で研修に参加させている。しかし、過酷な研修に参加したため、病状が悪化した参加者が多数存するとともに、一縷の望みをかけて研修に参加したが、かえって悪化し、死亡した者もいる。
 また、高額の出捐をした事が原因となって、家族関係が破壊されたり、ひいては家族五人を刺し、本人も首吊り自殺するなどの悲劇も続出している(甲A七四)。

4 結論
 このように、被告らの行為の結果、原告らは多額の金銭の出費を強要され、病状が悪化するなどに追い込まれる一方で、被告らはその多額の金銭を「人類救済」との極めて曖昧模糊な理由を掲げるのみで、不透明な処理を行い、自らの懐を肥やしている。

三 目的
1 信者へのノルマ
 被告福永及び被告李の福岡地裁によると「天声」によって天納する数と時期の目標が示される。それに基づいて、地域別に報告書が作成される(福岡福永調書一〇二〇項、甲A四五の二三九項以下)。つまり、本部より天納数の目標について指示があり、実際の天納数について支部から本部へと報告することになっている(なお甲A三四から三六)。
さらに、被害者らに天納させることにより、各人には、天納の数・金額に応じて、天仕般若料名目の金員が支払われる(甲A五二の二の一五〇項以下、福岡福永調書四一七項以下)。具体的には、各支部長には天納に応じて金員が支払われるし(甲B2の3、福岡福永調書一〇二四項)、天声講師には、天納させた数に応じてやはり般若料が支払われる(同四二二項)。
 このように、支部毎に目標が設定され、支部から本部に対する結果の報告を求められ、しかも数に応じた対価が支払われることにより、被告法の華の信者らは、原告を含めた被害者らに対し、積極的な働きかけや被害者の新たな発掘を行うことになり、結果的に、被告組織が、全体として、金員を詐取する目的で活動しているという社会的実態を有していることは、明らかである。
2 各種マニュアルの存在
 そして既に述べた足裏診断士養成マニュアル(甲A二一)、研修時における各種マニュアル(甲A二四以下)のほかにも各種マニュアルが用意されている。
 たとえば、支部運営マニュアル一式(甲A三九)と称するマニュアル類が存し、支部長行務マニュアル、法宣活動マニュアル、支部行事マニュアルなどに分類される。
 まず支部長行務マニュアルでは、「会員の実績評価」という項目があり(八頁)、「支部長は会員の法宣活動の実績を客観的に掌握しなければならない。」、「支部長は把握した会員の実績を支局長に報告する義務がある。」、「顕著な貢献のあった会員は表彰される」とある。また、「入会見込者情報の管理」(九頁)として、「個人開拓カードを作成して、保管の上進展状況を逐次記入する。」とある。
 さらに、一九頁以下では、「支局、本部への報告・連絡・相談」とあり、極めて詳細な取り決めを書式とともに行っている。

 法宣活動マニュアルでは、「法宣の要は各地の拠点をベースとした、会員による組織的な地上戦にある。」(二頁)とその意義を定義付けた上、小冊子配布作戦(一一頁)、「ローラー作戦」(一二頁)、「悩みからみた書誌成行アプローチ入会動機となる問題事・悩み」(一六頁)、「天行実証時機の見極め ケース1鉄は熱いうちに打てのヘビー層 ケース2もう少しで熱くなるのミドル層 ケース3熱くなるまで待とうのライト層」(二六頁)などと極めて具体的に、いかに天納させるかにつきマニュアル化している。

 さらに、支部行事マニュアルにおいては、各種催し物の位置付けが語られており、足裏診断会については、「目的 書籍と出会った人や誌友会員、準会員に実際に足裏診断の機会を設けて、四泊五日への特訓への動機づけとする。」(三五頁)と、足裏診断の目的を四泊五日の研修へ誘うための手段であると明確にその目的を説明している。
 このように、被告らは、極めて効率的に金銭の搾取を図るシステムを用意しており、その目的が不法であることは明らかである。

3 使途
 こうして原告を含めた被害者から搾取した多額の金員について、被告らは、人類救済のために使用すると弁明する。しかしながら、今のところ施設の運営管理を行う内容が精一杯ということであり(甲A四五の一三三項以下、五七七項)、実際には被告らの言うところの人類救済のための金員の出費はなされていない。
 むしろ、前述のように、@一泊五〇万円するホテルオークラのスイートルームに一年に二か月半も宿泊していること、A被告福永の妻がブランド品を買いあさっている報道がなされ、被告福永もその事実を認めていること、Bタナカヨシオなるブローカーに四億七〇〇〇万円もの金員を支払い、ガンジー・マザーテレサのような有名人に会い、その際の様子を写真に撮り機関紙に載せるなどして信者集めに利用していること(平成一一年二月一日付け被告福永本人調書八八頁から九〇頁)、C被告法の華は、九五年春から旅行代理店「ジョワツアー」、スーパーマーケット「マルタカ」、持ち株会社「ジーワン」などグループ六社を傘下におき、上納金を納めさせていたこと(甲A七二の五)、D被告福永も、右グループに資金を投資しており、現在も右グループが存することを認めていること(平成一一年二月一日付け被告福永本人調書七〇頁、七三頁)などの具体的に明らかになっている金銭の使途を見るならば、被告らの目的は、人類救済なるものではなく、単に多額の金銭を搾取することに存することは明らかである。
 なお今回の強制捜査の過程で、被告らが集めた金額は、判明しただけで、九五〇億円にのぼることがわかっており(甲A一〇〇の一の一〇枚目)、そうして集めたお金について、被告福永は、六〇億円を、私的に流用していたと報道されている(甲A一〇〇の一の八枚目)

4 以上、前記二(手段)及び三(結果)で述べてきたことに加えて、1〜3の事情、とりわけ、被告らは取得した多額の金員の使途について、人類の救済のための資金であるなどと曖昧な説明をするのみで、具体的な使途を明確にしないことに照らせば、被告らによる勧誘行為は、純粋な布教目的のみに基づくものとは到底認められず、専ら被告らの私的な利益追求のために、原告らから資金を巻き上げるという目的があったことは明らかである。

四 結論
 以上の事実、すなわち、被告らの勧誘行為等の目的、手段及び結果等に照らせば、被告らの勧誘行為は、宗教として社会的に相当なものとして許容される範囲を逸脱した違法なものであって、不法行為を構成することは明らかである。

五 不当利得返還請求(予備的)
 被告らの原告らに対する行為が、多額の金員獲得目的に病気など人の不幸・窮状に乗じて、ことさら、その不安感・恐怖心を煽って著しく不相当な多額の金員を拠出させるものであり、公序良俗に反し無効であることは明らかである。
  よって、被告法の華は、原告らに対し、当該金員を不当利得として返還すべき義務を負担している。

第三 同種事例(判例)について
一 法の華福岡地裁判決(福岡地裁平成一二年四月二八日判決)
1 事案
 この判決は、被告法の華らによる研修費等の獲得行為について初めて法的判断を下した民事判決で、事案は本件と全く同様である。
2 判断基準
 右判決は、違法性判断基準として、次のように判示した。

 「その目的が専ら相手方からの出捐による利益の獲得にある等不当な目的に基づく場合、また、先祖の因縁等の話を利用し、害悪を告知して、殊更に相手方の不安をあおり、困惑に陥れたり、長時間にわたる勧誘などにより、相手方を疲労させ、判断力を低下させた上で、相手方に出捐することを決意させるなど、不当な手段により、到底自由な意思に基づくとはいえない態様で出捐させた場合、さらに、右勧誘行為の結果出捐した額が、各出捐者の年齢、家庭環境、資力、社会的地位等に照らして、不相当に高額であるような場合には、もはや当該勧誘行為は、宗教として社会的に相当なものとして許容される範囲を逸脱しており、違法であるとの評価を受ける」

3 あてはめ
 そして、右判決は、被告法の華らの行為について、@足裏診断は、その内容自体から合理性にはなはだ疑問があるのみならず、名称も医学的根拠があるかのように紛らわしく、また、事前に被診断者の悩みを把握しておきながら、足裏診断で悩み等を言い当て、右診断がいかにも信憑性があるかのように仮装し、他方、被診断者に対し、診断の結果として不安をあおるような害悪を告知して、研修への参加を勧誘するという方法であることに照らせば、足裏診断は、まさに被診断者を研修に参加させることを目的としてとられた悪質な手段というほかなく、したがって、宗教的行為への勧誘手段として、社会的に相当であると許容される範囲を逸脱するものであるとし、A一般に、宗教により病気が治癒するなどの科学的根拠は証明されておらず、たとえ教義を広めるためとはいっても、安易に、研修に参加すれば病気が治るといった断定的な勧誘、説得は避けるべきであるにもかかわらず、被告らは具体的効果を断定的に約束する方法で研修への参加を勧誘し、また、慎重に検討する時間的余裕を与えず、即断を迫っていること、相手方が疲れて、判断力が失われるまで、数時間にわたって勧誘を続けていること、これらの勧誘は執拗であり、親族や金融業者から費用を借りてでも、研修に参加すべきである旨勧めることがあったとし、B宗教的行為を勧誘するに際しては、被勧誘者がその宗教的意義を理解し、その信仰心に基づいて修行等への参加を決定できるだけの説明をすることを要し、殊更宗教性を秘匿し、被勧誘者が宗教ではないと誤解していることに乗じて勧誘するなどの場合には、右勧誘行為は、不当な方法による勧誘行為として違法となるのみならず、これを秘匿することにより、被勧誘者の無知、誤解に乗じ、金員等を利得する意図があったことを推認することができるとし、C研修の過酷さ、異常さは常軌を逸しており、宗教上の修行の名のもとに許容される範囲を著しく逸脱するものとし、D被告らは、研修終了後に、「天声」が出たと称して、「家の中心」等の物品の購入を勧誘しているが、右勧誘は、研修直後にされる場合と、研修後時間をおいて別の機会にされる場合とがあり、前者の勧誘の場合は、研修によって正常な判断能力が失われた状態にあることに乗じ、校舎の場合は、既に研修参加費用として多額の出捐をしてしまっており、このまま支払わなければ研修の効果がなくなると言われたことを信じている事に乗じ、更に追加して、出捐させることを意図するものであったことが認められるとし、E被告らの勧誘行為の結果、原告らが出捐した金員はそれ自体非常に高額であり、原告らの年齢、家庭環境、資力及び社会的地位を考慮すると、不相当に高額な出捐をさせられたというべきであるとし、F以上に述べたことに加え、被告らは、取得した多額の金員の使途については、人類の救済のための資金であるなどと曖昧な説明をするのみで、具体的な使途を明確にしないことに照らせば、被告らによる勧誘行為は、純粋な布教目的のみに基づくものとは到底認められず、金員の利得を図る目的であったことは明らかであるとし、G以上の被告らの勧誘行為等の目的、手段及び結果に照らせば、右勧誘行為は、宗教として社会的に相当なものとして許容される範囲を逸脱した違法なものであって、不法行為を構成することは明らかであると結論づけている。

4 右福岡地裁判決によって、被告法の華らの行為に対して明確な違法判断が下されたが、その後、警視庁は、被告福永、被告星山、被告前川らを刑法上の詐欺罪の容疑で逮捕するに至り、既に事件は公判段階に至っている。

二 明覚寺霊視商法刑事判決(名古屋地裁平成一一年七月一九日判決、判例集未搭載)
1 事案
 この事件は、明覚寺の官長である被告人に対して、詐欺罪として懲役六年を言い渡した刑事判決である。
 事案は、明覚寺が、霊能による病気治癒等の悩み毎の解消を標榜する「ちらし」を頒布し、悩みごとを解決する霊能がないのに、霊能があるかのうように装い、ちらしを見て寺を訪問した相談者らに水子や変死者の霊が取りついており、供養料を支払って寺で供養をすれば、霊が成仏して悩み事を解決できる旨、相談者らを欺いて、相談者らから供養料の名目で金員を騙し取っていたケースである。

2 判決の指摘事実
 まず右判決は、詐欺罪の構成要件該当性の判断の中において、@明覚寺が秘法と標榜していた「鬼業鑑定」の実態をみると、姓名の字画数を「早見表」に当てはめれば、機械的に一定の「霊障」(明覚寺が言うところの、悩み毎の根源)を導くことができるのであり、特殊な霊的能力が必要であるとは考えられないこと、A被害者らに「霊障」を伝える過程は、予約受け付け係から引き継いだ「相談者リスト」の情報と、「鬼業鑑定」の結果を考え合わせて、事前に霊障の目どころを付けておいた上で、被害者との面談で得られた情報を加味して、最も当てはまると考えられる霊障を選んで伝えていたにすぎないこと、B僧侶の研修では話術の訓練が最も重視され、相談者の類型毎に問答が具体的に例示されたマニュアル類を用いて研修がされていたこと、などを指摘して、被告人の構成要件該当性及び故意を認定している。
さらに右判決は、違法性阻却事由にも言及し、被告人の行為は、C深刻な悩みを抱える被害者らに対して、「霊障」が悩み毎の根源であると断定し、かつ、供養によって悩み毎を解決できる旨ことさらに断言していること、D「鬼業鑑定」などの小道具類を利用したり、研修で取得した話術を駆使して、「供養」しなければ一層悪くなると被害者らの不安をいたずらに煽り、時には恐怖心すら植え付けるなど心理的に追い詰める手法を用いて、巧みに被害者らを錯誤に陥れていること、E合計二一五〇万円もの多額の金銭を「供養料」の名のもとに騙し取り、被害者らに対して物心両面にわたる深刻な被害を与えていること、F僧侶らに対してノルマが課せられ、ノルマを達成させるべく、「供養料」の実績を含む活動状況を日々報告させ、その成績如何によって給与額が変動する体制が取られていたことなどから、宗教活動として社会通念上相当として許容される範囲を大きく逸脱しており、違法と断定している。

3 被告法の華との共通点
 以上の@からFの事実は、まさに被告法の華の行為にもそのまま当てはまる事実である。
すなわち、被告らは、診断と称して原告らの足の裏を見た上、一律に研修に勧誘しているのであって、特殊な能力が必要であるとは考えられないし(@)、事前に聞き取った原告らの悩みに応じて、最も原告らが興味を引く勧誘文言を申し向けることを診断と称しているのみであり、「天声」により鑑定・識別していたと称しているにすぎない(A)。さらに、足裏診断士養成マニュアルを作成し、「知恵の表現集最後の決め手で生かしてください。」の項で、「このままでは棺おけに入れない。」「自殺するね。」「長生きするけど病気でずーっと苦労するよ。」などと話術の訓練が重視されたほか、その後も被告福永や平賀の足裏診断に地方の天仕が数度立会い、その診断トークを学ばせるなどの研修が行われ、平成七年八月まで診断士の養成が行われていたこと(B)、頭が取れていないことが悩みの根源であるとし、研修に参加すること、さらに天声に応じさえすれば悩みは解消すると断言していること(C)、診断士養成や実際の診断に立ち会うことによって学んだ話術を駆使して、研修に参加しなければ悩みは増幅すると原告らの不安をいたずらに煽っていること(D)、多額のる金員を取得して、原告らの物心両面に多大な被害を与えていること(E)、ノルマが課せられ、ノルマの達成度についての報告が求められ、その成績如何によってバックマージンがあるなどの体制(F)が取られていたものである。

4 従って、被告法の華の行為は、明覚寺霊視商法事件と同様に、刑事における詐欺罪に該当する行為であることは明白であり、被告福永らが逮捕されたのは、当然の事である。

5 なお霊視商法については、民事判決として、大阪地裁平成一〇年二月二七日判決(判例時報一六五九号七〇頁)が、あり、民事事件としても、詐欺行為が認められ、同判決は、「被告明覚寺の僧侶らは、因縁や霊障を見極める特殊な能力はなく、ただ、供養料獲得のマニュアルやシステムに則って、執拗に因縁や霊障の恐ろしさを解いて原告らを不安に陥れ、供養料を支払いさえすれば不幸や悩みから逃れられると誤信した原告らに供養料名目で金銭を支払わせていたものと認めるのが相当であり、これは、詐欺行為として違法と言うべきである」と判示し、被告の使用者責任を認めた。
 この事件では、慰謝料は認められていないが、これは原告側で、訴えの当初から請求しなかったと言う点に留意する必要がある。

三 統一協会献金違法判決(福岡地裁、福岡高裁、最高裁)
1 福岡地裁平六年五月二七日判決(判例時報一五二六号一二一頁、判例タイムズ八八〇号二四七頁)
統一協会がその信者らを駆使して行ってきた献金勧誘行為に関する初めての判決である。
 判決は、以下のとおり、信者らの献金強要行為の違法性について、明確に判断するとともに、統一協会の使用者責任も認めた。


 「一般に特定宗教の信者が存在の定かでない先祖の因縁や霊界等の話を述べて献金を勧誘する行為は、その要求が社会的にみても正当な目的に基づくものであり、かつ、その方法や結果が社会通念に照らして相当であるかぎり、宗教法人の正当な宗教活動の範囲内にあるものと認めるのが相当であって何ら違法ではないことはいうまでもない。
 しかし、これに反し、当該献金勧誘行為が右範囲を逸脱し、その目的がもっぱら献金等による利益獲得にあるなど不当な目的に基づいた場合、あるいは先祖の因縁や霊界の話等をし、害悪を告知してことさらに相手方の不安をあおり、困惑に陥れるなどのような不当な方法による場合には、もはや当該献金勧誘行為は、社会的に相当なものと言い難く、民法が規定する不法行為との関連において違法の評価を受けるものといわなければならない。」

 「非営利団体である宗教法人の信者が第三者に損害を与えた場合に、その信者が右宗教法人との間に被用の地位にあると認められ、かつ、その加害行為が宗教法人の宗教活動などの事業の執行につきなされたものであるときは、右宗教法人は右信者の加害行為につき民法七一五条に定める使用者責任を負うものと解するのが相当である。
 なぜなら、宗教法人に民法七一五条の適用を排除する合理的理由はなく、また、代表役員その他の代表者の行為による宗教法人の損害賠償責任を定めている宗教法人法一一条の規定も宗教法人につき民法七一五条の適用を排除するものとは解されないからである。」

 以上のとおり@違法の判断基準について、目的が利益獲得に基づくと認められる場合、もしくは、手段が、因縁話など不安をあおり、困惑に陥れるものである場合は、社会的相当性を逸脱すると判断し、さらにA事業の執行につきなされた場合には、民法七一五条の使用者責任を認めた。

 本件においても、被告福永らは、足の裏診断の際、研修参加を勧誘する際、天声と称して物品購入を迫る際と、執拗に因縁話などを説いており、その手口は極めて類似している。

2 ちなみにこの地裁判決は、控訴審でも、統一協会の控訴は棄却され(福岡高裁平成八年二月一九日判決・判例集未登載)、さらに、その上告も棄却され確定している(最高裁平成九年九月一八日、判例集未搭載)。
  
四 統一協会献金違法判決(東京地裁、東京高裁、最高裁)
1 東京地裁平九年一〇月二四日(判例時報一六三八号一〇七頁)
本判決も、統一協会による献金強要に関し、違法の判断基準を明記した上、宗 法人の使用者責任を認めている。
そして、違法の判断基準としては、以下のとおり「献金者の意思を無視するか、又は自由な意思に基づくとは言えない場合」として、献金者の意思に重点を置いた基準を掲げている。
なお、従来の裁判例と異なり、慰謝料請求を認めなかったが、この点は、控訴審で判断の誤りを指摘されている。

 「献金が、人を不安に陥れ、畏怖させて献金させるなど、献金者の意思を無視するか、又は自由な意思に基づくとはいえないような態度でされる場合、不法に金銭を奪うと言ってよく、このような態様による献金名下の金銭の移動は、宗教団体によるものではあっても、もはや献金と呼べるものではなく、金銭を強取又は喝取されたものと同視することができ、献金者は、不法行為を理由に献金相当額の金銭の支払いを請求することができると解すべきである。」(四二頁)

 「宗教法人は、その信者が第三者に加えた損害について、当該信者との間に雇用等の契約関係を有しない場合であっても、当該信者に対して、直接又は間接の指揮監督関係を有しており、かつ、加害行為が当該宗教法人の宗教的活動などの事業の執行につきなされたものと認められるときは、民法七一五条に定める使用者責任を負う。」(四五頁)

2 東京高裁平一〇年九月二二日(判例時報一七〇四号七七頁)
 統一教会の控訴を棄却した上、慰謝料に関する原告控訴部分については、原判決を覆した。
 すなわち、慰謝料に関しては、
 「一審被告の信者らによる一審原告に対する一連の献金勧誘行為は、社会的相当性を逸脱していると評価すべき違法と評価すべきであるが、これにより、一審原告は、不安心理を不当に増大させられたり、高額の献金を決意させられるなどして、相当の精神的苦痛をも加えられたものと認められ、右の精神的苦痛は、通常の財産権侵害における場合とは異なり、単に一審原告が違法に献金させられた献金相当額の返還を受けただけでは回復することができるものではないと認められる」と判示している。

3 最高裁平成一一年三月一一日(判例集未搭載)
 最終的に、この事件は、統一協会の上告が棄却され、被害者勝訴が確定している。

4 被告法の華との類似性(被告法の華の行為の評価)
 @被告らは、宗教法人であることを秘すとともに、「宗教ではないか」と直接尋ねられても「宗教ではない」と応えており、宗教と知っていれば参加しなかった原告をも参加させていること、A研修内容についても、一切事前に開示せず、原告の中には、経営セミナー、東洋医学などと考えて研修に参加した者も多数いるとともに、持病を抱えており研修内容を事前に知っていれば研修参加を控えた原告も少なくないこと、B以上@Aのように、研修に参加するか否かにつき事前に判断するための、重要な情報を意図的に隠すとともに、積極的虚偽をも重ねていること、Cさらに、「足裏診断」「天声」などという小道具を巧妙に利用し、繰り返し原告らの悩みに応じて不安をあおっていることからすると、金員出費者の自由な意志に基づいて出費したとは到底言えず、被告法の華らの行為が違法であることは明らかである。
 なお、上記福岡地裁群・東京地裁群ともに、「献金勧誘行為」の違法性を判断したものである。一方で、被告法の華らの場合は、その正体を隠して、金員を出捐させているものである。その結果、原告らは、宗教法人に献金する意志は全くなく、「経営セミナー代金、人生セミナー代金、東洋医学の研修代、気功等の治療代(いわゆる「研修代金」)」ないし「悩みを解消するために必要な金員(いわゆる「天声」)」との誤解を生じて出捐しているのであって、被告法の華らの行為が、より悪質(違法)であることは明白である。

五 統一協会霊感商法判決(福岡地裁平成一一年一二月一六日判決、判例時報一七一七号一二八頁)
1 事案
  この判決は、統一協会の関連会社が、印鑑や壺などを高額で売りつけた霊感商法に関して、全面的に原告の請求を認容したものである。

2 判断基準
 右判決は、違法の判断基準として、「宗教活動に藉口して専ら利益獲得を目的とし、勧誘された者の不安を増大させたり困惑を引き起こすような態様で行われ、社会的地位や資産等に照らして分不相応な多額の金員を支出させるなど、社会通念上相当と認められる範囲を著しく逸脱するものである場合には、右行為は違法となるというべきである。」と判示した。    

3 あてはめ
 その上で、@原告の娘の目に障害があるのは先祖の非道な行為の因縁であると決めつけ、さらに将来身内に障害者が生まれるなどと述べて、原告を不安に陥れることにより高額な物品の購入を承諾させていること、Aその代金には老後に備えるべき退職金の一部が当てられていること、Bまた、別の原告に対しても夫の病気は先祖の悪性格の因縁であると決めつけ、Cその因縁を断ち切るためには壺等を購入するしかないと困惑させて、物品の購入を承諾させたものであるとの点を指摘して、社会通念上相当認められる範囲を著しく逸脱していると認定している。

4 被告法の華との類似性(被告法の華の行為の評価)
 被告法の華は、原告らの悩みを把握した上、足の裏診断を行うなどして、本人の健康上の不安・子どもや親の健康上の不安・仕事上の不安は、五代前の先祖に問題があるなどと不安をあおり(@、Bの要素)、さらには過酷な研修に参加させた上、天声に応じないと右不安は解消しないと畏怖ないし困惑させて物品購入を承諾させている(Cの要素)。そして、各原告の多くは、退職金、将来の結婚資金、さらには借金などにより購入代金を捻出している(Aの要素)。
 このように、被告法の華らの行為は本件判決事案に極めて類似しており、被告らが「天声」と称して物品を購入させている行為が、違法であることは明らかである。

六 宇宙パワー商法判決(東京地平成九年五月二七日判決、判例タイムズ九四二号二六七頁、判例時報一六三六号七八頁)
1 事案
 自称宇宙パワーを有する中国人女性が、日本テレビの番組や出版物を通じ、宇宙パワーにより難病を治癒すると称し、番組や出版物を見て来訪した難病患者らに対して、高額の金員を要求した行為を、難病患者らに対する詐欺行為に当たるとして、不法行為による損害賠償が認められた事例である。

2 右判決の認定事実
 右判決は、詐欺の事実の認定の中において、@テレビ及び出版物により、学歴・学位・医師資格の全てについて虚偽の事実を広く流布しているほか・・・これらの資格及び経歴の詐称は、常軌を逸したものであるが、・・・このような資格・経歴の詐称がなければ、これほどまでに被告が高額の治療費を収受することはありえなかったものであり、その意味で、この資格・経歴の詐称は重要な意味を有すること、Aあたかも、難病一般について気功とは異なった「宇宙パワー」という超能力により、相当程度の割合で治療効果があるかのように説明していること、Bこれらの行為は、平常心でいられない難病又は回復困難な病状にある患者及び近親者の心理を巧みに利用し、しかも、テレビ放映及び出版を利用して収奪の拡大を図った点で、被告の行為は、巧妙かつ悪質であると言えると結論付けている。 

3 被告法の華の類似性(被告法の華の行為の評価)
 被告福永法源は、「病苦を越える最後の天行力」などの著書の中で生体哲学博士などと標榜するほか、国連親善大使などとも虚偽の事実を広報して宣伝する他、ローマ法王・クリントン、ゴルバチョフ・マザーテレサなどの著名人との面会に多額の金員を費やし、その面会写真をも宣伝に利用するなどしている(@の要素、甲A五一、六〇、九六など)。

 また、「病苦を越える最後の天行力」等の被告アースエイドの出版物などの中で、「癌が治った」などの体験談、もしくは被告福永が癌やエイズを治したとの著述をしており、被告福永だけが感じられるという「天声」により病気も治るなどとの説明を幅広く宣伝しているが、かかる体験談は全て虚偽であることが、その後の警視庁の捜査で判明している(Aの要素)。
 さらに、これらの被告福永ほか被告らの行為は、親族の脳梗塞などの病気を抱える原告らの心理を巧みに利用し、しかも、出版物を利用して収奪の拡大を図ったものである(Bの要素)。
 以上のとおり、被告らの各行為が、本判決指摘事実を満たし、違法行為であることは明らかというべきである。  

七 統一協会「青春を返せ」岡山地裁判決(岡山地裁平成一〇年六月三日判決、判例集未搭載)について
1 本件は、被告統一協会の勧誘により同協会に入信し、後に脱会した原告が、入信したのは被告法人のいわゆるマインドコントロールによる勧誘、教化行為により宗教選択の権利を侵害され、また、自由な意思形成を不当に妨げられた結果であるとして、反社会的集団に心ならずも所属させられ、その一員として活動させられたことにより多大な精神的苦痛を被ったとして、慰謝料を請求すると共に、併せて、被告協会に対する献金の返還をも求めたものである。

2 これに対して、判決は、原告の主張するマインドコントロール論は、多義的な概念であるとしてこれを退け、また、原告の入信の経過について、原告が最初に勧誘を受けてから棄教・脱会に至るまで約一年五か月の期間を要しているが、その間、被告法人の教義、信仰を受容する過程において、その各段階ごとに自ら真摯に思い悩んだ末に、自発的に宗教的な意思決定をしているとして、協会の勧誘は社会的相当性を逸脱したものとまでは言えないとし、献金の返還請求についても、一般に、宗教活動に伴う献金勧誘行為にあたって、多少なりとも吉凶禍福や先祖の因縁話・霊界の話等が説かれる場合が多く、そのような言を用いて献金を求める行為一般を違法であると断じることは宗教に対する過度の干渉となるので許されないものと解すべきであり、本件のそれが特に社会常識を逸脱したものとまではいえないとして、原告の請求をいずれも棄却した。

3 しかし、この判決は、統一協会によるマインドコントロールの実態を理解せず、せず、献金勧誘行為についても、統一協会や法の華のような、組織的計画的に被勧誘者を欺罔して献金を強要するカルト教団の行為の特質を見極めることなく、安易に一般の宗教団体の献金勧誘行為と同一視して適法とするものであり、到底、是認できるものではなく、本件の参考になりえないものである。

4 事実、この判決は、本年九月一四日、広島高裁岡山支部で、取り消されている。
 すなわち広島高裁岡山支部判決は、次のように判示している。
    
 「宗教団体が、非信者を勧誘・強化する布教行為、信者を各種宗教活動に従事させたり、信者から献金を勧誘する行為は、それらが、社会通念上、正当な目的に基づき、方法、結果が、相当である限り、正当な社会活動の範囲内にあるものとと認められる。しかしながら、宗教団体の行う行為が、専ら利益獲得等の不当な目的である場合、あるいは宗教団体であることをことさらに秘して勧誘し、徒らに害悪を告知して、相手方の不安を煽り、困惑させるなどして、相手方の自由意思を制約し、宗教選択の自由を奪い、相手方の財産に比較して不当に高額な財貨を献金させる等、その目的、方法、結果が、社会的に相当な範囲を逸脱している場合には、もはや、正当な行為とはいえず、民法が規定する不法行為との関連において違法であるとの評価を受けるものと言うべきである。
 而して、前記認定したとことによれば、一の2の一連の行為は、個々の行為を見ると、一般の宗教行為の一場面と同様の現象を呈するものと言えなくもないもないものもあり、また控訴人は主観的には自由意思により決断しているようにみえるが、これを全体として、また客観的にみると、被控訴人の信者組織において、予め個人情報を集め、献金、入信に至るまでのスケジュールを決めた上で、その予定された流れに沿い、ことさらに虚言を弄して、正体を偽って勧誘した後、さらに偽占い師を仕立てて演出して欺罔し、徒に害悪を告知して、控訴人の不安を煽り、困惑させるなどして、控訴人の自由意思を制約し、執拗に迫って、控訴人の財産に比較して不当に高額な財貨を献金させ、その延長として、さらに宗教選択の自由を奪って入信させ、控訴人の生活を侵し、自由に生きるべき時間を奪ったものと言わざるを得ない。
 なお本件においては、控訴人がマインドコントロールを伴う違法行為を主張していることから、右概念の定義、内容等をめぐって争われているけれども、少なくとも、本件事案において、不法行為が成立しているかどうかの認定判断をするにつき、右概念は道具概念としての意義をもつものとは解されない(前示のように、当事者が主観的、個別的には自由な意思で判断しているように見ても、客観的、全体的に吟味すると、外部からの意図的操作により意思決定をしているとの評価される心理状態をもって「マインドコントロール」された状態と呼ぶのであれば、右概念は説明概念にとどまる)。
 そうすると、本件において、被控訴人の信者組織のメンバーが周到に計画したスケジュールに従って、有機的に連携してなした一連の行為が宗教行為と評価しるととしても、その目的、方法、結果が社会的に相当と認められる範囲を逸脱しており、教義の実践の名のもとに他人の法益を侵害するものであって、違法なものと言うべく、故意による一体的な一連の不法行為と評価されることになる」
  
八 まとめ
 以上、同種民事判例群を検討したことから明らかなとおり、被告法の華、被告福永らの行為は、いずれの判例もが指摘する違法判断における間接事実を満たしている。
 むしろ、被告福永法源が、原告らから金員を収奪する過程において、極めて主体的・積極的に関与していること、すなわち、自ら原告らの足の裏診断を行うほか、研修での講話・苦の業などにも自ら関与し、さらには「天声」と称し、被告福永のみが感じられるという物品購入に関する指示を出すなどしていることからするならば、被告福永の行為が違法となることは論をまたないほか、右福永の指示に従い多数の原告らに「天声」を伝えるとともに脅迫文言を伝えるなどしていた他の被告らの行為が違法であることは、前述の同種判例事案よりも、さらに悪質な構造故に、極めて明白というべきである。

第四 被告らの法的責任
一 被告法の華について
1 被告法の華は、被告福永が開いた宗教法人で、天声村と称する大規模な宗教施設を有し、全国に一〇箇所の地域本部を置き、それぞれに地域本部長及び足裏診断士などを置いており、支部は合計約一八〇存在するものである。
 被告らの原告らに対する勧誘行為は、被告福永が開いた被告法の華の教義に基づく体裁をとった上で、足裏診断等によって、相手方の健康状態、家庭状況等にかかわる害悪を告知し、研修に参加した場合の効果を執拗に述べながら、即断、即決を迫って、被告法の華主催の天声村における研修等に参加させ、これに続いて、被告福永らが、「天声」と称して更なる高額な金員の出捐を要求するものであり、その実態に照らせば、本件原告らの被害は、被告法の華自体が主体となって行われた組織的な不法行為であることは明らかである。このことは、刑事事件で、逮捕されているのが全て責任役員、理事であることがにも象徴される。
 従って、被告法の華は、独立の主体として、民法七〇九条、七一九条による責任を負う。

2 仮に、被告法の華に直接の不法行為責任が認められないとしても、以下に述べるとおり、被告法の華は、被告法の華の信者らがなした本件違法な行為によって原告らに与えた損害について、民法七一五条の使用者責任を負うと解するべきである。
 そもそも会社の従業員が第三者に損害を与えた場合は勿論、非営利団地である宗教法人の信者が第三者に損害を与えた場合にも、その信者が右宗教法人との間で被用者の地位にあつたと認められ、かつ、その加害行為が宗教法人の宗教的活動などの事業の執行につきなされたものであるときは右信者の加害行為についても宗教法人は民法七一五条の使用者責任を負う(福岡地裁平成六年五月二七日判決・判例時報一五二六号一二一頁、高松地裁平成八年一二月一三日判決、大阪地裁平成一〇年二月二七日判決・判例時報一六五九号七〇頁、東京地裁平成九年一〇月二四日判決等、判例多数)。
 本件においても、被告法の華の信者らが共同して前述した違法な行為を行って原告らに損害を与えており、右信者は被告法の華の被用者の地位にあり、かつ本件違法な行為はまさに被告法の華の宗教的活動としてなされている。
 よって、被告法の華は、信者らによる違法な行為について、民法七一五条に定める使用者責任を負う。

二 被告福永について
 被告福永は、被告法の華の開祖であり、教祖かつ責任役員として、また、研修参加及び物品購入の各勧誘行為に不可欠な「天声」の唯一の感得者として、前記違法行為の主導的立場にあり、さらに、自ら、足裏診断を行い、「天声」を伝えるなど、不法行為を主導的に実行した者であり、その地位及び関与の程度に照らせば、他の被告らと共同して違法行為を行ったというべきであるから、民法七〇九条、七一九条に基づく不法行為責任を負う。

三 被告井本について
 被告井本は、被告福永の実母であり、被告法の華の責任役員及び被告法の華の広報紙である「さくら新聞」の発行主かつ代表取締役の地位にある者であって、その地位に照らせば、被告福永らと共同して、前記違法行為を行ってきたものというべきであるから、民法七〇九条、七一九条に基づく不法行為責任を負う。

四 被告星山について
 被告星山は、被告法の華の責任役員であり、被告福永に次ぐ主導的立場にあったことに照らせば、被告福永らと共同して、前記違法行為を行ったというべきであるから、民法七〇九条、七一九条に基づき、不法行為責任を負う。

第五 損害について
 一 実損害
以上、被告らの不法行為により、原告に対しては、訴状記載の損害が生じているから、すべて被告らが賠償すべき義務がある。
 なお原告らの損害のうち、一部損害については、足裏診断を受ける前に出費したものであるとか、被告らの欺罔脅迫文言が発せられる前に、出費したものもないわけではないが、これらは被告らが、その後に続く不法行為に至る手段として、出費を促したもので、被告らの不法行為と因果関係を有する損害というべきである。
 前記前記法の華福岡地裁判決(福岡地裁平成一二年四月二八日判決)もこの点、全くの疑問を持っていないし、やや事案が異なるが、前記統一協会に対する奈良地裁平成九年四月一六日判決(判例時報一六四八号一〇八頁)も、「なお、主体が被告であることを明かされる以前において、原告が被告の因縁話等により詐欺的に宗教へと誘い入れられ、受講料相当額を出捐させられた点についても、右違法な献金勧誘行為と因果関係のある損害と認められる」としている。 

二 慰謝料について 
1 原告らは、その多くが自己又は家族の病気、性格的傾向、経済的病状等、自己の努力のみでは容易には解決がつかないことに対して深刻に悩み、苦しんでいた者であり、被告らの勧誘行為により、悩みに対する不安や恐怖感を不当に増大され、反面、現代医学等では治療不可能な病気につき、研修等によって治癒できる等という根拠のない一時的な希望を持たされたこと、過酷な研修を受けさせられ、直接暴行を受けたり、研修後に体調を崩した者もいること、多額の出捐を余儀なくされ、将来の生活の原資を失った者のいること等の事実に照らし、原告らの受けた精神的苦痛は甚大である。また、原告らは、研修等が宗教的行為であること、研修が極めて過酷な内容であること、研修後に更なる金員の要求をされること、金員の出捐は被告法の華において宗教上の喜捨の性格を持つとされていたこと等について、事前に何らの説明も受けていなかったのであり、従って、被告らの行為は、原告らの宗教的行為に対する自己決定権の侵害という側面も有しているというべきである。

2 そうであれば、本件を単なる財産権の侵害による不法行為として、原告らによる出捐額相当の賠償を受けるだけでは、その被った精神的損害を慰謝することはできず、各訴状記載の慰謝料の請求が認められるべきである。

3 なお原告の中には、被告らから勧誘された後、畏怖と誤信から、被告らの活動の一部をなした者もいるが、前記本年九月一四日付け広島高裁岡山支部判決は、次のように判示し、原告に対し、実損害七二万円を超える金一〇〇万円の慰謝料を認めている。

「控訴人は、被控訴人の信者らが有機的一体としてなした不法行為によって、 宗教選択の自由を不当に侵害されたうえ、その人格権を侵害され、正常な日   常生活を回復した後で回顧すれば、霊感商法等の反社会的経済活動をする集団に心ならずも所属しその一員として活動することとなったことにつき自責   の念に苛まれ、被控訴人の信者組織からの勧誘行為に端を発して棄教するまでの間、貴重な人生の日々を控訴人にとっては後悔のみ残る時間としてしか過ごせないことを余儀なくされたものとして、絶え難い悔しさを残していることが認められるところ、控訴人を慰謝するには一〇〇万円を下回らない慰謝料をもって相当とすべきことは明らかである」 

第六 時効について
一 同種裁判例からの帰結
 本件は、不法行為に基づく損害賠償を求めているから、本件各提訴について、形式的に金員出捐時を消滅時効の起算点とするならば、三年の短期消滅時効が完成しているかに見える原告がいる。
 しかしながら、不法行為の消滅時効起算点は、まず「加害者の行為が違法なものであること並びにそれによって損害の発生したことの両者を知」ったときである(大判大正七年三月一五日―大審院民事判決録二四輯四九八頁)。
 そして、使用者責任を問う場合の消滅時効起算点は、右判例を当然の前提として更に「使用者並びに不法行為者との間の使用関係がある事実に加えて、一般人が当該不法行為が使用者の事業の執行につきなされたものであると判断するに足りる事実をも認識」したときである(最判昭和四四年一一月二七日―民集二三巻一一号二二六五号)。
 右の各判例に従えば、本件各原告について、消滅時効期間の起算点は、原告弁護団の弁護士に相談して、多数の事例と法的評価の説明を受けた時点であるというべきである。
 前述の統一協会に対する福岡地裁平成一一年一二月一六日判決(判例時報一七一七号一三一頁)は、この点、次のように判示している。

 「使用者責任において民法代七二四条の加害者を知るとは、被害者が、使用者並びに使用者と不法行為者との間に使用関係がある事実に加えて、一般人が当該不法行為が使用者の事業の執行につきなされたものと判断するに足りる事実をも認識することを言うと解される。・・・・(原告らは)いずれもいわゆる霊感商法により被害を受けたとして、原告ら訴訟代理人に本件訴訟を委任することとなったこと、被告ハッピーワールドと不法行為の実行者である外交員らのと間には複数の販売会社が介在しており、原告らにとって、弁護士への右委任までは、同被告と外交員らとの間に使用関係があるのか、原告らのへの不法行為が、同被告の事業の執行にきつきなされたものであるかについての判断は非常に困難であったことを認めることができる。そうすると同被告に対する損害賠償請求権の消滅時効の起算点は、右委任の時であったというのが正当である」と判示し、消滅時効の起算点は、原告弁護団に委任した時点を時効の起算点と解し、被告ハッピーワールドの消滅時効の抗弁を排斥している(判例時報一七一七号一三二頁)。
加えて本件と同種事案である被告法の華に対する福岡地裁本年四月二八日判決は、
「民法七二四条によれば、不法行為による損害賠償請求権の消滅時効の起算点は、「損害及び加害者を知リタル時」とされているところ、前記認定によれば、右各原告につき、出捐時から訴え提起まで三年以上の期間が経過していることが認められる。しかしながら、事実関係を十分に把握するだけの情報及び資料等を入手することができず、法律的知識に乏しい右原告らにおいて、被告アースエイド、被告星山及び被告井本の存在、被告ら相互間の関係及び役割、被告らの行為に対する法的評価等について、容易に理解、判断することができず、また、証拠によれば(原告本人)、自己が被害を受けた事実を認識することへの心理的抵抗があったことが認められる。そうであれば、右各原告らが、出捐後直ちに、被告らから被害を被ったことを知ったと認めることはできないといわなければならないとし、・・・被告らの消滅時効の主張はいずれも採用できない」としている(二〇七頁から二〇九頁)。

二 本件では、被告法の華と被告福永らの行為が違法であること、更に右各判例でいう使用者性や事業執行性の認識は、自己の狭い経験しか知識がなく且つ法律に素人の一般人では容易に知り得るものではなく、現に知らなかったのである。

1 例えば、病院前でばら撒いたりされる「病苦を超える最後の天行力」等のいわゆる福永本が不特定多数の人々の中から原告らを釣る道具であり(消費者問題においては「投網商法」と名づけられている悪徳商法の一つである)、足裏診断がその後に続く研修参加費や天納金の拠出に導く意図的で周到な一連のプログラムの端緒であること、そして、研修それ自体が参加者を肉体的・精神的に疲弊させ正常な判断力を殺ぎ、被告福永の天声が絶対の命令だと信じ込ませて天納金の拠出へ導く目的で行われていること等などは、多くの事例を収集し整理分析して始めて明かになることである。
原告ら一般人が自己の体験のみで、被告らから受けた行為が法的に見て社会的相当性を逸脱する違法行為である、などと評価できる訳ではない。
原告ら一般人は、原告弁護団の法的な説明を受け、且つ原告の体験を多数の事例の中に位置付けることが出来て始めて被告らから受けた行為が違法と知り得たのである。その意味では、マスコミ報道で不安を覚えた程度でも、違法性を知るには足りないというべきである。

2 また、行為主体の面から見ても、被告福永の著作は、株式会社アースエイドの出版であり、この一見普通の出版社に見える株
式会社が被告法の華とどのような関係にあるか、原告らにも一般市民にも不明である。更に、連絡をとる窓口も「ゼロの力学本庁」とされて、これが被告法の華の布教部門であることも一般人は知らないし、原告らには明らかにされていない。

3 更に、宗教ではないことを標榜しつつ(そのことは被告法の華も認めている)一般人を参加させて行う研修事業と、現に宗教法人格を有する「法の華三法行」なる団体が行う宗教行事との関係も、主体を曖昧にするのみならず事業執行性についても一般人を混乱させるものである。

4 違法性を知ること、金員の出捐が損害と評価できること、加害者を知ること、更に行為主体間の使用関係を知ること、どの行為者のどの事業執行に際して、自分が被害を受けたのか、等などについては、原告らは、自己の狭い経験しかないうえ法律の素人でもあるのだから、容易には知り得ず且つ現に知らなかったものである。

 それらのことを実際に具体的に知ったのは、原告弁護団に属する弁護士に相談した結果、多数の事例を整理分析した知識と法的意味について、その弁護士から説明を受けた時点である。

三 以上を要するに、事実関係を十分に把握するだけの情報及び資料等を入手することができず、法律的知識に乏しい原告において、被告ら相互間の関係及び役割、被告らの行為に対する法的評価等について、容易に理解、判断することができなかったことに照らせば、右各原告らが、出捐後直ちに、被告らから被害を被ったことを知ったと認めることはできず、本件各原告について、消滅時効期間の起算点は、原告弁護団の弁護士に相談して、多数の事例と法的評価の説明を受けた時点であるというべきである。

四 時効援用権の濫用
 なお念のためであるが、仮に本件で時効消滅が認められる原告がいたとしても、被告らに対しては時効援用権の濫用が認められるべきである。

 なぜなら消滅時効期間を起算するための各事実を、原告らが認識していなかったのは、それらの事実を意図的に隠蔽し撹乱してきた被告らの積極的行為があったからである。
 すなわち、例えば「病苦を超える最後の天行力」(甲A三)においては、被告宗教法人「法の華三法行」の名前はどこにも出て来ず、著者とされる被告福永の著者紹介でも、被告宗教法人法の華三法行の代表役員の肩書きはない。出てくるのは奥書辺りのゼロの力学本庁という一般人には正体不明の団体の名称と、出版社の株式会社アースエイド及びその代表取締役である被告星山くらいである。
 
 そのことは、出版物のみならず講演会等でも同じである(乙第一八号証九九項以下)。そして、ゼロの力学に電話を入れても、そこが被告法の華の布教部門とはわからない。
従ってもちろん、ゼロの力学本庁という団体らしきものと株式会社アースエイドの背後に隠れている被告法の華は、原告らには認識できない。

 その上で、被告ら自ら認めているように、被告らは被告法の華が宗教法人であることを教えないまま研修に誘い込む(宗教であることを明示しないことについての被告らの弁解は詭弁に過ぎない)。
また、研修費の送金も「ゼロの力学」もしくは個人宛に送らされる原告が殆どである。
 
 結局、研修の実施主体が誰なのか、すなわち、ゼロの力学本庁という何らかの団体なのか、「法の華三法行」という名前がわかったとしても宗教法人かどうか不明で性格の曖昧な法人ないし団体なのか、或いは被告福永個人であるのか、更に、自己の受けた研修が宗教行事なのか自己啓発セミナーの変種なのか、天納金の納め先は右のどこの団体か個人か、原告らには全て曖昧なままに推移して来たのが事実である。
 その点で明確な認識を得るには、前述の通り、弁護士の説明を待たなければならなかった。
 これらの主体の隠蔽・撹乱や研修の性格の曖昧化は全て意図的なものであり、この様な加害者の意図的な行為により、加害者や使用関係・事業執行性を知り得なかった場合に消滅時効を援用するのは、著しく正義に反し権利の濫用に当ることは論を待たない。

以  上