名誉毀損の法理
2003年5月1日号
UP03/11/04
最終更新03/11/04
本文約2000字
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 2002年、インターネットの世帯普及率が50パーセントを超えた。インターネットの影響力が拡大するにつれ、インターネット上の掲示板やホームページで名誉毀損の被害を受けたという苦情が増加している。インターネットで表現を発信する以上、他人の名誉を毀損する可能性は必然的に生ずる。前回に引き続き「名誉毀損の法理」を考えてみたい。





名誉毀損とは?


 「国連無視の開戦に異論続出。小泉政権・迷走中」「戦争反対。小泉政権打倒!」

 いずれも最近のイラク問題を念頭に筆者が想像で作った表現で、前者は「新聞記事」の見出しの例、後者は「デモ行進」でのプラカードの例だ。こうした表現について、誰しもが「問題のない表現」「表現の自由の範疇」と思うことだろう。ところが法律の世界では、名誉毀損が成立する可能性がある。

 刑法230条は、「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する」と定めている。名誉とは、人の「社会的評価」であり、毀損とは「害すること」つまり「人の社会的評価を低下させること」を意味する。

 つまり「小泉政権・迷走中」「小泉政権打倒!」と書けば、当然、小泉首相の社会的評価は低下するから、名誉毀損が成立してしまう可能性がある。

 ところがこれでは表現の自由を制限するおそれがある。
 そこで刑法は「行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない」(第230条の2の1項)という特例をもうけている。

 つまり①表現された事実が、公共の利害に関する事実にあたり(「公共性」の要件と言われる)、②目的が専ら公益目的であり(「公益目的」の要件と言われる)、③真実の証明があれば(「真実性」の要件と言われる)、「罰しない」とされる。

 また名誉毀損は故意犯だから、判例上「事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実だと誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らして相当の理由があるときは、故意がなく、名誉毀損罪には該当しない」とされている(最高裁昭和44年6月25日判決)。


評価的表現の名誉毀損性


 もっとも表現には事実の証明が可能な表現と、そもそも事実を前提としない「評価」という表現形態がある。

 「○○首相は宴会三昧の日々を送っている」という表現は事実の証明が可能な表現だが、「○○首相の顔が嫌い」と言う表現は、真実性を議論する余地のない表現だ。実は、刑法には、名誉毀損とは別にもう1つ条文がある。侮辱罪だ。

 「事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する」(第231条)。つまり悪い評価は侮辱罪の対象となる。事実を摘示した表現か否かが条文上の分かれ目となる。

 そして不法行為責任を定める民法709条の適用にあたっても、以上の刑法の考え方がそのまま適用されると考えられている(最高裁昭和41年6月23日判決)。もっとも民法の不法行為の規定は、名誉毀損と侮辱を区別していないし、過失であっても損害賠償義務が発生する。

 そこで判例は、不法行為の適用にあたっては、表現の自由を十分に保護するため、「行為者において事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定される」(最高裁昭和41年6月23日判決)として、「相当な理由」があれば、過失の存在も否定し、損害賠償責任を負わないことを明言している。


前提事実の真実性


 それでは「○○首相は女好き」という表現はどうか。一見評価的表現とも考えられるが、「女好き」というのは、実際に「何人もの女性と付き合っている」という前提事実を踏まえ評価したものとも考えられる。こうした一定の事実を前提とした評価的表現の名誉毀損性について、裁判所は、こう述べている。

 「意見ないし論評の表明による名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、右意見ないし論評の前提としている事実が重要な部分について真実であることの証明があったときには、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでない限り、右行為は違法性を欠くものというべきである(最高裁62年4月24日判決)。そして、仮に右意見ないし論評の前提としている事実が真実であることの証明がないときにも、事実を摘示しての名誉毀損における場合と対比すると、行為者において右事実を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定されると解するのが相当である」(最高裁平成9年9月9日判決)

 要するに、「何人もの女性と付き合っている」という事実の真実性が認められれば、「女好き」と書くことは、表現の自由の範囲と考えてよいということができる。

 他方「淫乱首相」「下半身首相」などの罵倒句を連発し、ただあしざまに非難だけするような表現は、仮に前提事実の真実性が認められても、名誉毀損を免れない可能性がある。罵倒句の連続で個人攻撃に近い表現は、そもそも私憤目的として、公益目的がないと判断される場合もありえる。つまりインターネット上で表現するに際しては、根拠に基づく冷静な表現で行うことが大切なのである。