ネットが生み出す新訴訟社会
初出:週間エコノミスト臨時増刊
00年9月25日号「日本型IT革命の全貌」
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初出原稿に大幅に加筆(約2800字)
UP00/10/29




リード
インターネットの爆発的普及とともに、それにまつわるトラブルも増えてきた。しかし多発する紛争の解決に尺度となるべき法制度はいまだ不十分で、不透明な状況が続いている



IT革命の衝撃

 7月、九州・沖縄で開催されたサミットで、「グローバルな情報社会に関する沖縄憲章」が採択された。「情報通信技術(IT)は21世紀を形作る最強の力の一つ」とし、IT政策の国際協調を説いたこの憲章は、「情報社会のあるべき姿は、人々が自らの潜在能力を発揮し自らの希望を実現する可能性を高めるような社会」だとし、「すべての人がいかなるところにおいてもグローバルな情報社会の利益に参加可能とされ、何人もこの利益から排除されてはならないという参加の原則」を高らかに宣言している。

 サミット後に開催された第149回国会。7月28日、森首相は、所信表明演説で、「IT革命は新生経済の起爆剤」「ITは21世紀の繁栄の鍵」とした。

 誰でも簡単に情報を発信し受け取ることができるというインターネットは、全世界で、1990年後半から一般化したが、インターネット登場後の時代は、明らかに前時代とは異質なものである。インターネットは、過去の「物」中心の社会を根本的に変革する力を持っている。インターネット登場前なら、企業は、どんなによい商品を作っても、広告媒体などを利用して、商品情報を消費者に提供しなければ、消費者はその商品に気づくことはできない。それは結局、「広告費を出せる大企業だけが商品を売る社会」であった。

 ところがインターネットの登場は、誰もが表現発信者であり、表現受領者となれる環境を作り出し、情報は瞬く間に消費者の間を流通する。それは商品流通段階の「情報」や「場所」という偏在状況を打破し、本当の意味での商品の自由市場を形成させる可能性がある。金にあかせて広告を打てば商品が売れる時代は終わりを告げ、企業が嘘をつけない時代に入りつつあるのだ。

 インターネットの登場は、当初、18世紀以来の第二の産業革命と評されたこともあった。しかし次第にインターネットの与えるインパクトはもっと大きいものだと評価されるようになり、宗教革命をもたらす契機となった15世紀のグーテンベルクの活版印刷術以来の革命と評されるようになった。

 しかしインターネットは、もっと根本的に生産物中心の社会を、情報中心の社会に変えるインパクトを持っている。その意味で、僕は、物中心の「鉄器時代」から、情報が中心の「インターネット時代」へという2000年スパンの動きくらいの衝撃を人類に与えるものだと考えている。

 インターネットに対するサミットの評価は、決して過大評価ではない。


高まる法律ニーズと増える法的紛争


 インターネットの登場は、法に対するニーズも増大させている。以前なら、人は普通に暮らしていて、法的紛争にぶつかることは一生に一度あるか否かという程度である。せいぜい交通事故、離婚、相続、労働などと相場が決まっていた。

 ところが、インターネットの登場は、誰もが表現発信者となれる環境を作った。人は、表現発信者となった瞬間から、他人の著作権や名誉、プライバシーへの侵害などといった表現の自由の限界にまつわる法律問題に直面することになる。ところが、もともと表現の自由をめぐるこうした紛争も、著作権領域の紛争なら業者間紛争。名誉毀損、プライバシー領域なら業者間紛争か、業者が個人の権利を侵害するといった下方向への紛争と相場が決まっていた。なぜならインターネット登場前の一般の人は、他人の著作権や名誉、プライバシーを侵害する表現手段を持っていなかったからである。

 そのためこうした紛争を解決する手段たる法も、紛争の実態を反映して、例えば著作権にまつわる紛争なら、その法律構成も、著作権を保護する方向でのニーズ、すなわち紛争の主体たる業者のニーズを反映したものとなり、名誉、プライバシーの侵害事件なら、その法律構成は、一方的に表現されるだけの弱者に有利に構成されがちとなる。

 ところがインターネットの登場は、市民から業者へ告発や、市民対市民(それは弱者対弱者と言ってよい)という水平方向での新しい型の紛争を生み出している。そのため著作権、名誉棄損、プライバシーという問題に対し、表現の自由の観点から、法律側も新たな再構成を迫られつつあるのが現状である。

 要するにインターネットの登場によって、発信者同士の法的紛争は増えているにも関わらず、その紛争解決の尺度たる法自身が、今ゆれているのである。

 そのうえ、インターネットにまつわる裁判は、すべて初のケースといってよい状況にある。相談を受けても、簡単に結論が出せない、やって見なければ裁判の結果もわからないという非常に不透明な状況が続いている。これは世界中で共通の傾向だ。


あいつぐ法制定


 日本で真にインターネット元年と言ってよいのは、1995年のことである。村井純氏の「インターネット」(岩波新書)は、1995年11月に出版され、ベストセラーとなった。しかしなおインターネットは市民に深く普及せず、真の意味での日本のインターネット元年は、99年まで持ち越すことになる。その前年の末発売されたウインドウズ98の登場によるインターネットの爆発的普及を背景として、ホームページで東芝を告発したサイトの登場し、企業社会に衝撃を与えたのが、99年6月(報道は7月)。

 99年8月に閉会した第145通常国会は、日本のインターネット規制をほぼ完成させた国会でもあった。児童ポルノ法(99/05/18成立→99/11/1施行)、不正アクセス禁止法(99/8/06成立→2000/2/13施行)、そして組織犯罪対策法(99/8/12成立→00/8/15)が成立し、ネット上の風俗営業に制限を課す改正風営法の施行は99年4月1日のことであった。

 今年に入っても、4月11日、商業登記に基礎を置く電子認証制度の導入などを内容とする「商業登記法等の一部を改正する法律」が成立し,4月19日に公布されている。同時に「電磁的記録の認証」「電磁的記録の電子確定日付の付与」「電子文書の保存及び内容に関する証明」を対象とする「電子公証制度」も創設され、本年中には導入の予定とされている。

 また5月31日には「なりすまし」や「雲隠れ」といった電子商取引にまつわるトラブルを未然に防止し、電子商取引の安全性を確保するため、「電子署名及び認証業務に関する法律」が成立し、来年4月1日から施行の予定となっている。
 著作権法もネット送信時代に適合するように、毎年のように改正される状態が続いている。

 インターネット時代に心配される個人情報の保護問題も法制定が急務の課題となり、政府は、次期通常国会で個人情報保護基本法を制定する構えだ。

 こうして次々と法が制定される背景には、インターネットが既存のルールを改変していく力があり、訴訟という事後的解決ルールで解決するには、コストがかかりすぎるという図式がある。

 しかし法律をいかに作ろうとも、市民がインターネットという表現手段を得た現在、法的紛争が減ることはもはやありえないのだ。