首都は今戦時下にある

−地下鉄サリン事件の発生−
UP04/07/26
-2010/3/22レイアウト修正-
本文約4000字
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LINC-BLOG 2010.03.20 黙とう:地下鉄サリン事件から15年 



 この原稿は、地下鉄サリン事件がおきた翌日である1995年3月21日に、急遽記述した原稿です。ある雑誌に投稿したのですが、当時は、あまりに斬新な指摘と考えられのか、没原稿となりました。
 ただ現在、読み返しても、その内容は、色あせてはいませんし、カルトの構成員の心理についての指摘は、オウム真理教以外の他のカルトについてもあてはまります。
 そのため地下鉄サリン事件の発生から9年を経て、10年目になろうとする今日においても、この原稿を公表する意味はあると思い、UPすることにしました。
 
 原稿の修正はほとんどしていません。当時の情勢に対する分析ですので、今となっては訂正したい部分もありますが、内容は、当時の緊迫した情勢をよく著していると思います。

 オウム真理教(→その後アレフ→さらにその後アーレフ)を匿名とし、「カルト」と記載しているのは、当時は、翌日3月22日に、オウム真理教に対する強制捜査が予定されていたために、あえて伏せたものです。


当時の緊迫した情勢

1995年1月1日 読売新聞が1面でサリン報道
1995年2月28日 刈谷さん拉致事件が発生
1995年3月4日 この日から刈谷さん拉致事件が、連日、オウム真理教の犯行であるとの報道がなされるようになる。
3月6日、オウム真理教が、朝日新聞を提訴。その後次々とマスコミを提訴。
3月15日 霞ヶ関駅自動噴霧器設置事件が発生。
1995年3月19日 阪大生拉致事件で、大阪府警が、オウム真理教大阪支部に強制捜査。
1995年3月19日 島田元教授宅 爆発物設置事件が発生(自作自演)
オウム真理教東京総本部に火炎瓶が投げつけられる(自作自演)

1995年3月20日 地下鉄サリン事件発生
1995年3月22日 オウム真理教に対する強制捜査
1995年3月24日 上祐史裕氏が、緊急帰国する。
1995年3月30日 国松長官銃撃事件発生。




↓以下本文




 3・20開戦、私は、今回のサリン事件をあえてこう名づけたい。この組織は、今回の事件を、国家権力に対する宣戦布告と考えている可能性が高いからである。
 戦争である以上、この組織の目的は戦争に勝利することが目的である。



首都は戦時下にある。


 勝利のためには嘘、脅し、暴虐、テロ何でもするおそれがある。戦闘準備が整えば、明日にでも、第二、第三のサリン事件がおこる可能性もある。戦争では手を抜くことはかえって敵の臨戦体制を準備させる結果となるからである。

 犯人の動機、目的などを詮索するマスコミの報道もあるが、この事件がそもそも戦争開始を意味するとしたら、この組織は戦争に勝つために何でもすることになる。
 だから今回のような事件はしばらく起きないだろうと安易に考えるのは危険である。組織が今回の事件を宣戦布告ととらえている場合、生きるか死ぬか、敵がその非を認めるまで戦いを継続するしか残された手段はないからである。
 今回の事件を単なる「デモンストレーション」ととらえたり「脅し」ととらえるのは、真相を見誤る。この組織もこれだけの問題を起こした以上、その結果も納得づくで行っている。

 あくまでも今回の事件は、彼らにとっての戦争勝利に向けての詰め将棋の第一段階ととらえるべきである。
 阪神大震災の対応が後手後手に回った村山首相、明日にでも同種事件が起こりうるという考えで、しかも慎重に対処してもらわないと困る。


社会常識から犯人像を考えるのは危険


 今回の事件は、ラッシュ時の地下鉄にサリンをばらまくという日本史上例をみない無差別テロ事件である。政治的犯行とはことなり現在でも犯行声明も寄せられていない。
 捜査機関もマスコミも、犯人像を云々するが、この組織について考える場合、既存の犯罪に対する社会常識から考えるのは非常に危険である。
 彼らの行動様式や今後の犯行予測をする前には、彼らの思考形式が先ずどのようなものであるかを必ず念頭に置く必要がある。彼らの組織内部の視点から見た社会はどのようなものに写るのか、彼らが見ている現在の問題の多い社会を変えるために、次に彼らは何を行う必要があるのか、など彼らの立場を理解した上で、捜査、取材、そして対策をたてるべきである。
 


今回の事件は破壊的カルトの犯行


 破壊的カルトとは、社会常識からかけはなれた思考形式、行動様式を持つ集団で、かつ社会規範・法規範の逸脱度が著しく、犯罪行為さえ厭わなくなる集団をさす。破壊的カルトには、政治カルトや宗教カルトなどがあるが、その詳細は、「マインドコントロールの恐怖」スティーブン・ハッサン著、浅見定雄訳を見てもらいたい。

 今回の事件は、同時多発的に行われており、しかもサリンの散布だけではなく、サリンの生成、保存、運搬や実行犯人の逃走にも相当程度の人数が必要である。当然指揮官にあたる人物もいなければ確実な犯行実行は困難である。
 従ってこの組織は、きわめて組織性の高い、しかも統率性が高い組織というほかなく、しかも犯行に関わる構成員すべてが、無差別殺人を容認し、しかも自らが死を厭わない覚悟を有していると考えられる。このような強固な組織が、国家権力の軍隊とは別に、社会の中に自然発生的にできるとすれば、破壊的カルトを置いてほかに考えられない。



カルト構成員の心理


 一般に、カルトの構成員は、通常、「世の中のために自分たちは活動している」という強い利他的目的意識と、「人類を救うためには自分の身がどうなってもいい」という強い使命感に支えられて行動している。もちろんその目的や使命感自体は素晴らしいことだが、過ぎたるは及ばざるがごとし、その強固な目的意識や使命感が脅迫観念となり、目的のために手段を選ばなくなる傾向がある。
 またカルトの中には、一応の理屈があって、その内部の理屈で、戦争や政変、天変地異など世界におこるのすべての事象が解決できるとされるので、他者の価値観や理屈が不要となり、そのため独善的となる傾向もある。
 たまにカルト内にこの狭い社会の理屈に疑問を呈する人間が出てきたときに、そのカルトが組織からこの人間を排除するようになると、カルト内部の人間は皆同質の価値観の人間で占められ、言わばイエスマンばかりが構成員となってしまう。
 そのためカルトの代表も内部の構成員同士もお互いがイエスマンとなり、お互いの意見が共鳴しあって、社会規範からづれていく価値観のぶれを直す手段がなくなり、言わば「二人組精神病」の多人数版のような現象が生じる。
 そのため自分たちが次第に社会常識からずれていくことに気付かず、ついには社会の価値観をすべて排除し自分たちのみの理屈が正しいと思い込むに至る。
 カルト内がこのような状態に陥ると、構成員各人の社会常識への復帰は、たった一人の狂気よりも、その回復が困難となる。
 そのうえ自分たちが次第に非常識になって行くことこそが、社会との軋轢を増大させているのに、その非は自分にあると反省せず、自分たちを非難する社会にあると逆転して考えるようになると、社会規範からの逸脱を更に強く正当化し、犯罪行為さえ正当化するという悪循環に陥ることになる。



カルトの中は常に空襲警報


 このような状態に陥ったカルトは、常時社会との間で緊張関係が生じることになり、組織に入っているだけで社会から白い目で見られるようになる。
 そのため組織を防衛するために、構成員たちは、カルトに所属することを隠したり、偽名を使ったり、また自分たちの居場所を隠す。またその住居に家族でも簡単に入れないように二重ドアにするなどの対策を取ったりする。
 さらにカルトの規範逸脱が進んで、逮捕者を出すなど国家権力とも緊張関係を生じようになると、更に強い組織防衛を講じるようになり、表の組織と裏の組織が分離させ、裏の組織は地下組織として権力に絶対に場所を発見されないように手段を講じる。
 またカルトは、社会から叩かれれば叩かれる程その組織の弱点を補強するようになり、組織としての強固性を増す。それは仮想敵国が攻撃を仕掛ければ仕掛けるほど組織の構成員の結束は一時的に強くなる。それは戦時下の日本でもそうであったし。権力者が内部の引き締めのためにあえて戦争に突入するといったことが認められるのと一緒だ。農薬に段々強くなる害虫と同じだ。
 だからカルトに対し中途半端な対応を取ると、かえって組織の強度を強める結果となり、妥当でない。
 カルトにとって、外の世界はすべて敵であり、彼らの頭の中では常に空襲警報がなっている状態にある。
 しかしあくまでもこの段階は、まず権力から自分たちを防衛することに主眼があるのであり、防衛のための体制であることに留意されるべきである。



防衛体制から臨戦体制へ


 今回のサリン事件は、このカルトの今まで取っていた防衛体制から、実際の戦争状態に移行した可能性が高い事件である。
 カルトの中は、言わば閉じられた価値観の体系であるから、権力への恐怖感から防衛体制を強固にし、更に実際の戦争状態も想定して体制を立てることもありうることである。
 もっとも臨戦体制とはいっても、このカルトが、攻撃重視の体制をとっているか防衛重視の体制をとっているか、確実には分からない。いずれにせよ既に戦争に突入した以上、このカルトなりの勝算があってのことだろうと思う。
 従って戦争状態に突入している以上、生半可な対応を取ることは犠牲者を増やす可能性がある。
 しかも状況は、冷戦下の米ソ対立よりも悪い。
 通常敵国同視はスパイを張り巡らせ、あるいは最後の意思の確認としてのホットラインをおいて相手の真意を探ろうという努力をし、誤爆を防ごうとする。しかし今回の事件では、国とカルトとの間に、意思の疎通を図る手段が途切れている。
 これではお互いに相手の真意を図る手段がない。
 米ソがお互いの疑心暗鬼から核開発競争を繰り広げたように、このカルトが際限のない「軍拡」を行い、どこまで過激な方法に走るか、我々には全く予測がつかないのである。 今やサリンは、当面核戦争よりも恐怖だ。



情報戦への配慮を


 戦争においては、対峙国は常にお互いを有利に導くために、デマなどの撹乱情報を提供する。自分たちの犯行を撹乱するために、敵国の逆犯行だというのも撹乱情報の類いである。ですから捜査機関もマスコミも国民も、この撹乱情報に迷わされず、事実を見抜く目を養い、冷静に対処する必要がある。
 またおそらくカルトの代表は、指揮官室に何台ものテレビを置いて、在京のテレビ局をモニターし、流通雑誌も多数購入してマスコミの報道内容を逐一チェックしていると考えられる。
 マスコミの報道を、彼らが新たな撹乱情報に利用したり、彼らの今後の犯行をを誘発する恐れもある。だから未確認情報を安易に報道するのは自重してほしい。
 特に謹んでほしいのは今後の犯罪予測である。これはマスコミではすべきでない。なぜならこのカルトが考えていない新たな攻撃拠点の視点を提供する恐れがあるからである。



問題解決に向けて


 まず今回の事態の解決のためには、国は、カルトのすべての構成員の所在と戦力を正確に把握すること、そして踏み込む時には、そのすべての構成員の身柄を同時に拘束することが必要である。代表者の身柄確保は絶対に必要である。
 失敗すると、代表者は最後の戦闘体制に入る可能性があり危険である。
 もはや現在は内戦状態に近い。代表者の亡命という名の国外逃亡もありえるのでその対処も必要である。
 カルトのメンバーは、強い使命感から、世界を救うためと称して死をも恐れていない。最後の攻防は大変な事態となる可能性すらある。もちろん早急な対処も必要ではあるが、カルトとの対話路線も含めて慎重には慎重を期して対処してもらいたいものだ。