自作ホームページのすすめ 初出:月刊アスキー3月号 UP01/05/06 初出原稿に若干の加筆 (約800字) HOME インターネットを考える |
インターネットは使うけれど・・・・ インターネットについて公演をする機会がよくある。インターネットは、メール、ホームページ、掲示板など、特性の異なるツールの総合体系と言うべきものである。 使われる用語は、米国産で、独自の用語が多く、利用したことがない人にとっては、なじみのない言葉ばかりだ。インターネットの経験がまったくないという人には、公演にそれなりの配慮が必要だ。公演の多くは、一般市民が対象。そこで、公演内容に入る前に、最初に、聴衆のレベルを確かめるため、これら各種ツールの説明と、利用経験の有無を確かめることが多い。 今年に入って行ったある東北地方での講演会でのことだ。その日は、その街で、約60年ぶりの大雪とのこと、それにもめけず、出席希望の約120名の聴衆がほぼ全員出席し、会場は満員となった。 この公演で、「ホームページをまだ見たことがない」という人は、わずかに4人、これは市民対象の講演会としては、過去最高に低い数字だ。 ホームページを見たことがある人で「メールをしたことがない」という人は0であった。この日の聴衆は、かなりのレベルということがうかがえた。 ところが次の質問である。「ホームページを作ったことがある人?」という質問に、手が上がった人は、わずか5人であった。 つまりこの数字からわかることは、聴衆は、ホームページを、情報を入手する手段としては利用しているが、情報を発信する手段としては利用していないということを意味している。 筆者は、企業向けの講演も行うことがあるが、実は、そこで質問しても、この点は、似たりよったりの状況にある。 ネット時代の表現発信者として 「インターネットは、誰もがその表現を、自由にかつ安価に発信できる環境を作った」と言われる。だからこそ、インターネットは、人類史上、最大規模とも言える変革を我々に引き起こしている。 インターネットの登場は、当初、18世紀以来の第二の産業革命と評されたこともあった。 しかし次第にインターネットの与えるインパクトは、もっと大きいものだと評価されるようになり、宗教革命をもたらす契機となった15世紀のグーテンベルクの活版印刷術以来の革命と評されるようになった。 しかしインターネットは、もっと根本的に生産物中心の社会を、情報中心の社会に変えるインパクトを持っている。 その意味で、筆者は、物中心の「鉄器時代」から、情報が中心の「インターネット時代」へという、2000年スパンの動きくらいの衝撃を人類に与えるものだと考えている。マスコミの論調も、評論家の論調も、インターネットの最大の特性を、この「表現発信」と見ている。 もっともインターネットの利用者が激増しても、実際にホームページで情報を発信し、インターネットの本来の機能を存分に享受している人は、まだごくわずかだ。 インターネットの利用者層と非利用者層との価値観の断絶がよく言われる。しかし筆者は、この第1の断絶は当然の前提としても、インターネットを単に情報入手のためのツールとして利用しているか、情報発信の手段としても利用しているか、という利用者特性の断絶もあると考えている。 インターネットを利用したことがない人が、インターネットを語っても、第三者的評論の域を出ないことは言うまでもないが、インターネットの真の機能を謳歌していない人も、同様だろう。 IT革命が囃されるが、実際にこの国のIT政策に関わる人で、自分でホームページを立ち上げ、情報発信している人がどれくらいいるのだろうか。インターネットの特性を十分に理解しない専門家と言われる人たちが、この国の、IT政策の根幹に携わっていることに、危惧を覚える。 マスコミは、たとえば政府のIT戦略会議のメンバーに対し、インターネットの利用度のアンケート調査を行い、IT政策を論ずるにふさわしい人材か、確かめて発表すべきではないか。 もちろんホームページを作ることが、素人には難しく、専門家でしかできないものであれば、評論家的な意見を言う事も許されるだろう。 しかし現状、ホームページを作ることはきわめて簡単だ。ワープロソフトでも、ホームページを作ることは可能だし、1万5000円程度のホームページ作成ソフトを購入すれば、もっと簡単にホームページを作ることができる。 ホームページ作成の元となるHTML言語の構造を知っておいた方が良いには良いが、そういったものは、ホームページを実際に運用していれば、自然に覚えていける程度のものである。 ホームページ運営の醍醐味 筆者は、1999年1月からホームページを公開し、今年で2年目に入った。「自分で作っているのですか?」とよく聞かれるが、すべて手作りで作ってきた。 実際にホームページを作ってみて思ったのは、ホームページは、「見る醍醐味」は当然の前提としても、やはり、表現発信できるという「作る醍醐味」も大きいということだ。 しかも作ってみてわかったことは、ホームページは、見る側に傾斜した評価、つまりグローバルブレインなどと評されることがあるが、同時に、作る側にとっては、プライベートブレインにもなるということだ。 とかく知識は忘れやすいもの。 そこで仕事でよく利用する情報で、公開しても構わない判例などの情報は、ホームページにアップしておくことにした。そうすると、いつでもどこでも情報を引き出せる。 ノートパソコンを持ち歩く必要もない。インターネットに接続できる環境さえあれば、出先でも、確かめられる。つまりホームページで、記憶の保管も可能となった。 誰もが自由に表現発信をすることを可能にしたインターネット。我々は運良くこの時代に生きている。 そんなわけで、筆者は、読者に向けて、今年21世紀最初の年に、「ホームページ」を、作ってみようと提言したい。インターネットの真の醍醐味はそこから始まる。 |