法律家の真実
真実の法律家の姿を暴露していきます。
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第2回

派閥
UP00/06/18

 

 派閥というと、自民党の派閥を思い浮かべると思うが、弁護士の集まりである弁護士会にも派閥がある。

 「弁護士会に派閥?。え!」という方も多いと思うが、僕自身、自由を身上とする「弁護士会に派閥がある」と知ったのは、司法修習時代のこと。自民党の派閥を批判しながら弁護士会にも派閥があると知って、正直言って驚いたことを覚えている。

 当時、この点を弁護士会の偉い先生に確認したところ、その弁護士は、こう説明した。

 ――自民党の派閥は「利権派閥」だが、弁護士会の派閥は「政策派閥」である。当然弁護士の中でも様々な意見がある。同じ立場の弁護士が集うのが派閥であり、派閥は、弁護士会の意見形勢には必要である。

 この弁護士の意見を聞いて、なるほどと思った。僕は「世の中がおかしい」と思ったら、黙っていたらダメで、行動で回りに人の考えを変えていくしかないというのが、信条である。

 実際、弁護士にも自民党系から共産党系まで様々ある。自分の意見を広げていこうと思ったら、弁護士会の中でも多数を取るしかないのだ。

 自民党の派閥の場合には、選挙ごとに、選挙資金が所属議員にばら撒かれ、また大臣や内閣総理大臣になることで、利権が転がり込む。この点、弁護士会の会長になっても、手弁当の名誉職。利権があるわけではなく、ただ、しんどいだけなのだ。

 僕自身も第二東京弁護士会の消費者委員会の副委員長を2年ほどし、その後昨年から日弁連の消費者問題対策委員会の副委員長をつとめている(来年6月まで)が、はっきり言って、しんどいし、早くやめたいというのが本音である。

 月に2日は、消費者委員会の仕事で潰れるうえ、全くのボランティアである。交通費まで自弁。弁護士会の仕事は、肩書きに利用できるという程度の本当の名誉職なのである。

 もっとも弁護士会の会長職ともなると、名誉職とは言え、弁護士会の顔となり、世論に対する影響力もある。したがって会長選挙は、派閥が推薦した弁護士同士で、繰り広げられることになる。 

 ところで僕が司法修習時代、実務修習をしたのは、大阪だった。大阪弁護士会には、次表のとおり7つの派閥が存在する。ちなみに中坊公平弁護士の所属派閥は春秋会である。派閥の必要性の話を弁護士に聞いたのも大阪時代の話である。

 ところが東京で弁護士になった僕は、さらに驚くことになる。東京弁護士会には、派閥の下に、さらに派閥内派閥まであるのだ。東京弁護士会は、日本の弁護士(1万7000人)の5分1を占める最大の弁護士会(第一東京弁護士会と第二東京弁護士会の登録弁護士は、東京弁護士会の約半分。大阪弁護士会は東京弁護士会の5分の3ほど)。あまりの巨大さに、派閥だけではもはや意見形勢もできない状況なのだ。

 なお派閥があるのは。もちろん弁護士の所属が多い都会の大弁護士会だけの話である。ちなみに僕は第二東京弁護士会の全友会に所属している。全友会は、二弁最大の派閥の一つであり、もちろん人権派閥。現在の二弁の会長は、全友会出身である。


参考
―派閥の名前がまるでやくざみたいと思うのは、僕だけではないでしょう―

弁護士会名 派閥名 派閥内派閥名
東京弁護士会 法友会 1部(易水会)
2部(二六会)
3部(法曹縦横会)
4部(緑新会)
5部(公正会)
6部(至誠会)
7部(革新法曹会)
8部(春秋会)
10部(法曹緑会)
11部(達成会)
12部(法曹同志会)
法友全期会
法曹親和会 東京法曹会
二一会
大同会
親和全期会
期成会
水曜会
第一東京弁護士会 新緑会
青風会
第一倶楽部
全期会
第二東京弁護士会 五月会
日比谷倶楽部
日本法曹倶楽部
全友会
清友会
新風会
紫水会
向陽会
大阪弁護士会 一水会
友新会
法曹公正会
春秋会
五月会
同志会
法友倶楽部
名古屋弁護士会 清流会
鳥合会
法曹維新会
公正倶楽部
無名会





第1回

寝る

 

寝る裁判官

 

 昔、僕が担当していた合議事件の裁判長(女性)は裁判中によく寝ていた。証人に対する尋問も、当然、きちんと聞いてないだろう。

 証人尋問の結果は、その一問一答が調書に記載される。後で見ればわかるということかもしれない。あるいは判決を書くのは、裁判長ではなく、右陪席の裁判官か左陪席の裁判官ということで、自分は書かないなら聞かないでいいやということかもしれない。

 毎回に近いくらい寝ていたこともあり、この裁判官、病気かも?と思っていたくらいであった。


 この裁判官は後に転勤して、また別の事件であいまみえることになった。

 裁判を受ける当事者にとっては、裁判は一期一会の場である。裁判なんて受けないで一生を終わる人のほうが多いと思う。だから依頼者は、「裁判官が寝るなんて許せない」という気持ちが当然おこってくる。
 裁判官の弾劾を申し立ててマスコミにでも発表すれば、その裁判官の将来は絶望だ。そんなことも考えて、依頼者が憤慨しても、僕は、なんとか「尋問の結果は、記録されるので後から読めばわかるので大丈夫」などと弁解して、依頼者をなだめることもたびたびあった。

 裁判長に限らず裁判官が法廷で寝ているのを発見するのはよくある。そんなとき法廷でこちらから注意したいのもやまやまだ。

 だから裁判官は、弁護士の善意で、「生かされている」ことを自戒してほしいし、国民が真に怒ったら、裁判所の権威なんて吹っ飛んでしまうくらいの自覚もしてほしいのである。

 

寝る弁護士

 

 尋問の時に、法廷でこっくりこっくりと首を傾けて「寝る弁護士」に出会うことがある。実際尋問を担当していない弁護士にとっては、尋問は、単に単調な質問と答えを聞くだけであるから、眠くなるのも無理はない現実である。

 ただ僕は、修習生時代も含めて、法廷で一度も寝たことがない。眠くなった場合にはメモを取るなどして脳を活性化するよう努めている。僕の信念は、弁護士というのは、依頼者から頼まれた事件について、時間的・金銭的に許す限り全力でぶつかるということだ。だから自分が尋問を担当していない案件であっても「意識を欠く」ことはあってはならないことだし、依頼者に対する義務だろう。

 ところでこの「寝る弁護士」は、被告席に多いことに気づくのは私だけではないだろう。原告=正義、被告=不正義という図式は常に正しくないが、原告が多数存在するような大規模消費者被害事件では、やはり異議を唱える人が多いこと自体が、原告=正義を支えている前提である。

 こうした消費者被害事件の被告の代理人となる弁護士に「寝る弁護士」が多いのである。

 事件にシンパシーを感じないことが眠気をもよおさせるのかもしれないが、こんな弁護士に弁護される国や大企業も気の毒である。ところがこんな弁護士の弁護でさえ、国や大企業は通常勝訴してしまうのである。
 
 それほど、「国や大企業」に対する裁判所の偏見は大きいのである。


 

寝る修習生

 

 司法試験に合格しても、すぐに法曹になれるわけではない。合格者は、通常1年半(昔は2年)の司法修習を経て、初めて弁護士・裁判官・検事となるのである。

 修習中には、民事裁判・刑事裁判の修習もあって、実際に法廷に出て、裁判官のまねごとのようなこともする。法廷に行けばわかるが、法壇の下に二人程座る席をつくり、そこに座っているのが、一般に司法修習生である。

 ところが司法修習生は、裁判官と違い、事件に直接の利害関係がなく、また証拠が法廷で引用されても、裁判官と違って、見ることができない。そのため、事件の内容がわからず、ひたする眠い。

 そこで法廷で一番寝るのは、実は司法修習生という人たちである。

 僕も10年ほど前は司法修習生であった時代がある。ただ僕は法廷で一度も寝たことがない。裁判に立ち向かう原告も被告もそれぞれの一生にかかわるものとして法廷に出向いているであろう。そんな戦場の場で寝るのはあまりに道義的にひどいというのが僕の考えである。

 しかも司法修習生は、公務員の一種として給料を受け取れる身分である。国民の血税から給料を受け取り、将来を国民のために働くことが期待される司法修習生が、法廷で寝るということは、国民に対する義務違反とも言えるのではないか。

 そんな風に考えて、僕は、どんなに寝たくても法廷では寝ないようにした。ところが司法修習生の中には、刑事事件のように、人の刑務所行きがかかっている事件でも寝る人がいたし、「今日の法廷では良く寝た」と公言してはばからない司法修習生もいた。

 そんな修習生の1人が、後、裁判官になっていった。

 司法修習生の成績は、文書作成能力という結果だけでなく法廷での態度も成績の考慮事由に入れるべきだ。ところが現状は、字面上の形式だけが重視されている。試験結果が、成績評価の基準とされている。最大の問題だと思う。