ネット・リーガルマインドのすすめ
1999年4月15日号
本文約2000字
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リード

 インターネットは、個人が社会に対し、直接表現を発信する機会を提供した。しかし表現の自由も権利である以上義務が伴う。インターネットの登場は、法の存在を身近にするとともに、法に対する正しい理解を要求している。





 法律的知識へのニーズの増大


 今週から、この連載の枠が大きくなることになった。これも読者の皆様の励ましのおかげ。感謝するともに、責任の重みを感じている。そんなわけで今回は、新装開店第一週目にあたり、少し趣向を変え、犯罪そのものに焦点をあてるのではなく、逆に犯罪者とならないための最低限の法律的知識を説明してみようと思う。

 インターネットが登場する以前は、普通に生活している人が、一生に出会う法律問題は、せいぜい交通事故、離婚、相続、労働などと相場が決まっていた。ところがインターネットの登場は、こうした状況を一変させている。誰もが表現発信者となった瞬間から、以前は企業でしか問題とならなかった法律問題、たとえば著作権、名誉棄損、プライバシー侵害などと言った表現の自由の限界にからむ問題に直面することになる。インターネットに関する法律知識へのニーズの高まりは、こういった事情が背景にある。日本インターネット協会編「インターネット白書'98」(98年6月21日発行)によると、インターネットに家庭からだけ接続する純粋な個人ユーザーは、98年2月末時点で約250万人だと推計されている。

 それが昨年12月末時点で約500万人とも700万人とも言われるほど急増。ちなみに携帯電話の加入者数は、1996年3月末に1000万台を突破した後、97年3月末に2000万台、98年2月末に3000万台と毎年1000万台ずつ増加し、今年2月末には4000万台を超えた。インターネットも、同様な経過をたどるに違いない。そのためネット上の諸問題に関する法律知識へのニーズはますます大きくなっている。



 迫られる法律側の変革


 一方インターネットが登場する以前の著作権紛争の多くは企業間紛争であった。名誉毀損・プライバシー侵害と言った紛争の多くも、マスコミという企業が市民の名誉やプライバシーを侵害するといった、常に市民側が被害者となる一方通行の紛争であった。そのためこれらの紛争を解決する法理も、前者では表現の自由よりも著作権を重んじる傾向、つまり業界の立場を重視したものとなっているし、後者では弱者への配慮、つまり業者の表現の自由よりも個人の名誉やプライバシーを重んじる傾向が強い。ところがインターネットの登場は、著作権領域においては、企業対市民、あるいは市民対市民という新たな紛争形態を生み、名誉毀損・プライバシー領域においても、新たに市民対市民と言う紛争を生んでいる。こういう新しい市民社会型ともいえる型の紛争に従来の法理論がそのまま利用できるか否かも不透明で、法の再構成も必要となってくる。要するに知識ニーズの高まっている法自体も今流動的なのだ。



 法と道徳の違い


「大容量のメールを送らない」といったネット上で自然発生的に生まれてきたエチケットを、略してネチケットと呼んでいる。

 さてここで法律と道徳との違いを考えてみよう。そこで問題だが「近親相姦」は、法律上犯罪とされているだろうか?「不倫」はどうか?答えはいずれもNOである。近親相姦も不倫も犯罪とされていない。不倫の場合、戦前は姦通罪があったが、戦後犯罪とされなくなった。法は、最低限の道徳規範。つまりすべての道徳を法で律するのではなく、「人を殺してはならない」といった誰もが法で処罰することを認め、守らなければならない道徳を純化させたものなのだ。もっとも不倫は犯罪とはならないが、民事上は不法行為損害賠償の対象になる。夫に不倫された奥さんは、夫と不倫した相手の女性の双方から損害賠償を受けることが可能。刑事事件は有罪なら刑務所行きという厳しいものだが、損害賠償は一円単位で計算できる。こうした違いから、民事事件上の処理の方が刑事事件より道徳に近い面があるのだ。



 リーガルマインドの重要性


 「六法全書を全部覚えているんのですか」-よくこんな質問を受ける。

 しかし弁護士は、六法全書を全部覚えているわけではない。そもそも覚えられるわけもない。「じゃあなぜ答えられるの」という疑問がわくかもしれないが、実は道徳違反となるような問題は法律違反となる可能性が強い。そこで質問を受けると、弁護士はまず法律に定めがないのかを探すのだ。つまり法律を探す能力に長けているのが弁護士ということだ。だからあの分厚い六法全書を手元から離せなくなるのがつらいところだ。

 毒きのこを見分けるこつは、まず毒きのこを覚え、それ以外は食べられると覚えれば簡単だと聞く。法律もこれと似ていて、法違反とならない道徳違反さえ覚えておけば、他は大体法違反になるというのが法の現実だ。だからまず法に違反しないためには、日常社会と同じ程度の道徳感こそが、一番の転ばぬ先の杖となる。僕らはこうした法律家なら誰もが持っている直観力をリーガルマインドと呼んでいる。もっとも実際に紛争に巻き込まれた場合は、素人療法に頼らず弁護士に意見を聞くことが大切だろう。