判例の結論部分
1 原告の修繕義務の有無
修繕費用の負担義務は、民法606条1項に規定されているとおり賃貸人にある。賃料には通常賃貸物件の使用に伴う汚損や破損の修繕にかかる費用が含まれているし、賃借人が修繕義務を負うとすれば、賃貸人は本来自分が負担すべき費用を賃借人に転嫁することになり、修繕費用を二重取りすることになるからである。
本件修繕特約は、単に賃貸人である被告が民法606条1項に規定されている修繕義務を負わないという趣旨であったのにすぎず、賃借人である原告が本件貸室の使用中に生ずる一切の汚損や破損箇所を自己の費用で修繕し、本件貸室を賃借りした当初と同一の状態で維持すべき義務があるとの趣旨ではないと解するのが相当である。本件契約は、居住目的であり、本件貸室の広さや構造並びに賃料、礼金、更新及び敷金の額等を考慮すれば、賃借人である原告に特約どおりの積極的な修繕義務を負わせるべき特別の事情を認めることができない。
2 原告の原状回復義務の有無
一般的に、賃貸借契約に原状回復特約があるからといって、賃借人は建物賃借当時の状態に回復すべき義務はない。建物やその設備等は時間の経過とともに老朽化するし、使用に伴っても損耗していくもので、賃借人が建物を通常の利用方法に従って使用した結果生ずる汚損や破損の回復費用も賃料に含まれるものである。本件貸室賃貸借契約書(甲1)の第14条1項の「自然的消耗を除き原状に回復の上」との約定は、賃借人は自然的損耗によるものまで原状回復義務を負わないという当然のことを約定したものである。したがって、原状回復特約は賃借人が故意、過失によって又は通常でない使用をしたために建物の汚損や破損等を発生させた場合の損害の回復について規定したものと解するのが相当である。
3 個別の補修工事費用の負担及び範囲についての検討
右原状回復義務についての解釈に基づき、被告が本件貸室の補修工事をした箇所の費用の負担及び範囲について、被告の主張3の@ないしHにつき順次検討する。
@の壁塗り工事は、和室の京壁の傷を補修するためであり、この京壁の傷は通常の使用に基づくものとは認められない(乙10のBないしF)ので、原告がその費用を負担すべきである。しかし、本件建物は平成3年3月に建築されて、原告が入居する前にはほぼ4年が経過し、平成7年1月に原告が入居して3年ほど居住していた(甲4、被告本人)ことなど諸般の事情を総合して考えると、今回の和室の京壁の塗替え工事費用全額を原告が負担し、被告が費用全額の負担を免れるのは合理的ではないので、原告の負担は2分の1程度で、金額にして金1万4700円と考えるのが相当である。
Aの洋間等のクロスの張替えは、いずれも原告が故意、過失によって又は通常でない使用をしたために汚損や破損等を発生させたことに起因すると認めるに足る証拠はないので、被告が負担すべきである。被告は原告の過度の喫煙によってクロスの張替え工事をせざるを得なかったと主張するが、原告の過度の喫煙によってクロスが汚損したと認めるに足る証拠はない。
Bの洗面台取替え工事は、原告の過失により洗面台に穴を開けて損傷したことに起因することが認められ(原告本人)、原告がその費用を負担すべきである。ただし、今回の洗面台取替えにより新品の洗面台となったが、原告の負担額1万1205円については当事者間に争いがない。
Cのトイレ等のクロスの張替え、Dの襖張替え及びFの畳張替えは、いずれも原告が故意、過失によって又は通常でない使用をしたために汚損や破損等を発生させたことに起因すると認めるに足りる証拠はないので、被告がその費用を負担すべきである。
Eのシリンダー鍵取替え工事は、原告の過失によって鍵を紛失したことに起因するものであり、この鍵は紛失さえしなければ、かなりの年数にわたり使用できるので、原告がその費用を全額負担すべきである。
Fのハウス(ルーム)クリーニングは、本件契約の特約条項によって原告がその費用を負担することは当事者間に争いがない。
Gの蛍光灯の取替えは、原告がその費用を負担することは当事者間に争いがない。
4 まとめ
原告が負担すべき原状回復費用の合計は金7万4322円(消費税込み)であり、被告は原告に対し、本件敷金26万円から右金7万4322円を差し引いた金16万9770円の返還義務がある。よって、原告の予備的請求は、金16万9770円の支払いを求める限度で理由がある。
東京簡易裁判所民事第1室 裁判官 横 田 康 祐
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