宗教法人法の改正とその課題
初出
『宗教法人法の改正とその課題』
(宗教法人の規制--オウム事件をめぐって<緊急小特集>)
掲載誌 法と民主主義 (通号 303)
1995年11月号 p.p29~31
約4500字
up01/03/04
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宗教被害資料集
一 宗教法人法の改正の機運 3月20日、死者12名、負傷者5000人以上を出した地下鉄サリン事件などを契機として、宗教法人法の改正問題がにわかにクローズ・アップされて来た。 1995年4月25日から初まった宗教法人審議会の答申が9月27日に文相に提出され、これを受け、与党3党は、10月17日付で改正案を臨時国会に改正案を提出し、今国会中にも可決成立させたい意向という。 今回宗教法人法が改正されると、1951年に現行宗教法人法が制定されて以来初めての大改正となる。 改正のポイントは次の5点である。 第1は、全国的に活動を続ける宗教法人の所轄庁を地方公共団体から国に移すことである。 第2は、正当な利益ある信者及び利害関係人に宗教法人の備え付け帳簿類を公開させることである。 第3は、これまでは備え付け義務のみが課せられていた宗教法人の帳簿類を国に提出させることである。 第4は、解散命令などを下す前提として、所轄庁に宗教法人に報告を求めたり質問のできる調査権を付与することである。 第5は、現行15人の宗教法人審議会の定員を20人に増すことである。 二 「宗教法人幹部性善説」への疑問 3月22日から始まった戦後最大級の強制捜査により、初めてオウム真理教という宗教法人を隠れみのにしたカルトの内部が白日の下にさらされた。現行の宗教法人法は、必要以上に宗教法人の自律性を強調するあまり、所轄庁の監督権限はほとんどなく、宗教法人の内部も見えにくい構造になっていた。 筆者は、宗教法人法がこれまでとって来た「宗教法人性善説」は、実は「宗教法人幹部性善説」と言うべきものであったと考えている。現実に宗教法人を運営するのは、教祖など1部の幹部であるからだ。 現行の宗教法人法では、教団内で「哲人政治」のように理想的な善政が行われていれば問題ないが、いったん暴走を始めた場合には刑罰の適用のように外側からの力で止めるしか方法がない。 しかし、権力による抑制はかえって宗教団体自身の自律性を損ね、宗教団体へのさらなる権力の介入を許してしまう心配が出てくる。そのため可能な限り過度の権力の介入を控え、宗教法人の自律性を尊重するとともに、宗教団体の内部の透明性を図り、信者たちの民主的な力によって宗教団体の暴走をくい止める方策が重要である。 今回、与党3党(当時:自民党、社会党、新党さきがけ)から提出された宗教法人法改正案は、宗教団体の内部の透明性をはかり、信者らの民主的統制で現行の宗教法人制度の乱用を防止することを意図しており、法案可決後の運用次第では外圧的な刑罰などの運用よりも、宗教法人の自浄作用を期待できる。今回の宗教法人審議会答申も、改正の目的の1つとして「宗教法人の自治能力の向上」を掲げている。 これに対し、宗教法人法改正に反対する新進党は、宗教法人法の86条が、「この法律のいかなる規定も、宗教団体が公共の福祉に反した行為をした場合において、他の法令の規定が適用されることを妨げるものと解釈してはならない」と定めていることを理由に、「86条をきちっと適用していれば、宗教法人法を改正しなくても個別の法規の運用で十分対処が可能である」などと主張している。 しかし、過度に運用面を強調することは、かえって権力の介入を許してしまう危険がある。新進党は「宗教法人法の改正は宗教法人に対する権力の統制を強める」と主張しているが、筆者は新進党が本気で運用面の改善を強調するなら、かえって宗教法人に対する権力の介入の契機を与え弊害は少なくないと考えている。 戦前の天理教に対する宗教弾圧は脱税容疑から始まったことを思い起こすべきである。 三 今回の宗教法人法改正案への評価 〔所轄庁の変更について〕 改正案では所轄庁を都道府県から文部省に移すことにしているが、これまで地方公共団体の所轄であったことがむしろおかしかったと思う。東京都が認証したオウム真理教は全国各地でトラブルを引き起こしてきたが、他県の住民や被害者らは、その苦情をわざわざ東京都にしなければならなかった。また、東京都も他の自治体のトラブルを調査することは事実上不可能であった。昭和26年の法制定時とは違い、今日の宗教法人は全国展開をし、海外にまで支部を持つ団体が少なくない。 信教の自由の観点から今回の改正に反対する意見もあるが、既に神社本庁、立正佼成会、霊友会、天理教などの大教団は国の所轄になっており、所轄庁の変更という形式面だけから信教の自由の侵害だと反発するのは的はずれである。 現在、文部大臣所轄の宗教法人は373団体にすぎないが、その傘下にある被包括宗教法人は17万6824団体もある。その割合は、宗教法人全体の96%にもなる。従って、今回の改正で影響を受ける宗教法人は創価学会、統一教会、幸福の科学などごくわずかであることにも留意されるべきである。 〔利害関係人の帳簿等の閲覧権、所轄庁への報告義務について〕 宗教法人法25条は概略、次のように定めている。 ①宗教法人は、その設立の時及び毎会計年度終了後三カ月以内に、財産目録を作成しなければならない。 ②宗教法人の事務所には常に規則、認証書、役員名簿、財産目録等を備えなければならない。 ところが備付け義務はあっても、これに対する公開の義務規定は法のどこにもなかった。 今回の宗教法人法改正案では、可能な限り監督権の強化を控え、宗教法人自身の自浄作用で暴走を封じることを狙っている。その意味から今回の改正は、信者たちに帳簿類を閲覧させて、内部からの民主的統制による自浄作用の発揮を狙ったと言える。優遇税制の適用を受ける以上、宗教法人の透明性を図るのは当然のことである。 なお今回の改正案では、帳簿類の所轄庁への報告も義務づけられたが、そもそも信者やその他の利害関係人が見ることのできる書類を、利害関係人に含まれるべき所轄庁が報告を受けるのは当然だろう。 ところで、もともと25条は宗教法人に帳簿などの備付け義務を課していながら、これを誰も見ることができないのは不合理であるとする考え方が以前からあり、94年3月23日には、東京高等裁判所が、檀徒の宗教法人である寺に対し求めた閲覧・謄写請求を肯定した判決を出している。 このような判決が既に出されていることを考えると、閲覧請求権は時代の流れに添ったものであり、今回の改正案は25条の法解釈上の争いを正したとも評価できるものである。 しかし今回の改正では、右判例が認めていた謄写(コピー)請求権が、明文に記載されなかった。 実際問題として閲覧できる以上、メモは禁止されないのであるから、コピーを禁止しても意味はないだろう。しかもこれらの帳簿類は所轄庁に対して提出されるというのであるから、所轄庁以上に利害関係がある信者にコピーを禁止するのは不合理である。その意味で、解釈論上の争いを後日に残したのは残念であった。 〔所轄庁の質問権について〕 今回の改正案が所轄庁に対する質問権を認めたことについて、信教の自由に対する過度の干渉だという意見がある。しかし質問権は強制権限を持たないし、質問の前には宗教法人審議会の意見を聞かなければならないという建前がある以上、信教の自由への過度な干渉は避けられている。 これまでも宗教法人法は、所轄庁の権限として①収益事業の停止命令(79条)②認証の取り消し(80条)③解散命令(81条)、という3つの権限を定めていたが、まったく運用されてこなかった。今回の改正案は、宗教法人の暴走を食い止めるべき最後の手段である79条~81条の運用に対する反省が原動力となっている。 〔宗教法人審議会の定員の増員について〕 宗教法人審議会は現在15人の委員が任命されている。改正案では、委員の定員を20人まで増員できることにした。しかし、現在の委員の構成は中立的とは言えない。宗教法人法72条は、「委員は宗教家及び宗教に関し学識経験がある者のうちから、文化庁長官の申出により、文部大臣が任命する」という規定を設けているが、現在の15人の委員のうち、11人までが宗教法人側からの代表委員であった。 そもそも国の機関である宗教法人審議会の委員に宗教家が入ることは、国が政教分離を建前にしている観点からも望ましいことではない。今後は中立委員を増やすなどして、財界や弁護士など在野の委員も選んでいくべきだろう。 四 改正後の課題 今回の宗教法人法の改正は、あくまでも最初の第1歩である。今後も継続的に検討すべき課題は多い。 1 認証の基準 現行宗教法人法は認証の際、当該団体が宗教団体か否かを審査する。しかし、審査を厳しくすれば、宗教に対する行政の過度の干渉になり、審査を緩くすれば表向き宗教団体を名乗る「えせ宗教団体」を認証せざるを得なくなる。 法制定後現在まで認証の基準自体があいまいなまま放置されており、認証の基準をどのように定めるかについて、所轄庁は多大な苦心を重ねてきた。今回の改正案でこの点の問題がまったく触れられなかったのは残念と言うほかない。 2 保全処分の創設 解散命令はその財産の強制清算を前提としているにもかかわらず、財産の流出をくい止める仮差押え・仮処分などの保全処分を規定していない。そのため、解散命令の確定をにらんでオウム真理教の資産かくしが進んでいる。 この点は同種の規定である会社解散命令(商法57条)と比較しても宗教法人法の規定は明らかに不備である。今回の改正が被害者の立場からなされなかったのは残念というほかない。 3 優遇税制の見直し 宗教法制は、宗教法人法と税法という2本柱からなっている。その意味で、宗教法人法の見直しだけでは問題の解決とはならない。今後は更に宗教法人の優遇税制問題も検討されるべきである。 五 カルトを発生させない社会に向けて必要なこと オウム真理教の末端の信者のなかには、今回の強制捜査と教祖の逮捕を宗教迫害と受け取り、いっそう教義に対する思い込みを深くした者も少なくない。信者たちは、解散命令、これに続く教団財産の清算が現実味を帯びていく過程で、権力への憎悪のみを増幅させ、再び一部の信者らが過激な行動に走る危険性をぬぐいきれない。 閉鎖社会であるカルトの内部では外部からの信頼できる情報も検閲され、信者たちも外部からの情報には不信感を持つよう徹底的に教え込まれている。 解散命令後も宗教団体たるオウム真理教の部分は残る。 従って宗教法制の見直しと同時に、ここは抜本的にカルトがなぜ発生するのか、発生したカルトはどのような行動規範を持つのかなどについて、きちんとその実態を踏まえた議論をすることが、日本に再びカルトを発生させないためにも急務と思われる。 今後日本にカルトを発生させないためには、宗教法人法以外の法も再検討してみる必要もあろう。カルトという閉鎖社会に、法規範を通して風穴をあけるために、教団内のただ働きの実態を是正するための労働法の見直しや、カルト内の未成年者保護の観点からみた児童福祉法、教育基本法の見直しも必要だろう。 信教の自由が大切にされなければならないことはもとより当然である。国は、未然にカルトを発生させないための社会、発生してもその拡大を防ぐ社会にするために、省庁間の垣根を取り払ってカルトに対する法制全般の議論をする特別委員会などの場を設けて検討にあたるべき時が来ている。 |
参考:宗教法人法 |