「違法伝道」損害賠償訴訟-提訴にあたっての意見書
違法伝道


意 見 書

一 一九九五年、私は真夏には四〇度以上の気温になるラオスのヴィエンチャンという町にいました。ヴィェンチャンはベトナム戦争の傷跡がまだ残る小さな町で、観光に訪れる人もわずかしかいない、まだまだ発展途上の閉ざされた所でした。
 私と他の統一協会メンバー達は、言葉も通じない中、夜行列車に乗って国境を越え、ここにつきました。しかし、そこは私が望んで来た国でも町でもありませんでした。
 乾期のせいでますます暑くなった四月のある日、私は突然四〇度の高熱と激しい腹痛を伴う下痢におそわれました。朦朧とした意識の中で、繰り返し襲ってくる腹痛にころげまわっていました。
 医療事情の悪い国で病気になったら当然頼るはずの日本大使館に私は行くことが許されず、宿泊していた安宿のベッドの上で、たまたま持っていたかぜ薬を飲んで苦しんでいるだけでした。
 その時、語学研究に来ていた日本の女性と、日本国際協力事業団の御夫婦とに偶然知り合い、その御夫婦の経験から、それは赤痢に違いないと言われ、急いで薬と治療方法を教えてもらい、私は一命をとりとめることができました。
 もしその方々が声をかけて下さらなかったら、今ごろ私はどうなっていたかわかりません。
 現に私が病気にかかる前に、アフリカに渡った私の宣教仲間がマラリアにかかり、二五、六才で命を落としていたと連絡がありました。彼女はほんとうに明るくて元気のよい女性だったのに、かわいそうでなりません。

二 何故私がこんなひどい目に合わなければならなかったのか、それは、一九八四年の秋に、ある青年サークルのアンケートに答えた事が始まりでした。
 人生についてや世界情勢の勉強をするカルチャーセンターと言われ、ビデオセンターに入会したその日からです。私が「宗教ではありませんか?原理ではありませんか?」と聞くと「宗教ではありません。原理ではありません。」と言われて、また、「いつでも辞められるます。」と言われて、嘘を言っているとは思えない人達を信頼しました。けれどもそのビデオセンターは結局統一協会の入口でした。
 しかも、統一協会であるという事実を知らされたのは、先へ先へと押し進められ、辞めれば私も家族も世界も地獄に落ちるという恐怖を植え付けられた後でした。
 そうして私は、いつのまにか文鮮明こそ私たちの罪を清めることのできる唯一のメシアであると信じこまされ、上から命令されたらどんな恐ろしいい事でもしなければならないと考え行動する自分にされてしまいました。  
 統一協会のホームでは、朝は六時から始まり、夜は深夜一時、二時にならなければ就寝できない状態で、色々な活動に追われ続けられました。  
 毎日毎日莫大な目標があり、ビデオセンターへの動員や、統一協会のセミナーに参加させる事にも、一ヶ月に何十人もの伝道達成ノルマが、また何千万円もの売上げや集金にノルマが課せられていました。  
 それができないと、朝晩のミーティングでつるしあげられ「相手を救う気が無い。」とか「信仰が足りないから、実績がでないんだ。」と怒られるのでした。睡眠不足と毎日のノルマとの中で、自分のしている事をふりかえったり、考えたりする時間を持つ事はまったくできませんでした。  
 当時トレーニングに通っていた二五歳OLが何年もかけて貯めた数百万円を、統一協会への献金としてむりやり出させたりもしました。それをすることが正しいことであると信じこまされていたからです。今思うと、本当に恐ろしい事だと思います。  
 迷う心がでれば、それは罪であると教え込まされていますから、必死になって祈ったり、断食を条件に打ち消し、むしろこの御旨をすすめなければ人類が救われない、罪が清算されない、天法を犯すのは地の法を犯すことよりはるかに罪であるなどと言われ、必死にやらざるをえない状態でした。  
 結婚さえも、統一協会では文氏が決めた人が与えられ、断る事は許されない事でした。メシヤの選んだ人を嫌いであったり、愛せなかったりしたら、やがて生まれてくる子供がサタンに奪われるとさんざん聞かされていました。  
 私の所属していた部署にも家族を捨てて身売り同然に韓国へ嫁がなければならないメンバーがあまりにも多くいました。また、当時の私は、反対する家族はサタンであると教えられ、親兄弟に住所や電話番号を教える事さえ許されず、何年も過ごしていました。  
 公衆電話から電話をする度に、母が電話の向こうで泣いている事が何度もありました。統一協会に反対するあらゆる情報から耳を閉ざす事を命じられ、心配してくれていた多くの友人や恩師を失いました。
 そうして一九九四年一月、韓国の済洲島にある統一協会の修練所に一六〇〇名の日本の女性のメンバーが集められ、到着したその晩にいきなり文鮮明が、世界一六〇ケ国に散らばって伝道するようその場で命令をしたのです。  
 多くのメンバーが何も知らずに集められた為、その命令を聞くやいなや、場内に大きな動揺が走ったのを覚えています。「メシヤの直接の人事を断れば、子供がどうなるか分りませんよ。」と言われ、恐ろしくなったのを覚えています。最後はとうとう、くじ引きで派遣される国が決められました。
 そして又、「表向きは世界平和女性連合というボランティア団体として行きなさい。しかし本当は、その国の人々を伝道して統一教会の信者にして合同結婚式に参加させるのです。」と言いわたされました。   更に私は統一協会の責任者に「世界平和女性連合が統一協会とわかってしまうと問題となるので、統一協会の実情をよく知っている日本大使館には近づかないように。」と言われていました。こうした理由で、私は病気になっても日本大使館に助けを求める事ができなかったのです。

三 今回この訴訟に私が踏み切ったのは、私がこのようにだまされ脅されて信者にさせられ、統一協会の言いなりにさせられたのに、「自分で勝手に入ったのだ」と言い張る統一協会に強い憤りを覚えているからです。過酷な活動を一〇年以上もさせられ上に、面識もほとんどなく、愛情のないままに、知りもしない男性と結婚させられたことがとても悔しく思います。
 このような形で統一協会が私の人生を翻弄することが許されるのでしょうか。そして、統一協会の活動に対し、いまだ何の法の裁きも下されていない事に、憤然とした思いを持っています。今もなお行われている統一協会の恐ろしい事実に対し、今回の裁判で正しい判断が下される事を願ってやみません。  

  一九九九年一〇月二〇日

M    ・    K
      
東京地方裁判所民事第五〇部 裁判官殿

(注:原告の代表として法廷で全文を読み上げた。もちろん本文は実名)