松本サリン事件とは?
松本サリン事件に関する富田隆被告への平成10年6月12日付
判決の認定事実から(同判決から抜粋引用)

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松本サリン事件損害賠償請求訴訟




〔本件犯行の経緯等〕


1 サリンは、大量殺戮兵器として開発された毒ガスであり、体内に摂取されると、人の神経伝達機能に障害を与え、最終的に呼吸中枢が麻痺して、空気を吸入できなくなって死亡するという極めて殺傷力の強い神経ガスである。

2 平成五年一一月ころ、大量のサリン生成の報告を受けた松本智津夫は、教団幹部の故村井秀夫らに、サリンを使用して宗教関係者を暗殺することを命じて、失敗したが、その状況は以下のとおりであった。

3 同月中旬ころ、農薬用噴霧器内に液体のままのサリン等を注入し、宗教関係者に噴霧したが、村井らがサリン中毒に陥り、中川智正が解毒剤を注射して生命を取り留めた。

4 同年一二月中旬ころ、ガスバーナーによりサリンを加熱・気化させ、送風扇で拡散させる噴霧装置を制作し、トラックに積載して使用したが、荷台が発火して、再び暗殺は失敗に終わった。村井らは、事前に予防薬を服用し、酸素ボンベと結んだ防毒マスクを使用していたため、サリン中毒とはならなかった。ところが、新實智光は、警備員から追跡を受けた際、防毒マスクを外し、サリンを吸入して瀕死の状態に陥り、中川らから解毒剤の注射を受け、ようやく一命を取りとめた。

5 松本は、人工密集地で大量のサリンを使用して、その効果を確かめようと考えていたところ、教団の松本支部建設をめぐって民事訴訟が提起され、平成六年七月一九日には判決言渡しが予定され、敗訴の可能性が高いと報告を受けていたため、長野地方裁判所松本支部をサリン噴霧の標的として選定し、担当裁判官らを殺害して訴訟の進行を妨害し、併せて付近の住民多数を殺害することを決意した。そこで、同年六月二〇日過ぎころ、松本は、村井、新實、中川、遠藤誠一に対し、「松本の裁判所にサリンをまいて実際に効くかどうかやってみろ。」と指示した。その際、村井から、電気による加熱式噴霧器に変更すること、防毒マスクを使用することが提案されて了承された。また、松本から、「警察等の排除は新實に任せる。武道に長けた被告人、中村昇、端本悟を使え。」と指示があった。

6 村井は、遠隔操作により加熱・気化させたサリンを大型送風扇により外部に拡散させる加熱式噴霧器を搭載したコンテナ付き貨物自動車の制作を部下の渡部和実らに命じて完成させたが、その他の犯行準備の状況は以下のとおりであった。

7 同月二五日ころ、新實は、端本の運転で、前記松本支部に赴き、下見をした。

8 同月二六日ころ、遠藤は、村井から指示され、中川とともに、松本市内に赴き、レンタカー業者からワゴン車を借り受けたほか、前記松本支部周辺等の下見を行った。また中川は、村井から指示され、同月二七日、噴霧車のタンクにサリンを注入したほか、酸素ボンベとチューブで結んだ防毒マスクを制作するなどした。

9 同月二七日早朝、新實は、被告人ら三名に対し、「松本の裁判所にサリンをまきに行く。警察等からの妨害は君たち三人で排除してほしい。」等と指示した。

10 同月二七日午後四時ころ、端本が運転する噴霧車(助手席に村井)、被告人が運転するワゴン車(助手席に新實、後部座席に中村、中川、遠藤)が出発したが、本件犯行現場までの状況は以下のとおりであった。

11 ワゴン車内では、噴霧時に煙が出ないか、防毒マスクに実効性はあるか、到着時には裁判所は閉まっていないか等の話題が出ていた。

12 途中停車の際、中川は、被告人ら全員に対し、予防薬としてメスチノンを一錠ずつ各自に配布して服用させた。

13 また、中川は、被告人ら三名に対し、「ガスを吸うと視界が暗く、呼吸が困難になり、頭痛、腹痛等の症状が出る。」等と説明した。

14 その後、新實と村井が協議して、噴霧の対象を裁判官宿舎に変更し、新實から被告人らにその旨連絡した。

15 犯行直前のアップルランド開智店駐車場における準備行為は、以下のとおりである。
  新實は、偽造ナンバープレートを正規のそれの上から張り付けた。中川は、ビニール袋と酸素ボンベをチューブで結んだ防毒マスクを用意し、解毒剤パムをアンプルから注射器で吸い上げて準備した。村井は、下見に出かけ、「すぐスイッチを入れ、一〇分位噴霧を続ける。噴霧後直ちに出発するので、ワゴン車もついて来るように。」と指示した。

16 同日午後一〇時三〇分ころ、本件犯行現場に到着し、防毒マスクを使用して酸素の供給を受けたが、犯行時の状況等は以下のとおりであった。

17 村井は、噴霧車側面を開いて、助手席に戻り、防毒マスクを使用しながら、遠隔操作によってサリンを噴霧したところ、白煙状に気化したサリンが周囲に拡散しており、被告人らは、警察官等による妨害を排除する態勢で待機していた。

18 その最中、防毒マスクを使用中の被告人が、「酸素が来ない。」と騒ぎ出し、中川が予備の酸素ボンベに切り替え、酸素の供給を再開したことがあった。

19 噴霧終了後、被告人は、教団施設に戻るため、ワゴン車を運転中、酸素ボンベ内の酸素がなくなった際、「酸素、酸素マスク」と言い出して、息を止めており、予備の酸素ボンベにつながれた医療用マスクを口に当てがわれた状態で、ワゴン車の運転を続けたことがあった。

20 噴霧されたサリンを吸入した伊藤友視ほか六名が死亡し、また、サリンを吸入した河野澄子ほか三名が重傷を負った。

21 同月二九日、新實は、村井がパソコン通信で取寄せた新聞記事により、本件被害の実際を知り、被告人も新實の部屋において右記事を読み知った。


〔本件プラントの稼働状況等〕


1 松本は、教団の武装化を計画し、毒ガスの大量生成を企図し、平成五年春ころから、早川紀代秀らに命じて、毒ガス製造プラント用として第七サティアンと称する建物の設計、建設を開始させ、同年一〇月ころまでに、鉄骨三階建ての建物が完成した。

2 松本から毒ガスの大量生成を命じられた村井は、化学知識の豊富な土谷に毒ガス生成を指示し、土谷は、同年六月ころ、サリンの文献を検討し、同年八月ころ、サリンの生成実験に着手した。一方、村井の指示を受けた滝澤和義は、土谷からサリンの生成方法等の説明を聞き、大量のサリン生成化学プラントの設計、資材等の調達、制作を開始し、新實は、平成六年二月ころまでに、教団のダミー会社を通じて、サリン生成のため各種化学物質を大量に購入し、教団施設内に保管した。

3 平成五年一一月中旬ころ、土谷が化学プラントによる大量生産を目指したサリンの生成方法を検討し、五つの工程から成る生成方法を確立するとともに、標準サンプルの生成にも成功した。

4 平成六年二月末ころ、本件プラントの設計作業が本格化し、同年四月ころ、多数の教団信者らによって、本件プラントの建設作業が開始された。そして、同年八月ころ、各工程の反応タンク等の設置作業も一応終わり、完成した工程から順次試運転が実施され、同年一二月ころ、第一工程ないし第四工程を稼働させて、生成物ができる段階となった。

5 当裁判所の判断
  以上の認定事実に照らすと、平成五年一一月以降、松本を指揮者として、多数の教団関係者により行われた本件プラント工事について、殺人予備罪が成立することに法律上の問題点はない。すなわち、平成五年一一月ころには、土谷が五つの工程からなるサリンの生成方法を見いだして標準サンプルを生成しており、実際にも約六〇〇グラムの生成に成功したことにより、化学プラントによるサリンの生成工程がほぼ確立されたと認められる。そして、当時は既に第七サティアンの建物は完成し、本件プラントの設計、機器の選定等も開始されており、サリンの大量生成に必要な化学物質を購入して確保していたのであるから、サリンの生成工程がほぼ確立された平成五年一一月の段階以降、殺人予備罪が成立していたと評価すべきである。


〔松本サリン事件の悪質性について〕


1 本件は、教団の最高指導者松本智津夫の指揮の下、教団所属の者多数により、無差別大量殺人を狙って敢行され、七名に対する殺人及び四名に対する殺人未遂という結果を生じた事件である。

2 松本は、将来のサリンの大量散布に備え、市街地におけるサリン使用の実効性を検証したいと考えていたが、長野県松本市内で施設建設のために教団が取得した土地の民事訴訟に関して、審理の行方が教団に不利であったため、右事件の担当裁判官らを殺害して、教団に不利な司法判断を免れる目的も併せて実現するため、本件犯行を敢行したものであり、独善的、反社会的思考に基づき、民主主義社会を支える司法制度を根底から破壊しようとしたもので、酌量すべき余地は一切ない。さらに、本件犯行の態様は、住民多数が安心して寝静まった夜間の時間帯に、多数の住宅が密集する市街地に、殺人兵器である大量のサリンを一挙に噴霧して周囲に拡散させたというのであって、無差別大量殺人を企図した犯行として、甚だ凶悪かつ残虐な犯行と評価すべきであるし、極めて周到に準備、計画された組織的犯行でもある。しかも、本件犯行の結果は、審理対象とされただけでも、死亡者七名、重傷者四名と多数であり、申告かつ甚大な被害を生じさせている。死亡した被害者七名は、当時一九歳から五三歳の男性五名と女性二名であり、将来に希望を抱きながら平穏な日常生活を送っていたのに、突如猛毒のサリンに見舞われ、原因さえ分からないまま死に至る苦痛の中で絶命させられたのであって、その無念さはもちろんのこと、愛する家族の貴重な生命を理由なく一方的に奪われた遺族らの受けた衝撃の深刻さは筆舌に尽くし難いものがある。また、サリン中毒症により、意識が回復しない者を含んで、四名の思い傷害を負わされた被害者とその家族の受けた申告極まりない苦痛も到底軽視することができない。しかるに、これらの被害に対して、被告人や本件犯行に関与した教団関係者からはまったく慰謝の措置が講じられていないのであり、被害感情は癒されることなく今日に至っており、遺族や被害者らが厳重処罰を求めるのは当然のことである。加えて、本件犯罪の性格からして、松本市周辺の住民だけではなく、社会一般に対しても、深刻な衝撃を与えたほか、深刻な不安感、恐怖感を醸成させたものである。