上祐幹部問題
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最終更新01/10/15
上祐幹部は熊本県波野村の国土利用計画法違反事件で、
偽証と有印私文書偽造・同行使罪に問われ、
98年7月に最高裁の上告棄却で懲役3年の刑が確定、服役。
松本被告の三女と並び、教団最高階級の「正大師」の地位にある。
オウム真理教の1999年12月30日付け対マスコミ向けFAX全文
(改行部分原文ママ)
報道関係各位
昨日広島刑務所を出所した上祐元緊急対策本部長より、自らが犯した罪を深く反省し、 1999年12月30日 |
マスコミの皆様へ 本日の出所に際しまして、マスコミをはじめ国民の皆様方が 多大なる関心を寄せておられること等に配慮し、当地に於いて 記者会見を行う予定でありましたが、残念ながら会見場並びに 諸般の事情によって、誠に申し訳ございませんが記者会見は見 送らせていただくことになりました。 私はこの後、教団(東京)に戻る予定でございますが、今は 出所したばかりでまったく四囲の様子が分からず、こと改まっ て皆様方にお話させていただくことはございません。 したがいまして、本日は記者会見を開く予定はございません が、今後の身のおき方等に関しましては、しばらく静養させて いただき熟考した後、改めて皆様方の前でお話させていただく 所存でございます。 甚だ身勝手なお願いではございますが、どうか事情をお酌み とりのうえ、ご理解とご協力を賜りますようよろしくお願い申 し上げます。 平成11年12月29日 上祐 史浩 |
上祐氏の深い闇 ■サリン噴霧車製造に関する上祐氏の役割 松本智津夫被告の第86回公判(1998年7月3日)の 藤永幸三被告(当時)の証言から ―読売新聞― ■亀戸炭疽菌テロ未遂事件(炭疽(たんそ)菌の培養等)における上祐氏の役割 松本智津夫被告の第3回公判(1996年5月23日)の 検察側冒頭陳述書より ■オウム散布の炭疽菌は家畜用ワクチン…米で発表 読売新聞2001年10月10日から ■第2のテロ?高まる不安…米の炭疽菌感染 読売新聞2001年10月09日から
■池田大作氏襲撃事件の内容を知らされていた 朝日新聞2000年2月7日から 井上嘉浩被告の2000年2月7日、大内利裕被告の公判での証言 |
代表役員 | 松本智津夫 | 1審公判中 |
責任役員 | 松本知子 | 懲役6年―東京高裁(上告中) |
責任役員 | 石井久子 | 懲役3年8月―東京地裁(確定―2000/11/18刑期終了) |
責任役員 | 大内早苗 | 公判終了 |
責任役員 | 上祐史浩 | 懲役3年―最高裁(確定―1999/12/29刑期終了) |
責任役員 | 都澤和子 | 公判終了(執行猶予) |
責任役員 | 飯田エリ子 | 懲役7年(確定) |
責任役員 | 新実智光 | 1審公判中 |
責任役員 | 大内利裕 | 1審公判中 |
監事 | 満生均史 | 公判終了 |
監事 | 別所妙子 | 訴追なし |
氏名 | 出家番号 | 出家年月日 | 生年月日 | ホーリーネーム | 地位 |
二ノ宮耕一 | 010 | 86年10月14日 | 65年12月17日 | ヴァジラチッタ・アティアッサージ | 正悟師 |
杉浦実 | 015 | 87年05月10日 | 61年09月28日 | カンカー・レーヴァータ | 正悟師 |
石井伸一郎 | 018 | 87年06月 | 59年12月13日 | ウルヴェーラ・カッサパ | 正悟師 |
野田成人 | 037 | 87年10月29日 | 66年11月15日 | ヴァジラテイクシュナ | 正悟師 |
杉浦茂 | 055 | 88年01月25日 | 58年06月27日 | ヴァジラチッタ・ヴァンギーサ | 正悟師 |
村岡達子 | 172 | 88年12月21日 | 50年03月03日 | ウッタマー | 正悟師 |
参考 | |||||
上祐史浩 | 013 | 87年05月01日 | 62年12月17日 | マイトレーヤ | 正大師 |
荒木浩 | 1551 | 94年05月14日 | 68年05月01日 | なし | なし |
注1 野田正悟師が、長老部を99/12/26日付けで長老部をやめたという情報を、テレビ朝日が「オウム真理教」から確認していますが、上祐幹部が出所した以上、長老部の役割は終了したと思われ、長老部をやめたか否かは教団の運営にとって、単なる形式の変化に過ぎないと考えますので、野田正悟師の名前は残してあります。 |
注2 1995年の強制捜査時において、正悟師の地位にあったのは、村岡達子氏だけで、他の長老部のメンバーは、強制捜査時に軒並み正大師、正悟師が逮捕されたため(当時の正大師、正悟師の中で逮捕されなかったのは、村岡氏のほかは、殺された村井秀夫正大師、未成年のアーチャリー正大師の3人だけ)、教団運営上、やむなく松本智津夫が任命したという経緯がある。 |