初出1999/04/10
雑誌「犯罪心理研究」第8号37頁
発行:日本犯罪心理研究所
本文4800字
1 2つの視点 破壊的カルトと犯罪というと、すぐに思い浮かぶのは地下鉄サリン事件を始めとする一連のオウム真理教事件だろう。サリンを製造して大量殺戮を計画し、松本、地下鉄両サリン事件あわせて19人もの貴重な命を奪った。確かにオウム真理教事件は「破壊的カルトと犯罪」というテーマにもっともふさわしい題材に違いない。しかしながら日頃破壊的カルトによる被害救済に取り組んでいる者としては、この種の事件を論評する前に、前提として、次の二点の理解が必要だと考えている。 一つ目は、摘発された犯罪だけを評価の対象とするのは誤りだということである。つまり犯罪は、国家が、ある違法行為を犯罪と認定したという意味しかないことに注意する必要がある。社会のなかで犯罪といえる実態を持っているものは日々生起するが、そのうち摘発されるのはほんの一握りである。摘発されたという実績だけを評価の対象として、「破壊的カルトと犯罪」というテーマで記述するのは表面的で、科学的検証とは言えないだろう。オウム真理教も、サリン事件など、ある意味「わかりやすい犯罪行為」が摘発されるまでは、不法行為損害賠償という民事事件などで対処するしかなかった。 したがって「破壊的カルトと犯罪」というテーマで言う「犯罪」とは、国家が摘発していない犯罪も含む実質的な犯罪すべてを射程とする必要がある。もちろん摘発された犯罪だけを評価の対象とする方法もまったくだめだとまでは言えないが、こと「破壊的カルトと犯罪」というテーマにおいては、一般的な窃盗や殺人といった事件と違い、大きな誤りをおかす危険がある。なぜなら戦後の警察は、「オウム真理教」に限らず、宗教団体のからむような刑事事件に対しては、「信教の自由」の観点から、謙抑的な態度をとってきたからだ。 ところが現実は、この規定の趣旨は無視され、「宗教だから多少の行き過ぎは許される」といった「宗教タブー」が日本社会に蔓延していた(注1)。 この傾向はオウム真理教事件後も続いており、国家が認定した「犯罪」というものが、非常に限られた事件に限定されてきたのが、「破壊的カルト」の問題状況である。 このような状況下においては、国家が認定した「犯罪」だけを射程として論評する方法が大きな誤りにつながることは明らかだろう。 二つ目は、犯罪というものの特質に由来する。信教の自由が制限されていた戦前には、大本教事件などいくつかの宗教弾圧の事件がおきている。その際、治安維持法や不敬罪が利用された。日本ではオウム真理教に対する破防法の適用は見送られたが、ロシアでは、地下鉄サリン事件直後に、オウム真理教の活動が禁止され、オウム真理教の活動をすること自体が犯罪となった。このように「犯罪」は、その国の権力と民衆の力関係によって、時代により、また国により、その広狭に違いがある。 信教の自由は、自由権の一つとして、その保障は、民主主義のバロメーターとも言われる。民主主義の著しく制限されていた時代の事件を、そのまま「破壊的カルトと犯罪」というテーマで論評することは危険である。同様に自由化の度合いが異なる諸外国の宗教事件とも、単純比較することはできない。 つまり現代の日本の「破壊的カルトと犯罪」の問題を考えるとき、過去の摘発例や、諸外国の規制を考えても、あまり参考とならないのである。 以上を前提に「破壊的カルトと犯罪」の問題を考えれば、まず作業としては、破壊的カルトの実態から、歴史的にも地域的にも横断的に認められる普遍的問題状況を、まず抽出した上で、これを再度実質的な「犯罪」というフィルターでくくる作業が重要となる。
2 「破壊的カルト」という言葉 そこで次になぜ「破壊的カルト」が、世界中で問題とされてきたのか、という点を見ておきたい。過去破壊的カルトは、幾多の社会的問題を引き起こしてきた。世界中でおこっているこうした事件を類型的に分類してみると、おおむね次の四つに分類可能である。@対社会妨害型事件A資金獲得型事件B家族破壊型事件C構成員収奪型事件の四つがそれである。 典型例をあげると@のさいたるものが世界を震撼させたサリン事件。反対する者に対する執拗ないやがらせなどもこの類型に属しよう。Aは霊感商法などの経済事件、Bは親子の断絶や離婚の問題など、Cは信者の安全や健康を無視した無償労働やこれに伴う事故などがあげられよう(注2)。
われわれは、こうした事件を継続的に引き起こす集団を、法秩序、社会秩序を破壊する団体という意味で「破壊的カルト」と呼んでいる。これに対し、評論家のなかには「カルト」の定義が曖昧だなどといって、言葉の問題に矮小化する意見を言う人がいる。しかし言葉には、水、光などといった経験で理解できる帰納的言語と、「物理」「数学」などといった最初に定義ありきの繹演的言語との2つの言語がある。この点「カルト」という言葉は、「カルト」の実態から発した帰納的な概念言語である。「カルト」の定義が曖昧だとする評論家は、この点を大きく誤解している。つまり「破壊的カルト」という言葉は、その実態を理解するか、少なくとも理解しようとする想像力がなければ、そもそも永久に実感できない言葉である。それは言わば「海」を一度も見たことがない人が「海」を実感できない状況と、似かよった心理状態と言えよう。 もちろん「破壊的カルト」にまつわる問題のなかには、法的な問題性が明らかなものもあれば、現状では道義的な問題にとどまるものもあるが、後者についても、道徳は法の源泉として時代のなかで次第に法に純化していくこともあり、また道義的な問題自体も社会問題となりうることを考えると、まったく無視するわけにはいかない。要するに弁護士は、「破壊的カルト」がこうした社会問題を引き起こしてきたからこそ、法的なレベルでも問題にしてきた。ただ「普通の人と違う考え方をしている」「奇妙だから」という理由で問題としてきたわけではない。 つまり「破壊的カルト」の問題を考えるとき、その実態的考察は不可欠な要素なのだ。そして仮に上記四つの類型すべてを継続的かつ組織的に引き起こす「集団」がいたとしたら、「破壊的カルト」に対し、傍観的態度をとることは不可能だろう。
3 破壊的カルトと犯罪 では戦後、実際におこった宗教にまつわる刑事事件を見てみよう。この点、日本では、オウム真理教事件がおきるまでは、「きつねつき事件」と言われる教祖の信者への暴行殺人事件が中心だった。たとえば1987年2月、藤沢市内で、教祖とその側近の女性が、その女性の夫に取りついた悪魔を払うためと称して、夫の身体に塩を塗ってもんだり、ベルトで足を縛り馬乗りとなって押さえつけたり、首を締めつけたりしているうちに、夫を死亡させたという事件がおきている。二人は、男性の死亡後も3日間にわたり、はさみで死体の後頭部を切開して頸椎を取り出し、皮膚をそぎ、眼球や内蔵を取り出し、骨を切断し、脳は水道の水で流して捨てていた。 1990年7月には、京都府宮津市の海水浴場で、宗教法人「法友の会」の男性信者一人が暴行を受け水死した事件があり、92年秋、教祖ら8人が逮捕され、全員が傷害致死罪の容疑で起訴された。1995年7月5日にも、福島市内で祈祷師ら5人が逮捕された。悪霊を追い出すなどと称して、太鼓のばちなどで叩く、蹴るなどの暴行を加え、6人を死亡させた。死体は発見まで、教祖宅に放置されていた。 海外では、1978年、912人の死者を出した人民寺院事件、1993年に86人の死者を出したブランチ・ダヴィディアン事件、1994年から1995年にかけて69人の死者を出した太陽寺院事件、1997年に39人の死者を出したヘブンズゲイト事件のような集団死事件が目立っている。ここで注意すべきは、一般にこれらの事件は集団自殺事件だと言われているが、死者に子どもまでもが含まれている例もあり、実態は、集団無理心中事件だということである。無理心中事件は殺人事件の一種であり、当然「破壊的カルトと犯罪」というテーマの射程に入ろう。 これに対し、日本では、一部の例外を除いて、集団死事件は、今のところ、目立っていない。1986年1月1日、和歌山県の海水浴場で、「真理の友教会」の女性信者7人が、灯油をかぶって焼死しているのが発見された例がある程度である。その前日に男性教祖が病死したのを受けての自殺だとされている。 特に欧米と異なる日本の特徴としては、献金やお布施の強要といった資金獲得型事件が多発していることがあげられる。1995年10月に愛知県警が、詐欺容疑で摘発した宗教法人明覚寺と本覚寺による霊視商法はその一例である。他方、統一教会が全国の信者を駆使して組織的に行ってきた霊感商法は、1984年に末端信者が恐喝罪で逮捕された例はあるものの、いまだ教団自体が摘発対象とされていない。しかしその実態は霊視商法と同様で、摘発されないこと自体が不合理な状況にある。警察が放置したために、80年代初期から生じた霊感商法の被害は現在でも続き、90年代に入って、霊視商法や、宗教法人法の華三法行の足裏診断商法など、同種事件の多発を生んだ。 「破壊的カルト」の活動の源泉は人とお金である。つまり「資金獲得型事件」をおこさない「破壊的カルト」はないと言っても過言ではない。殺人事件に警察が動くのは当然だとしても、「資金獲得型事件」の多発は、破壊的カルトの暴走のわかりやすい兆候でもある。既に宗教法人法の趣旨でも触れたように、本来、宗教団体を特別扱いすること自体が、請求分離に反している。 |