●経営 オウム真理教の連続企業侵入事件 カルト社員から会社を守れ! (初出:週刊東洋経済1995年7月15日) この原稿は、地下鉄サリン事件がおきた95年に、 国だけではなく、企業も、 カルト問題への対策を立てる必要があるという思いで、 企業向けに書いたものです 統一協会||HOME 宗教被害資料集 |
リード注:ママです。気恥ずかしい部分もありますが、そのままにしてあります。 NEC、三菱重工は他人事ではない。カルトに最も無防備な企業に、第一線の法律家が、カルトの本質と社内の信者を見抜く法を伝授する。 本文注:年など、アップ・トゥー・デイトに一部修正してあります 95年3月22日のオウム真理教に対する強制捜査情報が事前にオウム側に漏れていた―。この衝撃的な事実は、毒ガス、殺人、兵器密造などとは別の面で、オウム事件の持つ深刻さを象徴している。強制捜査の後、発売された教団の機関誌『ヴァジラヤーナ・サッチャ』9号で、オウムは「習志野・陸上自衛隊空挺団の動き」と題して、内部の者でしか知り得ない情報を誇らしげに掲載した(表1参照)。 オウムが通常は知り得ない機密情報を利用した例はこれに限らない。 教団"諜報省トップ"の井上嘉浩被告らが中心に行った数ある企業侵入事件の中でも、昨年12月28日深夜、三菱重工広島製作所内に信者が侵入し、レーザー技術に関する資料をコピーした事件の中身はこうだ。 当時、同社広島製作所主任研究員だった信者が合い鍵を用意し、元自衛官の信者らは、研究員の信者が運転するレンタカーのトランクに潜んで侵入したのである。麻原彰晃被告は一時、大分県の宇佐に住民票を移している。この手続きも、宇佐市役所職員の信者が、教団の指示で行った。 教団は運転免許証偽造工場も持っていた。偽造用に、教団信者が経営する中野区内のレンタルビデオ店の顧客データ(運転免許証のコピーがついている)を持ち出していた。逃走中の信者が持っていた光ディスクには、大手企業やマスコミの信者リストが記録されていたという。 表面化した事件は氷山の一角。他にどれだけの企業の機密情報が狙われていたのか想像もつかない。 集団生活がカルトを暴走させる 流行語にまでなったカルトという言葉は、社会常識からかけ離れた思考形式、行動規範を持つ集団を指す。最近は、この中でも規範逸脱度が激しく、その国の法規範に違反することさえ何とも思わなくなる破壊的集団を"破壊的カルト"と呼ぶこともある。例えば、78年11月南米で集団自殺した事件で有名な「人民寺院」がそれである。 オウムの場合は、地下鉄サリン事件のような大量殺戮を犯す"破壊的カルト"にまで暴走した。 カルトが暴走する背景には、"破壊的カルト"が集団生活を基本としているという点が隠れた要因になっている。集団の中に、すでに教祖というカリスマ的指導者がいて、常識に外れた活動に少しでも反論を唱える者を排除するうち、いつしか集団の中にはイエスマンばかり残る。すると、さらに進んで違法行為をしても誰も止める人がいなくなる。これが悪循環して暴走する―という素地を作ってしまうのだ。オウムの暴走は、このような集団力学の結果でもあり、ひとり麻原彰晃の力だけではない。 例えば、教団の顧問弁護士だった青山吉伸被告の場合がそうだ。 弁護士法第一条は、 「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」としている。 これに対し、青山被告は90年11月に発行した著書『真理の弁護士がんばるぞ!』の中で「"正義"という言葉には独善的な思い込みが伴う場合があるので―より普遍的な"真理"を守っていきたい」と述べている。 つまり青山被告は弁護士の指名である社会正義よりも、オウムの教義のほうが上であることをこの時点で宣言しているのである。これでは、弁護士自身がカルトの暴走に手を貸したも同然だ。カルトでは法や社会規範よりも、カルト集団内の規範のほうが"優位概念"にあるのだ。かくしてカルトは、人殺しもためらわぬ集団にさえ発展する可能性を内包する。 企業情報防衛上の新たな敵だ 地下鉄サリン事件に続く強制捜査の中で、オウムがいかに情報収集に積極的だったかを示す事実が次々明らかになっている(表2参照)。その手口は産業スパイ以上に強引だが、これほど企業の内部情報がひとつの組織に次々流出した事例はない。企業は、形式上は宗教団体という、全く未体験の"敵"に遭遇したのだ。 そもそも企業内部の重要情報をいかに管理するか。これは、いわば企業の労務管理の暗部だった。 企業の内部情報は、往々にして社員や労働組合を通じて、マスコミや人権団体にもれていくことがある。人権を守るという名の下に社会運動として企業の内部情報がリークされた例もある。 そこで、企業はたいてい、労組の活動家をあたりさわりのない部署に異動させ、企業内部の重要情報に触れさせないようにする方法で、情報流出を防ぐ作戦を取ってきた。 また産業スパイは、もっぱら情報を第三者に売り渡すことで報酬をもらうためだったり、ライバルメーカーが企業戦略に利用するためだったりと、情報の利用目的はあくまでビジネスの世界を出ない。また、スパイを定職にしている例はまれで、たいていは一回限りで継続性は薄い。 ところが、カルトは労組や産業スパイとも全く異質だ。 労組は経営者側にもその所在を明らかにしており、社員も労組に所属していることを隠さない。そのため、企業としてはどの社員が労組でどういう活動をしているかというレベルまで容易に管理できる。 ところが、カルトは、自分がカルトの構成員であることを隠す。大学でも、企業でも、路上で募金・署名活動をしている時も同じだ。そのため、企業には誰が"カルト社員"なのか見えにくい。加えて、調査しようにも、憲法で定められた「信教の自由」の壁が立ちふさがり、表立っては手の出しようがないのが実情だ。 また、カルトは入手した情報を、カルトの独善的な目的のためにのみ利用する。カルトの情報収集は敵対する人間のプライバシーを暴くために行うこともある。反対運動をする人間、批判記事を書くマスコミ人の自宅を突きとめてイタズラ電話をかけまくる、自宅周辺に中傷ビラをまく―オウムに限らず、他の教団でもままある。 幸か不幸か、オウムが、建造物侵入など違法行為を働いて企業秘密にアクセスしようとした事が次々発覚した。私は、これは同時に、オウムがそういう非常手段を使わなければ機密情報をとることができない、という弱さも露呈したことでもあると思う。ここが、宗教法人資格を取ってわずか6年の宗教団体の限界である。 かといって、安心はできない。日本にはオウム以上に多勢の信者を持ち、すでに30年以上の実績もあるカルトや巨大教団がある。このようなカルトや巨大教団は、すでに社会の中に縦横無尽に信者同士の情報ネットワークを結んでいる可能性もある。もちろん、企業、官庁にもだ。 全国18万以上ある宗教法人を所轄する与謝野馨文部大臣は、95年4月4日の記者会見で「宗教団体の活動について必要最小限の基礎的な知識を持つ必要があるのではないか」と述べ、宗教法人法の見直しを示唆した。これは裏を返せば、国は今回の事態が起こるまでオウムについての必要最小限の知識さえなかったと自白しているに等しい。 かすかなサインを見逃すな 国でさえ、カルトのことを理解していない日本において、企業のカルト社員対策はどうすればいいのか。残念ながら今のところ、即効薬はない。 カルトはひとつの先進国病で、ちょうどコンピュータソフトにおけるコンピュータウイルスに似ている。内部で発生して、それをとりまく社会さえ破壊する危険もある。コンピュータウイルス退治に使うワクチンプログラムと同様、企業や社会に、カルトに対するワクチン=抗体=反応を植え付けることがカルト対策の大前提だ。 カルト社員対策は、ひとことで言ってしまえば人事考課改革そのものだが、一歩間違えば社員のプライバシー調査になりかねず、人権問題と衝突してしまう。 社員のちょっとした異変がヒントになることもある。人事担当者でなくとも、社員同士でも気づくだけの知識が必要だ。職場仲間が、突然煙草を吸わなくなったとか、酒をやめたり、服装が極端に変化していないか。急に仕事能力が落ちていないか。会社の仕事よりもカルトの活動を重視するようになる時、変化が起こることが観察されている。酒・煙草をすすめるカルトは少ない。 「アイツ、最近変わったなあ」と感じた時、同時に、「ひょっとすると宗教かな?」と連想してみるのも、一つの手だ。 社内の相互監視を強めろといっているのではない。企業のカルト社員対策は、カルトに入った子供を家族が救う方法と何ら変わらないと言いたいのだ。 確かにこれまで行われてきたカルト対策は、被害にあった個人や家庭のレベルでの救済が主だ。実際、私のところに来る相談も、個人の被害にとどまる内容だった。 しかし、社員の家族、あるいは社員本人がカルトに迷い込んだ場合、それは家庭の問題であるという認識をぜひ持ってほしい。社員がカルトに入るのを防ぐ職場づくりは、社員の安全確保のために重要であるばかりでなく、同時に、将来、冒頭のような被害を会社にもたらす可能性を未然に防ぐという、両面の予防策だということを。カルト社員によって外部に流出した機密情報が悪用された場合、その社会的影響から企業は責任を免れられないのだから。 カルト問題は、すでに親子問題の範囲を超え、企業と社員、そして国家と国民の関係にまで波及している。日本では、オウム事件により個人も企業も国もカルトに対して何も知らなかった現実が示されたばかりではないか。 日本は無防備もはなはだしい。だから、あえてカルト対策を立てなければならないのだ。もはやカルトに無関心だったり、無責任に非難するだけでは済まされないということを、企業人はこの際、はっきり自覚すべきだ。 |