宗教被害救済の難しさ
初出:消費者被害救済の上手な対処法[全訂増補版]
弁護士向けの論考です。
平成11年8月12日発行:民事法研究会
所収原稿:約6000字
最終更新01/07/17
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宗教資料集||法の死角
1 宗教被害の特質 霊感商法や霊視商法に限らず、宗教にまつわるトラブルが紛争になることが多くなっている。オウム真理教は言うに及ばないが、他の宗教団体、たとえば宗教法人法の華三法行(別称ゼロの力学、アースエイド)、泰道(宗教法人宝珠宗宝珠会)など、この種の問題をやりつけない弁護士にとっては、聞き馴れない宗教団体の事件も多い。 しかも問題となる宗教団体には、宗教法人として、法人格があるものもあれば、権利能力なき社団としての宗教団体にすぎないものもあり、また一人の祈祷師が宗教を名乗っているものもある。 一見宗教のように見えるが、当の団体が宗教とは考えていないもの、たとえば昨今マスコミをにぎわしている農事組合法人「ヤマギシ会」の事例や、宗教類似のもの、たとえば占い団体、自己啓発セミナー、企業コンサルティングにともなう事件の中にも、精神抑圧的に意思決定を迫るものがあり、これらも広義の宗教事件に分類されよう。 宗教の定義は、多くの先人たちが挑戦したが、その定義は著しく困難である。カントは「われわれすべての義務を、神の至上命令であると認識すること、これがすなわち宗教である」とし、有名な津市地鎮祭事件の名古屋高裁昭和四六年五月一四日判決(判例時報六三〇号七頁)は、宗教を「超自然的、超人間的本質(すなわち絶対者、造物主、至高の存在等、なかんずく神、仏、霊等)の存在を確信し、畏敬崇拝する心情と行為」と定義した。しかし絶対者のない宗教や、科学的なものを信仰する宗教の存在の否定できないうえ、宗教を厳密に定義することは「宗教でないものは信教の自由の対象にならない」という排他的判断につながっていく可能性もあることに注意する必要がある。 したがって自らが宗教だと称するものは、すべて信教の自由の対象となるといった消極的な定義しかできないのではないかとも思われ、自らを宗教と考えていないものについては、これをあえて信教の自由の対象にする必要性がないとの考えも成り立つ。 このような考え方をおし進めたものとして、宗教法人世界基督教統一神霊協会(以下統一協会とする)の献金勧誘行為について、民法七〇九条の不法行為責任を認めた一九九七年四月一六日付奈良地裁判決(判例集未登載、解説として民事法情報一三二号四八頁)があり、同判決は、「本件のように宗教団体において、自らが宗教団体であることや当該行為が宗教的行為であることを殊更秘して布教活動を行う場合においては、宗教的行為の一部であることが何ら外部には表現されておらず、宗教的信仰との結びつきも認められない単なる外部的行為とみられるから、信教の自由の範囲外であり、一般取引社会において要求されるのと同程度の公正さが献金勧誘行為においても要求される」としているのが、注目される。 宗教であることを明示しない以上、信教の自由の範囲外であると判断されるのなら、自ら宗教と考えていないものは、当然に信教の自由の範囲外と考えることになろう。 いずれにしても、トラブルを起こす宗教団体や個人には多種多様なものがあるが、これらの事件がいずれも消費者事件として分類できるのは、消費者から資金を獲得する手段が社会的に不相当だと思われるからにほかならず、その救済が必要となることは言うまでもない。 2 宗教被害の類型 霊感商法や霊視商法のような金銭被害に限らず、宗教にまつわるトラブルも多種多様である。ここでこれまでの裁判例を参考に、宗教トラブルの類型化を試みると、概ね次のタイプに分類できることがわかる。 そしてこれらの分類は、宗教類似事案にも応用できるものである。 ① 金銭被害型の事件 霊感商法や違法な献金勧誘など。 ② 対社会妨害型の事件 集中的な無言電話や中小ビラなどのいやがらせなど。 ③ 信者収奪型の事件 マインドコントロールを駆使した信者勧誘、その後の劣悪な信者管理、最低賃金法に違反する賃金未払い事件など ④ 家族破壊型の事件 離婚、婚姻無効、親権変更、人身保護、準禁治産者の申し立て事件など ところで右のような問題を多発させる集団を「破壊的カルト」と呼ぶことがあり、宗教類似事案を含めた広義の宗教事件を包摂するものとして、便利な用語である。「個人の人格を破壊し、かつ社会を破壊する集団」とでも定義されようが、一方カルトを根拠のない差別用語だとして非難する意見もある。しかしそのような非難は、カルトという用語が、帰納的言語であることを誤解したものである。カルトは、抽象的定義概念ではなく、右のような類型の事件を多発させる集団という意味の帰納的概念である。 ただしカルトではない宗教団体が、たまたま信者の暴走により宗教被害を引き起こすことや、個人が引き起こした宗教被害は集団概念であるカルトの被害とは呼ばないから、カルトという言葉も万能ではない。 いずれにしても、「宗教」や「カルト」を定義することは、実務上有効ではないことに注意すべきである。 3 宗教にまつわる消費者被害 以上のような宗教被害の分類の内、特に消費者被害との関係で問題となるのは①と③である。①は言うまでもないが、③の中で、信者勧誘の実態は、街頭でのキャッチセールスなどと外形的に異なるところはない。 前述の統一協会に対し民法七〇九条の不法行為責任を認めた一九九七年四月一六日付奈良地裁判決は「(統一協会)への入会や献金の勧誘の過程においても霊感商法におけると同一の方法が用いられ・・・不公正な方法を用い、教化の過程をへてその批判力を衰退させて献金させるものと言わざるを得ず、違法と評価するのが相当である」としており、献金勧誘と同様に、入会勧誘にも、霊感商法と同様の問題があることを指摘している。 ①の資金獲得型不法行為については、近時統一協会に対する献金違法判決がいくつも出ており、参考になるが、同一の手法は他の問題ある宗教団体においても利用されている。したがって、献金・布施・祈祷料・供養料・会費など、名称の違いはあっても、外形的に違法な勧誘行為が不法行為であることは言うまでもない。 なおこうした宗教団体の問題ある行動と信教の自由との関係では、精神障害の治療のために加持祈祷を行い、その結果患者を心臓麻痺で死なせ、僧侶が傷害致死罪に問われた事例について、最高裁昭和三八年五月一五日大法廷判決(判例時報三三五号一一頁)は、「信教の自由が基本的人権の一として極めて重要なものであることは言うまでもない。しかしおよそ基本的人権は、国民はこれを乱用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負うべきことは憲法一二条の定めるところであり、また同一三条は、基本的人権は、公共の福祉に反しない限り立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする旨を定めており、これら憲法の規定は、決して所論のような教訓規定というべきものではなく、したがって、信教の自由の保障も絶対的無制限のものではない」としている。 統一協会の献金要求行為について、統一協会の使用者責任を認めた東京地裁平成九年一〇月二四日付判決(判例時報1638号107頁)は、「宗教的結束を維持し、拡大するための行動であっても、現行法の秩序を踏み超えることはできず、刑事法上是認されないものは、宗教的活動であることの故に犯罪性を否定されず、同様に、民事法上是認されないものは、不法行為等民事上の責任を免れるものでもない。献金が、人を不安に陥れ、畏怖させて献金させるなど、献金者の意思を無視するか、又は自由な意思に基づくとはいえないような態様でされる場合、不法に金銭を奪うものと言ってよく、このような態様による献金名下の金銭の移動は、宗教団体によるものではあっても、もはや献金と呼べるものではなく、金銭を強取又は喝取されたものと同視することができ、献金者は、不法行為を理由に献金相当額の金銭の支払を請求することができると解すべきである」としている。 4 宗教被害の救済 こうした宗教被害の救済は、他の消費者事件と同様に、まず交渉から始まる。ところが教団側が任意に被害を弁償すればよいが、裁判に発展すると、教団に対する責任の問われ方が問題となる。 その際、前記①と③の事件類型では、勧誘行為の違法性が認められることを前提として、次に教団への責任の帰属が問題となるが、教団の責任の問われ方としては、民法七一五条の使用者責任を認めた判決例(福岡地裁平成六年五月二七日判決「統一協会献金違法判決」(判例時報一五二六号一二一頁)、前記東京地裁平成九年一〇月二四日付判決など)、民法七〇九条の不法行為責任を認めた判決例(前記奈良地裁判決)、宗教法人法一一条、民法四四条の責任を認めた判決例(大阪地裁平成九年七月二八日判決「オウム真理教布施強要違法判決」(判例時報1636号103頁/判例タイムズ964号192頁)がある。 いずれの構成によっても、訴訟では、まず関与した信者の勧誘行為の違法性がまず証明される必要がある。 旧約聖書の十戒に「あなたは隣人について、偽証してはならない」とあるとおり、嘘をつくことを表だって推奨する宗教団体はない。 ところが宗教団体の中には、教団の防衛のため、あるいは「天法は地法に優る」「大善は小善にまさる」という言葉で象徴されるように、現行法上の秩序を無視し、平気で嘘をつくことを肯定する団体がある。 そのため裁判で必要な証人が、教団の信者の場合、偽証罪を承知で平気で嘘をつくことが多く、結果的に反対尋問の適否が訴訟の勝敗を決する面が少なくない。 宗教被害事件のほとんどは、契約書が作成されたり、領収書が発行されること自体が珍しいこともあり、書証よりも人証が重要となる傾向が強い。したがって一般に宗教事件では、元信者など内部の実情を知っている関係者の証言もきわめて重要となる。 また教団への責任の帰属の面では、教団への資金の流れが重要であり、被害者としては被害者→関与した信者→教団への各プロセスの資金の流れを立証したいところであるが、教団側は、そもそも被害者→信者という金銭の流れを否定したり、仮にこれを否定できない場合でも、信者→教団の資金の流れを否定し、あるいは、信者ないし信者の帰属する信徒会が勝手にやったことだと言い逃れする場合が多い。 いずれも道筋でも、被害者から見ると、関与した信者から上の信者組織の実態、教団の実態はまったく不明であることが通常であろうから、統一協会やオウム真理教など、既に教団内部の状況が、元信者の証言、判決、マスコミなどを通じて、一定程度明らかになった教団の被害であるならともかく、一般の宗教被害事件では、違法性立証が非常に難しいのが現状である。つまり宗教被害事件は、典型的な証拠偏在型事件である。 そのため証拠を補強し裁判所を説得していくためにも、被害者や関係者の掘り起こし作業が重要となるので、マスコミとの連携も必要となる。 5 被害者への精神的援助 宗教の被害者の中には、命懸けでその宗教に邁進してきた者がいる。そんな被害者であればあるほど、脱会後深く傷付き、精神的にひどく落ち込んでいく。 また教団から脱会したものの、教団は間違っているが教義は正しいとか、教団を牛耳っている幹部に教祖はだまされているだけだと主張し、なおも精神的に教団への観いを断ち切れない者もいる。これに対し、当初教団に騙されたという被害者意識から、教団に対する反対活動を、はたから見ると熱心すぎるほど行う者もいる。 いずれも脱会の際の後遺症とも言えるものである。こうした脱会後の極端に減退した、あるいは極端に高揚した精神状態も、時間がたつにつれ落ち着いていき、教団にかかわる前の自分に戻って行く。宗教被害の救済は、そんな精神被害の回復の過程でもある。 宗教被害の救済を担当する弁護士は、そうした被害者の心の葛藤をよく理解し、被害者の「教団憎さ」から出る誇張した言葉や、「自分の意思で判断した」という謙抑的な言葉から、事実を読み取る目が必要となる。 「人間とは何か」「心の悩みとは何か」「宗教は必要なのか」 事件を通じて、被害者とともに、人間について考えさせられることが、他の消費者事件にない特徴である。 |