1993年4月21日、女優の山崎浩子さんが、世界基督教統一神霊協会(以下統一協会(注1))からの脱会記者会見を開き、マインドコントロールという言葉を口にした。
同日書籍「マインドコントロールの恐怖」(注2)が出版され、日本でもマインドコントロールという言葉が広く知られることになった。しかし、この時期マインドコントロールの真の恐怖は理解されず、流行語的な感覚で広まったにすぎなかった。
ところが1995年にオウム真理教事件がおこったことを契機に、マインドコントロールは単なる流行語の地位から、破壊的カルトの悲劇を繰り返さないために考慮されなければならない重要なキーワードとなった。
松本智津夫被告が地下鉄サリン事件で起訴された同年6月6日、当時東京地検の広報担当の甲斐中辰夫次席検事までもが、記者会見の席で「マインドコントロールされた信者たちから自白を得るのは大変だった」などと述懐したことは象徴的な出来事であった。
一方「自己責任ではないか」とか「マインドコントロールにも良いマインドコントロールと悪いマインドコントロールがある」といったマインドコントロールの持つ問題性を矮小化する意見が未だにある。
しかし前者は端的に被害者に鞭打つ理屈であり、後者は破壊的カルトのマインドコントロールが質的に他のマインドコントロールと異なることを看過した意見である。
自己責任の意味
証券被害や変額保険の事件においては、被告となった証券会社や銀行は「契約者の自己責任であり当社に責任はない」という弁明を繰り返している。
ところがもともと自己責任は、十分な情報が提供され、自由な意思決定が満足される環境においてこそ生ずるものである。証券取引法は、自己責任原則が貫徹できない場合として「必ず値上がりする」といった断定的な判断を提供する勧誘を違法としている。
刑法には詐欺罪・恐喝罪という犯罪がある。
人をだましたり脅したりして資金を提供させる場合に生ずる犯罪である。
その要件は、前者は、他人に対する欺罔行為→本人の誤認→財産提供であり、後者は、恐喝行為→本人の恐怖→財産提供である。
平たく言えば、だまされてお金を出すか、脅されてお金を出すかの違いである。
いずれの場合も厳密にいえばその人の意思の結果であるが、法は、これらの他人の精神操作を自由意思の重大な脅威ととらえ、違法と評価している。
刑法は暴行脅迫により人に義務なき行為を行わせる強要罪などの罪も、犯罪として類型化している。
嫌がらせ電話で神経衰弱にさせた行為を傷害罪とした判例もある(東京地裁1979年8月10日判決)。
要するに、他人への精神操作のすべてが違法というわけではないが、精神操作の度が過ぎれば、それが違法だと評価されることがあるということである。
消費者問題を多数扱っていると「自分の意思で買ったのだから後で文句を言うのはおかしい」とうそぶく悪徳業者によく出会う。
しかし問題は、業者がどのような働きかけを被害者にしたのかが重要なのであり、マインドコントロールの問題を考える場合も事案の真相を見極める真摯な姿勢が重要である。
霊感商法の違法判決相次ぐ
霊感商法の仕組みの概要はこうだ。
まず事情を知らない被害者にどんな口実でもよいから近づく。
きっかけは訪問販売であったり街頭で声をかけられたり知り合いに声を欠けられたりと様々である。
こうして被害者を商品の展示会に誘い出すと、偽の霊能師が「先祖が霊界で苦しんでいる」「このままでは成仏できない」などと、あることないことを説明し脅していく。
そうして恐ろしくなった被害者に「壷を買えばあなたも先祖も救われる」と高額な商品を売りつける。
こうした霊感商法を真っ向から違法とし、統一協会を敗訴させる判決があいついでいる。
1994年5月27日、福岡地裁は、霊感商法と同様な手口による献金強要行為の違法性を初めて認定した。
統一協会は控訴したが控訴審でも敗訴した(1996年2月19日)。
1996年12月3日には高松地裁でも違法判決が出された。1997年4月19日の奈良地裁判決は、これらの判決を一歩進め「(統一協会)への入会や献金の勧誘の過程においても霊感商法におけると同一の方法が用いられている」と認定し「(統一協会の)献金勧誘システムは、不公正な方法を用い、教化の過程を経てその批判力を衰退させて献金させるものと言わざるを得ず、違法と評価するのが相当である」とマインドコントロールの問題を考えるうえで、非常に参考となる判決を下している。
1990年春に、弁護士登録した直後、初めて霊感商法問題に取り組んだとき「世の中には平気で庶民からなけなしの金を奪って行く。そんな極悪非道の人達が本当にいるんだ」ということに驚かされた。
ところが霊感商法の救済を続けていくうちに、統一協会を脱会した信者たちと交流するようになった。霊感商法の違法性を追求して行くには、元信者の体験に基づく証言が不可欠だからだ。
事情を聞くと彼らが驚くほど純粋で善良な人たちだということがわかってきた。
「先祖が霊界で苦しんでいる」と言われ、「先祖を救うには統一協会の道しかない」と言われ入信した信者たちは、先祖の霊を慰める心や家族を思う心が自然にわき出てくる純粋な心を持っていた。
そんな彼らが統一協会に入って「大悪人」のようなことを平気で行うようになる。
平気で嘘をつき、平気で家族を捨て、平気で善良な市民からなけなしの財産を奪う。ところが「大悪人」であるはずの彼らは「お金を奪うことがその人の幸せにつながる」と思い込まされており、決して利己的な理由で霊感商法をしているのではない。
つまり統一協会問題は簡単に正対悪の図式で割りきれない。信者たちもマインドコントロールの被害者なのだ。
財産を奪われその上「献身」―マインドコントロールは霊感商法
統一協会は、一般市民をビデオセンターと称する施設に連れ込んで、教義を本人の知らないうちに教え込み、ツーデー・フォーデーなどのトレーニングを経て、献身させる(注3)。
詐欺・脅迫的手口で市民から財産を提供させるのが霊感商法だが、実は信者らも献身に至るプロセスの中で、霊感商法と同じ手口でその財産全部を提供させられる。
従って、献身時には信者は身ぐるみはがされた状態となる。
こうして所有財産を全て奪い取った信者らに、更に精神操作を施し、「救いを求めるためにできる唯一の手段は統一協会のために身体を提供しその活動に邁進するしかない」、すなわち「献身しかない」と教えて行く。
つまり「献身」は、霊感商法被害の延長線上にある、より重篤な被害なのである。
詐欺や恐喝と比較するなら、信者らはだまされ、そして脅されて、自分自身の身体、労働力、そして人生を提供させられる。
信者らは、財産上の被害を受けたうえ、更に「献身」させられるという、二重の被害を受けている。
文字どおり「献身」は、違法な「献金強要行為」の延長線上にある「身体献納強要行為」と評価すべきものなのである。
マインドコントロールとカルトの違法な活動は車の両輪
破壊的カルトが違法活動を続けるには、その担い手たる信者の獲得が必要不可欠である。
活動が違法であればあるほど伝道に要するマインドコントロールは強固となる。
通常の伝道では、善良な人がすぐに平気で人をだませる人にはなりえないからだ。
逆に言えば、違法な活動をしない宗教団体であれば、別段、伝道にマインドコントロールを利用する必要はない。ここにカルトのマインドコントロールと普通のマインドコントロールの質的な差がある。
統一協会の場合、信者たちは、霊感商法のような違法行為をすることが、自分自身はもとより、その家族・先祖・子孫を救い、被害者も救うことになると信じ込まされ、寝食を忘れて奔走するロボットにさせられる。
霊感商法を担当するセクションに配属されず、たまたま伝道部門の担当になった信者らも、このような資金集めのロボットを勧誘し、育てあげることが、伝道対象者とその家族・先祖・子孫を救うと信じ込まされる。
そして自分の勧誘した信者が「一人前」となって、新たな霊感商法を行うことが、被害者を「救う」ことになると信じ込まされ、統一協会の活動に専念させられる。
こうして破壊的カルトの活動は、永久電池のように恒常化していく。
最初にマインドコントロールを施した人間は観ているだけで、後は信者らが勝手に人やお金を集めてくれる。
そんな仕組みが破壊的カルトの実態なのだ。
また、個々の信者は、伝道・勧誘され、「献身」に至るプロセスにおいて、あたかも自らの自由意思で選択したかのようなつもりになっているが、実は信者の意思は、統一協会が事前に作成したマニュアルに沿って、統一協会が意図する方向に巧妙に誘導されたものである。
しかもその過程では、霊界への恐怖がことさら強調され、統一協会の指示を拒否できないように仕向けられている。
同時に善悪の判断基準が逆転させられ、伝道される前には有していた通常の社会的規範意識(嘘はつかない、暴利は貪らない、両親を大切にするなど)は喪失させられ、嘘をつき暴利を貪り両親を大切にしない人格に変えられる。
ビデオセンターから献身に至るまで、短い人でも数カ月、長い人では二年以上の時間をかけ、慎重に人格が変えられて行くのだ。
本人の了解なしに催眠術など精神的な作用を施すことが傷害罪ないし暴行罪にあたるという学説がある。
まして長期間にわたり意図的に信者らに施こした精神操作はより違法性が高いはずだ。
精神操作はどこまでが違法か―自律した市民社会へのメルクマール
マインドコントロールの違法性を早くから民事裁判で争ってきたケースがある。
統一協会の元信者らが知らない間にマインドコントロールを施され、霊感商法などの違法な活動に従事させられたとして、統一協会に対し、不法行為慰謝料などを求めた「青春を返せ裁判」がそれである。
1988年の札幌を皮切りに、新潟、岡山、名古屋、東京、神戸、静岡で、次々と起こされてきた。
これら訴訟の中で、統一協会は、マインドコントロールという概念を否定するとともに、献身は自由意思による結果であることを強調している。
現在この訴訟の原告は全国で100名を越えている。
このうち1人でも判決で違法性が認められれば、宗教伝道に際し、どのような精神操作を個人に施せば違法と認定されるのか、その線引きが具体的に明らかとなり、破壊的カルトの暴走を防止する規範的メルクマールを提供する。
この訴訟の先駆的意義がそこにある。
日本では マインドコントロールという言葉の歴史は、たかだか五年である。
統一協会は1950年代後半に日本に上陸してから、言わば無法状態にあったマインドコントロールの手法を駆使し今日まで着々と勢力を拡大してきた。
日本は「慰謝料が安すぎる」という意見に象徴されるように、精神被害の救済に冷たい国である。目に見えない精神被害は証明しにくいというのもその理由にある。
しかし既に霊感商法という金銭被害に関し、統一協会に責任を負わせる判決があいついでいる。
だとすれば霊感商法以上に、強度に精神に負荷をかけ、労働力を提供させるマインドコントロールを違法としない理由はあるまい。
他人の精神世界にどこまで土足で踏み込めるのか。自己啓発セミナーや企業コンサルティングに精神操作の手法を利用するマインドビジネスが跳梁跋扈する今日、21世紀に向けて自律した市民社会を築いていくためには、マインドコントロールの真の恐怖を我々は真剣に議論すべき時が来ている。
注1 統一協会は自らその略称を統一教会と称している。しかし正式名称を簡略するのであれば統一協会とするのが正確である。そこで被害者側は、略称を統一協会とするのが通例である。ちなみに英語名では、The Holy Spirit Association for the Unification
of Christianintyと称しており、 Associationの訳語としても協会が正しい。
そこで以下略称を統一協会とすることにする。
注2 スティーヴン・ハッサン著、浅見定雄訳(恒友出版)。なお書籍の体裁上は、第一刷は同年4月30日となっている。
注3 出家のこと。ホームで共同を生活を行い、統一協会の専従スタッフとして統一教会の活動に邁進させられる。
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